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ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(74)擬人法

Are we justified in calling this innate habit of mind, this tendency to create an imaginary world of living beings (or perhaps: a world of animate ideas), a playing of the mind, a mental game? – J. Huizinga, Homo Ludens : VIII THE ELEMENTS OF MYTHOPOIESIS (この生まれながらの心の習慣、生き物の空想の世界(おそらくは、生気に満ちた観念の世界)を創り上げるこの傾向を、心の遊び、心的遊戯と呼んでも差支えありませんか)― ― ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』第8章 神話想像の要素 cf. 高橋英夫訳、 p. 236 Let us take one of the most elementary forms of personification, namely, mythical speculations concerning the origin of the world and things, in which creation is imagined as the work of certain gods using the limbs of a world-giant's body. -- Ibid . (擬人化の最も初歩的な形態の1つ、すなわち、天地創造が、世界巨人の体の手足を使った、ある神々の御業(みわざ)として思い描かれている、世界と物事の起源に関する神話的思索を例にとりましょう)― cf. 高橋英夫訳、 pp. 236f Normally we are inclined to regard the personification of abstract ideas as the late product of bookish invention -- as allegory, a stylistic device which the art and literature of all ages have made hackneyed. And indeed, as soon as

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(73)神話における「擬神法」

文化が精神的な方向に展開してゆくのに応じて、変化がおこった。遊戯の特徴が辛うじて認められるだけの領域、あるいはそれが全然認められないような分野が現われ、遊戯が自由な軌道の上に繰りひろげられている分野を犠牲として、しだいに拡がってゆくのだ。 文化は、全体としてはますます真面目なものになってゆき――法律、戦争、経済、技術、知識は遊戯との触れあいを失ってゆくように見える。そればかりか、かつては神聖な行為として、遊戯的表現のために広い分野を残してくれていた祭祀までも、そういう成行きを共にするように見える。 しかし、そうなった時にも、依然としてかつての華やかな、高貴な遊戯の砦(とりで)として残っているもの、それが詩なのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 232f )  社会の現実が苛酷になるにつれて、「本気」の度合いが増し、「遊び」が衰微した。が、その中にあって<詩>だけは、命脈を保っているのだ。  隠喩とはある状態、またはある出来事を描写するにあたって、生き生きと活動している生からひきだした概念を用いるということであり、その効果もその点にかかっている。とすれば、このときすでにわれわれは、擬人化への道の途上にあることになる。実体のないもの、生命のないものを人格として表わす、これがすべての神話が形成されてゆく場合の、そして殆んどすべての詩作が行なわれる場合の本質なのである。  ※隠喩:比喩法の一。「…のようだ」「…のごとし」などの形を用いず、そのものの特徴を直接他のもので表現する方法。(例)「歩きすぎて足が棒になった」「人生はマラソンである」  神話の世界の出来事は、物を人に喩えた「擬人法」では説得力に欠ける。物事を神々の御業に喩えた「擬神法」を用いてこそ、信じるに値するものになれるのだ。 厳密にいえば、そういう表現を形成してゆく過程は、今述べたような径路を順を追ってたどるものではない。最初実体がないと考えられたものが、生命があると考えられるものによって表現されて、そこで初めて生命を吹きこまれる、というのではない。根源的なことは、知覚された事物が生きて動いている生命体という観念に置き換えられる、ということなのである。それは、われわれのうちに、知覚したものを他人に伝えたいという欲求が動き出すやいなや、すぐさま生じる。

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(72)神話とは何か

 神話は正しい理解をうけ、現代のプロパガンダがそこに無理に押しつけようとしている頽廃(たいはい)的な意味でなく受け取られるなら、宇宙に対する原始人の考えをまことに適切に媒介するものである。考えることが可能なものと不可能なものとのあいだに境界線を引くということは、文化がようやく生成発展を始めるようになってから、人間精神がやってのけたことにすぎない。未開人たちが世界を論理的に秩序づける能力はごく限られた程度のものだったが、彼らにしてみれば、そもそもどんなことでも可能でないものはなかった。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 225)  ホイジンガは、文化人類学的に「神話」を捕えているのだろう。文化が未発達の人達、詰まり、「未開人」の混沌(こんとん)とした「世界観」を「神話」として捉えている。また、歴史学的に視れば、「事実」として過去を捉えた「歴史」に先行する、事実とは言い難い「神話」とはやや「神話」の位置付けが異なるに違いない。さらには、宗教学的見地から「神話」を信仰の対象として捉えることも可能である。 神話の示すあらゆる非条理と巨大さ。その無制約の誇張と、もろもろの事象の間の関係の混乱ぶり。その投げやりな矛盾と気紛れな変化。だが、それらにもかかわらず、神話はほかの何か途方もないもののように、彼を悩ませはしなかった。しかし、たとえそうであったとしても、われわれはこう自問してみなければなるまい、未開人にとってさえ、彼らの最も神聖なはずの神話に対する信仰には、最初からある種の諧謔(かいぎゃく)的な調子という要素が染みついてはいなかったか、と。詩と共通して、神話も遊戯領域に発生したのであり、従って未開人の信仰は、その全生活がそうであったように、少なくとも半ば以上は、やはりこの領域の中にあったのだ。(同)  「神話」の非現実性、非論理性といったものは、「遊び」の非日常性と重なる部分が多い。否、「神話」は、現実から遊離した「遊び」の中で生まれたというのはホイジンガの言う通りであろう。  古代文化の中では、詩人の言葉はまだ非常に強い活力を持った表現手段であった。そのころは、詩は単なる文学的熱情の満足という以上に幅広い、生気ある機能を充たしていた。祭祀を言葉に置き換え、社会の諸関係を調停し、知恵、法律、道徳の担い手となっていた。どんなことをし

