ハイエク『隷属への道』(50) 自由主義社会における美徳の衰退
こうした(=集産主義)体制のもとでは、時折民衆の代表を選ぶための選挙が実施されても、各候補を道徳的基準に従って選出することは、ますます少なくなっていく傾向がある。選挙はもはや、各候補者にとって、道徳が試される機会でもなければ、自分の道徳体系がどんなものかを選挙民に絶え間なく繰り返し説明したり、高い価値のために低い価値を進んで犠牲にすることで自己の政治信条がどれだけ真剣なものであるかを証明したりしなければならない機会でも、なくなってしまっている(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 292) 集産主義では、自由主義のような<選挙>は意味をなさない。判断の自由がない個人の意見を集めても無意味だからである。自由主義の指示命令系統は、「上意下達」と「下意上達」の二方向であるのに対し、集産主義には「上意下達」の一方向しかない。下位の者から意見を汲み上げる手段の1つが<選挙>というものであろうが、集産主義ではこのような方式は機能しない。 選挙は、選挙人および被選挙人の両者が人格を磨く場である。被選挙人つまり候補者は、自らの思想信条を明らかにし、投票を呼び掛ける。政治が扱う事項は複雑多岐に渡り、1つひとつの問題の賛否を聞いても仕方ない。問われるのは、候補者の道徳観である。 様々な行動規範というものは諸個人によって生み出され、進化させられてくるものであり、それこそが、社会集団の政治的行動がどのような道徳的基準を持つかを決定していく(同) 集団の規範は、過去からの慣習や慣例に負うところが大きい。これらも先人たち個人によって生み出され、進化させられてくるものの積み重ねと言えるだろう。懸念されるのは、 個人の自主独立性や自立の精神、あるいは個人的なイニシアティヴやそれぞれの地域社会への責任感、様々な問題をうまく解決しうる個人の自発的な活動に対する信頼、隣人に対する不干渉、普通と異なっていたり風変わりな人々に対する寛容、習慣や伝統に対する尊敬、権力や政府当局への健全な猜疑心(同、 pp. 295-296 ) といった自由主義社会の「美徳」が集産主義の広まりと共に薄れつつあることである。 ☆ ☆ ☆ Of all checks on democracy, federalism has been the most efficacious an...