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(71)理性が届かぬ高みに飛翔する神話

《口承されていた神話の記述化は、すでに神話的思考の克服の一里塚である。  すなわち、現在の自分と直接つながるものとしての過去の出来事のできるだけ正確な再現ということではなくて、現在とどうかかわるかは定かではないが、かつて神々の世界としてそのような過去があると信じられていた、今の自分からみればすでに完全に異世界となった、遠い了解不可能な世界をはるか遠望するかのような意識において、ひとつの区切られた世界を知られているままに記述していく、そういう無私の叙述にみえてくる。恐らく叙述者は現代のわれわれと同じように神々の物語の非合理に気がついていたであろう。しかし合理的に説明しようなどという気はさらさらない。論証など思いも寄らない。いずれにせよ神々の世界はそのようなものとしてあったのだから、そのようなものとしてこれを了解するよりほかに仕方がない、という説明の放棄がすでに最初にある》(西尾幹二『国民の歴史』(産経新聞社)、 pp. 122f )  「過去」は、遠くなればなるほど、真偽不明な、曖昧な出来事と化していく。例えば、遥か遠くの国家開闢(かいびゃく)の物語を書こうとすれば、通常の技法では表現することは出来ない。だから、非日常的な<詩>という表現形式が用いられるわけである。 《それは信仰というようなものとは少し違う。過去を語ることは小ざかしい現在の意識をいっさい捨てることだ、と言っているようにみえる。物語の矛盾や辻複の合わない点に気がついていないのではない。異世界はどこまでも異世界なので、解釈などはしないと言っているだけである。解釈を後世に委ねている正確な叙述だけ心がければよい。神話が優れて歴史叙述の問題である所以(ゆえん)である》(同、 p. 123 ) このように神話は、文化がまだそれに対応していた段階では、神聖で神秘的な性格のものだった。すなわち、人々がそれを受けとる時の態度は、無条件に率直なものだった。しかし、このことを完全に承認したとしても、その当時、神話はあらゆる点で真面目なものと呼ぶことができたかどうか、この疑いが消え去らないのはもっともなことであるし確かに、われわれは、詩を一般に真面目なものとするが、その程度においては、神話をも真面目なものと言うことはできる。 理性的に物事を考え、判定する判断の閾(しきい)を越えたすべてのものと同じであって

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(70)「擬神法」

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《ある文化の神話の中では、神話による非合理的な説明がなされているが、現代のわれわれには科学によって合理的に説明できるようになっている問題というのは、私に言わせれば、どの文化のどの神話の中においても、神話が説明を与えている、問題の中のいわば枝葉末節に当る部分であると言ってよいと思います。なぜなら、その本当に核心をなす部分は、人間が人間として地上に存在しているかぎり、あらゆる時代――という意味は現代のわれわれにとってだけでなくて、われわれよりいっそう進んだ科学的知識と技術的能力を持つであろう人類にとってもということですが――つまり人類の歴史の最後まで非合理で不条理であり続けるに違いない問題であって、それに対して万人が納得いくような合理的な、1足す1は2というふうな割り切れた説明は絶対に与えることができないと思われるからです》(西尾幹二『国民の歴史』(産経新聞社)、pp. 121f)  これは、昨今の歴史学が神話を歴史から排除することへの反論である。よって、<神話は、どのような形でわれわれに伝えられたものであれ、常に詩である>というホイジンガの話と少し毛色が異なる。  私達の記憶は、時間と共に薄れていく。この記憶の薄れた「過去」を表現する手法が「詩」である。詩は、その特殊な表現技法によって、非日常性を演出する。この非日常性を演出する「詩」を用いることによって、「過去」を現実から遠ざけ、記憶が曖昧であるがゆえに現実と非現実が綯(な)い交ぜになった「薄れた記憶」を描き出すのである。  さらに、現代科学をもってしても説明の付かない「国生み」においては、自然現象を神の御業(みわざ)に準(なぞら)え、謂わば「擬神法」という手法が用いられているのもまた詩的技法と言えるのではあるまいか。  例えば、日本の『古事記』の国生み神話も、神々の力を借りた「超常現象」のように描かれている。 《ここに天(あま)つ神諸(もろもろ)の命(みこと)もちて、伊邪那岐命(いざなきのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)二柱(ふたはしら)の神に、「このただよへる国を修め理(つく)り固め成せ」と詔(の)りて、天の沼矛(ぬぼこ)を賜(たま)ひて、言(こと)依(よ)さしたまひき。かれ、二柱の神天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして画(か)きたまへば、塩こをろこをろに画き鳴して引き上げたまふ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(69)神話は詩

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 詩といわれるものはすべて、遊戯の中に生長してきた。神の礼拝という聖なる遊戯、求愛という儀式的遊戯、自慢、悪罵、嘲弄(ちょうろう)の競争という闘争的遊戯、才知、機知を比べるという気転の遊戯、みなそれである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 224) 神話は、どのような形でわれわれに伝えられたものであれ、常に詩である。それは、われわれがその昔ほんとうに起こったのだと想像する出来事が詩の形をとり、形象化の手段によって、イメージとして伝えられた物語である。それには最も深遠な、神聖な意味が、詰めこまれていることもある。そして、おそらく合理的なものの見方では決して語ることができまい、と思われるさまざまの関連を表現しているのである。(同) 《19世紀末から20世紀にかけて、主としてイギリスの人類学者タイラーやフレーザーなどによって行われた神話研究は、今から見るとあまりに傲慢な、現代の知性の優越に胡座(あぐら)をかいた姿勢に貰かれていたように思える。それによると、神話なるものはどれも荒唐無稽(こうとうむけい)で、非論理的な内容に満ち満ちているので、未開野蛮な文化発達段階の最も初期の状態を反映した話にすぎない、と断定されていた。  人類は文明に達する前には、なにか漠然とした物理的な力、あるいは自然力に対しては畏怖(いふ)の感情を抱きがちである。当時の学者たちは、こういう力の信仰とそれに働きかけるための呪術とだけから成り立っていたのが人類の宗教の最も原初的な形態であったとみなして、それを「前アニミズム」と呼んだ。そこから文化や知能がやや発達すると、霊魂や精霊に対する信仰が起こってくる。それがタイラーによって霊魂信仰すなわちアニミズムと命名された段階であった。そして、そういう霊魂とか精霊が次の発達段階で、擬人化されることで、初めて多神教の神々が発生すると考えられた。神話はこの多神教の段階にまで宗教が発達して初めて創り出される、と見るのである。  これはどこまでも人格神を上位に置く考え方である。つまり神話は非常に未開で野蛮なものではあるが、それすらもまだ持っていないような人類の文化の低い段階がある。ニューギニアのような地球上の未開人の住む地帯に行けば、神話もまだ持たなかった古い時代の人類の文化がどういうものであったかを実際に見ることができるし

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(68)遊戯機能としての詩作

詩作とは、1つの遊戯機能なのである。それは精神の遊戯空間の内で行なわれる。精神が自らのために創った固有の世界で営まれている。そこでは物事は〈日常生活〉の中にあった時とは異なった相貌(そうぼう)を帯び、ものとものとは、論理や因果律とは別の絆によって結び合わされる。もし、真面目ということを、目覚めている生命の言葉の中に、はっきり断定的に表わされるもの、というふうに捉えるならば、詩はとうてい完全な意味で真面目なもの、と言うことはできない。それは真面目を超越した彼岸に立っている。子供、動物、未開人、予言者が属している根源的、原始的な層の中にあり、夢、魅惑、恍惚、笑いの領域の中にある。詩を理解するためには、われわれは魔法のマントのように子供の魂をとらえる力を持ち、大人の知恵よりも子供のそれを選ぶことができなくてはならないのだ。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 209)  <詩>は、「非日常」的な表現手法であることからして、<遊び>の1つということになろう。<詩>は、特殊な表現形式を用いることによって、「異次元の世界」を演出する。  詩を古代文化の因子として、根源的機能について見るならば、それは遊戯の中に、遊戯として生まれたのである。奉献された、聖なる遊戯なのである。しかし、そういう神聖さの中に生まれながら、遊戯はいつも悪ふざけ、冗談、娯楽と境いを接しあうあたりにとどまっていた。 詩は美の衝動の意識的満足である、というようなことは、まだまだその後も長く言い得ることではない。それは奇蹟の業(わざ)、祝祭の陶酔、神聖な行事をうっとり体験しているあいだに、もう詩めいた形で言葉に言い表わされていながら、まだその素性は認められもせず、人々の心の奥に潜んでいたにすぎなかった。だが、そんなあり方だけだったわけではない。それと同時に、詩的活力はすべてを引きずりこんでしまう陽気な古代社会の社交遊戯や、幾つかの集団の問で激しく高潮する競技などにも変化した。春の祭典であるとか、またそれ以外にも、部族の祝日に催される両性の接触形式とかよりも、豊かに詩的表現の能力をみのらせるものはなかった。  この最後に述べた光景について。若い男女がふざけたり、からかったりしながら機知や当意即妙、名人芸を競争して、惹(ひ)きつけられてみたり、また反撥(はんぱつ)してみたりと

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(67)遊戯と詩

The riddle, we may conclude, was originally a sacred game, and as such it cut clean across any possible distinction between play and seriousness. It was both at once : a ritual element of the highest importance and yet essentially a game. As civilization develops, the riddle branches out in two directions: mystic philosophy on the one hand and recreation on the other. But in this development we must not think of seriousness degenerating into play or of play rising to the level of seriousness. It is rather that civilization gradually brings about a certain division between two modes of mental life which we distinguish as play and seriousness respectively, but which originally formed a continuous mental medium wherein that civilization arose. – J. Huizinga, Homo Ludens : VI Playing and Knowing (なぞなぞは、元々神聖な遊びであったから、遊びと本気との区別をはっきり越えていたと見ることも出来る。最も重要な儀式的要素でありながら、本質的には遊戯であった。文明が発展するにつれて、なぞなぞは2つの方向に分岐する。一方が神秘哲学、他方が娯楽である。しかし、この発展において、本気が遊びに堕したり、遊びが本気の水準にまで達したりすると考えてはならない。むしろ、文明は、私達がそれぞれ遊びと本気

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(66)希薄化した騎士道の遊戯性

われわれが多くの民族に伝統として伝わる騎士道から知ったとおり、これをすべて文化の美的形式として語ってしまうと、この制度の祭儀的背景を見失う危険を冒すことになるのである。後の世に残された歴史、芸術、文学の中で、われわれがただ美しい、高貴な遊戯と想像しているものも、実際には、かつて神聖な遊戯だったのだ。騎士叙任式、馬上槍試合、騎士団、誓約は、疑いもなく遠い原始時代の成年式の慣習の中にその起源がある。 この長い発展を繋ぐ鎖の環の1つ1つは、もうわれわれにははっきり指摘できないものになっている。ただ、中世キリスト教世界の騎士道というものがあって、これが過去に繋がる、ある長く忘れられていた文化要素を、主として人為的な力で辛うじて維持し、また部分的には、それをよみがえらせもしたということは、われわれも知る通りである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 183)  ホイジンガは、<騎士道>を<文化の美的形式として語ってしまうと、この制度の祭儀的背景を見失う危険を冒すことになる>と言う。が、それは、<騎士道>を<文化の美的形式として語っ>たことに起因するのではなく、「神が死んだ」(ニーチェ)ことにより、社会における祭儀の意味が喪失してしまったことに因(よ)るものではないのだろうか。  すべての競技の初めには遊戯がある。すなわち、ある空間的、時間的限定の中で、特定の規則、形式に従いながら緊張の解決をもたらすもの、それも日常生活の流れの外にあるものを作り出そうとする協定がある。ここでは、完成されねばならない目標、つまりかち得られねばならない結果というものは、ただ二義的な意味で遊戯の課題の上に付け加えられる問題にすぎない。(同、 pp. 186f )  当然、<騎士道>も「遊戯性」を有する。が、宗教に取って代わって科学的合理性の力が増大するにつれ、戦うことの現実が前面に押し出されるようになり、「遊び」が根源に存在することが見えにくくなってしまったのではないだろうか。  いかなる文化の中でも、競技の慣習はみな同じであり、人々がそれに与えている意味も全く変わらないのだが、この驚くべき同種性というものが非常に特徴的なのである。この殆んど完壁なまでの形式の同一性、このこと自体が、遊戯としての闘技的心性というものは、いかに人間の精神生活、共同生活の底深く

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(65)<忠誠>も過剰となれば悪徳に堕す

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《フランスの詩人リュトブフは、『ロランの歌』の良き時代の雄々しさに比べて今日の輩の情けなさ、とその作品で「忠誠心は死に絶えた」と憤慨している。さらに紀元前2世紀にはローマの喜劇作家テレンティウスも、忠実な登場人物を「古風な美徳の持ち主」と言っている。そこから、ラテン語の研究者には「忠誠心はあらゆる時代で取り上げられるが、過去にしか存在しないものである」とシニカルに考察する人も現れた》(エリック・フェルテン『忠誠心、このやっかいな美徳』(早川書房)白川貴子訳、p. 14)  米紙ウォール・ストリート・ジャーナルのコラムニスト、フェルテンは「忠誠心」を次のように擁護する。 《忠誠心はすでに廃れた徳になっているのであれば、なぜ我々は今でもそれを称賛するのだろう。それは、忠誠心は生きるに値する人生にとって欠かせない基本項目の1つだからだ。忠誠心のないところには、愛もない。忠誠心がなければ、家族が成り立たない。忠誠心なくしては友情もない。さらには、国家や地域社会に積極的に貢献する姿勢もなくなることになる。こうした事柄がないとすれば、社会そのものも存在し得ないだろう》(同、 p. 15 )  が、英作家グレアム・グリーンは、反対に「不実」であることを勧める。 《不実であれ。それが人類に対するおまえの使命だ。人類は残らなければならない。気苦労や銃弾や過労で真っ先に斃(たお)れるのは、忠実な人間と決まっておる。いいか、食い扶持を稼ぐために忠誠を求められたら、二重スパイになるのだ。どちらの側にも本名を明かしてはならん。同じことは、女や神にも言える。そっぽを向く相手は大事にして、支払い額を増やしていく。たしか、キリストもそんな話をしていたな。放蕩息子は忠実だったか? 消えた銀貨や迷える羊は? 従順な羊たちは羊飼いを喜ばせず、忠実な息子は父親に見向きもされなかった》(グレアム・グリーン「庭の下」:『見えない日本の紳士たち』(早川書房)木村正則訳、pp. 412f)  時が順風満帆であれば<忠誠>であればよいが、逆境においては、ただ<忠誠>であることは、事態を悪化することに手を貸すことにもなりかねない。求められるのは、忠誠と反逆の平衡ということなのではないか。  それどころか、忠誠と反逆の平衡は、たとえ順風満帆の時であっても必要なことであろう。順風満帆の時だからこそ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(64)忠誠という美徳

 人間のもろもろの美徳の中で、ただ1つ、古代の貴族的、闘技的な戦士生活から確かにまっすぐに育ってきたように見えるものがある。忠誠(loyalty)がそれだ。忠誠とは、ある人物、ある事柄、ある観念への献身ということである。しかもその場合、何故それに忠誠を尽すのかと献身の理由をそれ以上論議したりすることもなければ、この献身はいつまでつづくのかと、その永続的拘束力を疑ったりすることもあり得ない、そういうものである。これは、遊戯の本質と多くの点で共通する態度である。この美徳は、その形の純粋さ、その倒錯の凄まじさによって、歴史の中で強い酵素の役割を果すものだが、その起源を直接に遊戯の領域にあると推定しても、こじつけがすぎるということはあるまい。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、pp. 182f) Of the causes in comparison with which no life was too dear to sacrifice, was THE DUTY OF LOYALTY, which was the key-stone making feudal virtues a symmetrical arch. Other virtues feudal morality shares in common with other systems of ethics, with other classes of people, but this virtue ―― homage and fealty to a superior ―― is its distinctive feature. I am aware that personal fidelity is a moral adhesion existing among all sorts and conditions of men, ―― a gang of pickpockets owe allegiance to a Fagin; but it is only in the code of chivalrous honor that Loyalty assumes paramount importance. – Nitobe Inazo, Bushido, the Soul of

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(63)戦争の二面性

 この言葉の中には、もちろんいくらかの真実はある。しかもその真実は、適切な言葉で述べられている。ところが、ラスキンはすぐに、彼の独特なレトリックを引っ込めてしまうのだ。これは、どんな戦争についてもそう言うことができるのではない、と。 彼が言おうと意図しているのは、初めからただ〈人類に自然に具(そなわ)っている活動性と闘争の歓びというものが、普遍的な共感によって訓練されて、美しい――おそらくは宿命的でもある――遊戯という形式に高められてゆく場としての戦争、すべてのものの根底にある創造的な戦争〉なのだ。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 182)  戦争にも、「日常性」と「非日常性」との「二面性」があり、後者の非日常的空間において「理想」が追求され、それが「名誉」という形で遺(のこ)るのである。 彼は、人類がその初めから〈1つは生産者の、他の1つは遊戯者のという2つの種族〉に分けられていた、と見ている。後者は戦士の本質を持ち――〈その怠惰を誇りとしていて、従っていつも気晴しを必要としているのでありますが、そういう時、彼らは生産的、勤労的階級を、一部分は家畜として、また一部分は彼らの死の遊戯における操り人形とか碁石のごときものとして、利用するのであります〉。(同)  このような言い方は誤解の素(もと)である。戦いにも、現実と理想が存在し、如何に敵を倒すのかということと、如何に美しく戦うのかという2つの側面がある。「非情」と「名誉」の葛藤の中で如何に戦うのかについて「懊悩(おうのう)」する戦士の姿が目に浮かぶに違いない。  このラスキンの言葉には、深い予感と安っぽい思想的混迷が入り浸っている。だが、ここで大事なことは、ラスキンが古代文化の中には遊戯要素があったと、正確に認識していたことである。彼にしてみれば、創造的戦争の理想はスパルタと中世騎士道において現実になっていたのであった。しかし、いまわれわれが引用した言葉のすぐ後で、彼の真摯(しんし)な、優しい心が、その論理の飛翔しようとするのを裏切っている。アメリカ南北戦争の残虐さの印象のもとに行なわれた演説では、彼は現代の戦争――1865年の戦争のことである――の痛罵(つうば)に転身しているのである。(同)  現実の戦争を、<遊び>の側面を強調して論じても仕方ない。現実の戦争は、

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(62)戦争と平和

 騎士的名誉、忠誠、勇気、自制心、義務意識という理想が、それらを養った文化にまことに大きな貢献をし、それを高めたこと、これは疑いない。たとえその大部分が幻想であり、虚構であったにもせよ、教育と公共生活の面で、それは確かに個人の能力を向上させ、倫理的水準を引き上げた。そういう文化形式の歴史像は、中世キリスト教や日本の文献を通じ、叙事詩的、ロマン的理想化の衣に浄化されて、まことに魅惑的に定式づけられた。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 181)  欧州の騎士道、日本の武士道が、それぞれの文化の伸長発展に大きく貢献したことは疑いを容れないということだ。 しかしまた、そのためにそういう歴史像は、最も優しい心情の持主までも動かして、戦争が現実にとった姿を美徳と知識の泉として、繰り返し讃えさせるという邪道にも導いたのである。(同、 p. 181 )  物事は「理想と現実」の平衡の上にある。が、実際に戦争が勃発すれば、この平衡が崩れ、現実によって理想が抑え込まれる。だから、戦争の一部分を切り取って<美徳と知識の泉>などと美化するのは、現実世界のただの欺瞞(ぎまん)であって、「理想」から生じたものでは決してない。 戦争というテーマは、これまで人間が果してきたさまざまの業績の源泉として、時にやや無思慮に取り扱われてきた。ジョン・ラスキンはかつて、戦争はすべての純粋、高貴な芸術の不可欠の前提である、とウールウィッチ士官学校生徒の前で演説したが、こう言う彼はいささか思い上っていたようだ。 〈これまで、偉大な芸術はすべて、戦士たちの国民の胎内にのみ宿ってきました。――偉大な芸術はただ、戦争の基盤の上に立って初めて可能なものであります〉。 さらに彼は、歴史の実例の扱い方に、ある素朴さ、浅薄さを暴露しながらも、こうつづけている、 〈手短かに申しますと、私はこういうことを見出したのであります。それは、すべての大民族がかち取ったその言葉の真理、思考の鋭さは、ただ戦争の中で学びとってきたものだ、ということであります。戦争から養分を汲み、平和によってそれを浪費しつくすのであります。戦争によって教えられ、平和によって欺(あざむ)かれるのであります。戦争によって訓練され、平和によって裏切られる――ひと言で申せば、彼らは戦争の中に生まれ、そして平和の

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(61)フェア・プレー

日本の大名上杉謙信は、山国を治める大名武田信玄と戦いを構えていた。その時、彼は、第三者のある大名が信玄とはなんら不仲でなかったにもかかわらず、信玄に対する塩の供給を断絶したということを知った謙信はさっそく家臣に命じて敵方にあり余る程の塩を送らせ、また、〈聞く、氏康氏真君を因(くろし)むるに塩を以てすと、是れ不勇不義の極みなり、我れ人と争ふ所は弓箭(ゆみや)にありて米塩(かて)にあらず、請ふ今より以往(さき)塩を我国に取られ候へ……〉という書簡を送った。ここには、またしても遊戯規則に対する誠実というものが見出されるのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、pp. 180f)  「敵に塩を送る」という日本の有名な逸話である。これは英語で言うところの「フェア・プレー」に相当するだろう。まさに<遊び>の範疇に属する行為である。 Fair play in fight! What fertile germs of morality lie in this primitive sense of savagery and childhood. Is it not the root of all military and civic virtues? We smile (as if we had outgrown it!) at the boyish desire of the small Britisher, Tom Brown, "to leave behind him the name of a fellow who never bullied a little boy or turned his back on a big one." And yet, who does not know that this desire is the corner-stone on which moral structures of mighty dimensions can be reared? May I not go even so far as to say that the gentlest and most peace-loving of religions endorses this aspiration? – Nitobe

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(60)騎士道の実(じつ)

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 これらの理想、制度、慣習すべてを包んだ闘技的大複合体は、中世ヨーロッパと回教諸国と日本で最もゆたかな展開を遂げた。しかし、殆んどすべてのキリスト教騎士道の世界よりいっそう明瞭に、これらすべてのものの基本的性格が示されているのは、日出ずる国においてである。 日本の武士が身につけている思想に、世俗の凡夫(ぼんぷ)には真面目なことであっても、勇士には単なる遊戯にすぎぬ、というのがある。われわれは前に、悪口合戦のことを語ったが、悪口合戦の応酬による葛藤も、いま述べた思想によって高潔な武士道的慣習に高められ、武士がそういう英雄的形式を体現したさまを表わすこともある。そういう封建的英雄主義のうちに数えられるものに、高貴な心情の持主が、あらゆる物質に対して示す完全な軽蔑、無視ということがある。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 180 )  ホイジンガは別書『中世の秋』において、騎士道について次のように書いている。 《騎士道は、もしもそれが、社会の発展にとってプラスになる高い価値をふくんでいなかったならば、もしもそれが、社会的、倫理的、美的観点からみて必然のものでなかったとしたら、幾世紀も幾世紀ものあいだ、生活の理想であり続けたはずはない。この理想は、生活を美しく、おおげさに飾る。そのおおげさな誇張のうちにこそ、たしかに、かつてはこの理想の力が存していたのである。  中世のはげしい精神は、理想をいや高きにかかげることによってのみ、ようやくその血みどろの激情を制御しえたかにみえるのだ。かくて教会は目標を遠くにおき、騎士道思想、また、その理想を高くかかげたのである》(ホイジンガ「中世の秋」:『世界の名著 67 』(中央公論社)堀米庸三訳、 pp. 223f )  理想を高く掲げることと、現実を大袈裟に飾ることとは別である。実質を欠く「虚栄」や「虚飾」だけでは社会への影響力はない。騎士道が社会に対し、少なからず影響力を有していたとすれば、そこに何某(なにがし)かの実質的な意味があったということである。 Chivalry is a flower no less indigenous to the soil of Japan than its emblem, the cherry blossom; nor is it a drie

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(59)教会を守護してきた騎士階級

もし騎士というものを社会階級でなく、1つの理想として捉えた場合においても違いは明白である。哲学的議論を好んだ歴史家たちの目には、騎士制度は封建制度と明確に区別され得るものとして映っていた。もし9世紀の西洋世界が封建化されていなかったとしても騎士階級は生まれていたであろう。そしていかなる場合でもキリスト教世界において脚光を浴びていたであろう。なぜなら騎士階級とは…武器を持たぬ真実〔教会の教え〕を護る守護者であり、キリスト教化された軍務の形なのであるから。そしてユピテル〔ゼウス〕の頭からミネルヴァ〔アテナ〕が生まれ落ちたがごとく、歴史のいずれかの段階において、教会の頭脳から騎士階級というものが生まれ落ちることは避けられなかったのである。(レオン・ゴーティエ『騎士道』(中央公論新社)武田秀太郎編訳、pp. 52f)  詰まり、<騎士>を封建制の具体的制度の1つと考えることは出来ないという話である。 一方の封建制度は、その起源にキリスト教が全く関与していない。それは統治機構と社会制度の一形態に過ぎず、この統治形態が他の形態より教会にとって有益であったという事実は存在しない。封建制度は教会と繰り返し衝突し、そしてその度に幾度となく騎士階級が教会を守護してきた。封建主義こそ暴力であり、騎士階層とは救済であった。(同、 p. 53 )  騎士階級は、封建制と衝突する教会を守護する立場にあった。であれば、どうして騎士道が封建制から生まれようか。  ゴドフロワ・ド・ブイヨンを見るがよい。彼が宗主に臣従を誓った事実、そして彼が幾人もの従臣に軍役を強(し)いた事実は、確かに騎士道とは何ら関係なく、純粋に封建制度に沿った行動であったかもしれない。 しかし彼がエルサレムの城壁の下で戦う姿を思い起こす時、彼が聖都〔エルサレム〕へと入城する場面を思い起こす時、その情熱的で恐れを知らず、力強く純粋で、勇敢かつ寛大で、謙虚かつ誇り高く、イエス様がイバラの冠を被(かぶ)られたその聖都で黄金の冠を被ることを拒否した〔王の称号を辞退した〕事実を思い起こす時、彼が誰から封土を授かり、誰を従臣として従えていたかなどということは、もはや霧散するのである。 私はこう叫ぼう、「彼こそ騎士なり」と! そして思い起こそうではないか。封建制度が崩壊した後も、いかに多くの偉大なる美徳を備えた騎士たち

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(58)騎士道は封建制度から生まれたものではない

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こういう封建的貴族制のもとでのみ、前代未聞の勲功をあげることに幻想的な誓いをかける遊戯が大真面目に行なわれるのだ。そこでは、軍職、紋章が大きな問題にされる。人々は騎士団を結成して、位階、特権を互いに競い合う。封建的貴族制度のみが、そういうことに耽(ふけ)る暇と雰囲気を持っているのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 180)  が、仏文学者・ゴーティエは、騎士道をキリスト教との繋がりで考える。 《騎士道とは…ゲルマン民族の習慣が教会により理想化されたものである。従って騎士自身もまた、それ自身が社会制度である以上に、1つの理想の体現なのである。  騎士という高貴なる主題については今まで多くの書籍が書かれてきた。これら先行文献で解明された騎士道と騎士を端的に集約するには次の1文で十分である――「騎士道とはキリスト教の軍事規律であり、騎士とはキリストの戦士である。」》(レオン・ゴーティエ『騎士道』(中央公論新社)武田秀太郎編訳、 p. 31 )  ゴーティエは、<封建制度もまた騎士制度との共通点を持たない>と言う。 《騎士階級というものは事実、人々が一定の条件を満たした際にのみ特定の儀式を経て加入が認められる名誉階級である…ここで重要であるのは、封臣たちが必ずしも騎兵ではなかった事実である。封臣の中には、主として騎兵となるための初期費用の負担を避けるため、一生を近習(きんじゅ)〈 damoiseaux 〉として過ごした者もいたのである。確かに大多数の封臣は、こうした選択をしなかったかもしれない。しかし、こうした選択の自由は存在し、そして事実非常に多くの封臣がそれを選択した。  その一方で、封土を持ったこともなく、誰にも忠誠を誓ったことも、誰にも恩義を持たぬような地位の低い人間が、騎士の栄誉を賜った事例を我々は多く見ている。我々が覚えておかねばならないのは、出兵による封建的奉公の義務〈 ost 〉と、宮廷〈 curte 〉における奉公の義務を主君に負ったのは、騎士(シュヴァリエ)ではなく封臣であったということである。「軍事的奉仕」と「宮廷勤務」を課されたのは、騎士でなく封臣なのである。主君に対して派兵と、奉仕と、臣従を求められたのは、騎士でなく封臣なのである!  さらに一言付け加えるのならば、この封建制度はこの後

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(57)騎士道

 だからこそ、共同社会の精神は、高貴な競技の中や、名誉、徳、美の理想世界の中で操りひろげられる、英雄の生涯の華やかな幻想を思いえがくことに、いつも変わることなく逃避を求めるのだ。この高貴な闘いという理念が、何といっても、文化の衝動のうちで最も強力な1つであることは間違いない。それは中世騎士道や日本の武士道のように、ひとたび武士的修行、儀式的社交遊戯、現実生活の詩的修飾へと発展してしまうと、今度はそういう幻想のイメージそのものが、逆に彼らの文化的態度や個人的な心構え、行動力の上に働きかけ、彼らの勇気を鍛えて剛毅(ごうき)にし、義務感を促して、それを果させるものとなる。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、pp. 179f)  個人や社会を制御する方法は、大きく分けて2つある。1つは、客観的に制御するための「法律」、そしてもう1つが主観的に制御する「道徳」である。そして、<名誉、徳、美>が問題となるのは後者においてである。 改めて言うまでもないことだが、最高の意味での生の理想、生の形式としての気高い競技というこの体制が、特に自然に結びつきやすい社会構造がある。それは、程よい不動産を持った数多くの武士貴族たちが、聖君として崇(あが)める君主を存在の中心動機として集結し、その君主に忠誠を誓い、依存しながら仰ぎ従っている、という社会構造である。(同、 p. 180 )  が、<君主に忠誠を誓い、依存しながら仰ぎ従っている>という現実世界と、<生の理想>を追求し、<生の形式としての気高い競技>に参加する非日常世界を混同するのは良くないだろう。現実世界を離れた「遊び」だからこそ、理想や気高さが求められるのである。 自由人が勤労をする必要のない、この種の社会的秩序の中でのみ、騎士道が花咲き、それと共に、そこに欠くことのできない力比べや馬上槍試合が盛んに行なわれるのだ。(同)  が、例えば、貴族という<自由人>は、ただ遊んで暮らすだけの存在なのだろうか。少なくとも、貴族が存在することによって、社会は安易に変革できないという安定感がある。詰まり、貴族は「社会の重石」となっているということだ。これも立派な「仕事」だと言うべきなのではないか。  また、貴族のような特権階級が優雅であるがゆえに騎士道が花咲いたというのもホイジンガが偏見であろうと思わ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(56)日常世界における戦い

あらゆる法的拘束力が消え去って、完全に荒廃してしまった社会でも、闘技的衝動というものは失われない。それは、人間性そもそもの資質なのである。第一人者になりたいという先天的な欲望は、そうなっても、やはり対立し合う集団を互いに駆り立てて、血迷った誇大妄想の中で、かつて達せられたこともない惑わし、欺瞞(ぎまん)の頂(いただき)に彼らを導いてゆくことだろう。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 178)  人間には、本源的に<闘技的衝動>というものがあり、この「衝動」を御するために、法が定められてきた。が、社会が荒廃し、<法的拘束力>が消失すれば、抑え込まれていた「衝動」が剥(む)き出しになり、勝つことだけが至上命令になる。そうなると、勝利に至る過程の善悪正邪はどうでもよくなってしまう、詰まり、「無理が通れば道理引っ込む」ということになる。 人々が、歴史を動かしている力を経済関係の中に見るという古びた教義をたてまつろうと、また欲望に形式と名前を与えようとして全く新しい世界観を打ちたてようと、結局のところ根底にはいつも、ただ勝つことだ、勝ちさえすればよいのだ、という気持があることに変わりはない。(同、 pp. 178f )  第一人者であることを証ししようとする競争の努力は、文化の黎明(れいめい)のころには、疑いもなく文化を形成し、高める要因の1つであった。素朴な子供らしい心や、身分地位の名誉に対する感情が、生き生きとしていた段階では、それは、まだ幼なかった文化にとって1つの必然でさえある、誇り高い人間的勇気を成熟させるものだった。それだけではない。闘技的な活動は常に奉献行事に涵(ひた) た され、そこから、さまざまの文化形式そのものが育ってゆき、社会生活の構造もその中で複雑に組織されてゆく。貴族生活が、名誉と勇気の高潔な遊戯というものを目ざして、形成されてゆくのだ。 だが不幸なことに、古代社会でさえ、冷酷で苛烈な戦いの中では、この遊戯が現実の行為となるチャンスはまことに乏しかった。そのために、遊戯が美的、社会的なフィクションの中でだけ体験されるものになっていったのも、また止むをえない話である。血まみれの暴力を、高貴な文化形式の中に呪縛するというようなことは、ほんの部分的にしかできないことである。(同、 p. 179 )  勿論、<

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(55)原始文化水準以下への逆戻り

 こうして、隈なく考えつくされ、倫理的に基礎づけられた国際法のもろもろの責務のシステムがいったん確立されれば、諸国家の関係の中には、もはや闘技的要素を容れる余地は、殆んど残されなくなる。そういう体制は、政治的闘争の本能を法という感情に昇華しようとするからである。 普遍的に認められた1つの国際法のもとで規制されている諸国家の集団には、理論的にいえば、すでにその内部に闘技的な戦争などあるべき理由はない。それにもかかわらず、そういう国家集団が、遊戯共同体の特質をすっかりなくしてしまったとは決していえない。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 177 )  戦争自体を禁ずる国際法は未だ締結されてはいない。あるのは「侵略戦争」を禁ずる国際法だけである。しかも、「侵略」かどうかは、当事国が決めてよいとされている骨抜き条約である。戦争や紛争が世の中から無くなるなどということは想像も付かない。 相互の権利が同等であるという規定、外交的なさまざまの形式、条約を遵奉(じゅんぽう)し、戦争を公式的に通告すべき相互義務、これらは形式的には遊戯規則に似通っている。遊戯そのもの、すなわち、秩序ある人間の社会生活の必要ということが認められているうちは、まだそれらも拘束力を持っているのである。何といっても、この遊戯するということが、すべての文化そのものの基礎なのだ。ただそれらの場合には、遊戯という名を名乗る権利は、僅(わず)か形式的に保たれているにすぎないわけである。  ところで現実に目を向けると、国際法の体制も、もう全体としては、文化そのものの基礎として認めることはとうていできない、という局面に達している。諸国家の集団に属するある1つの国、または2つ以上の国々が、国際法の拘束性を事実上否定するやいなや、またそればかりか、国家的行動のただ1つの規範として、自分の属するグループ――それは国民でも、党派でもよく、階級、教会、そして国家そのものでもよいのだが――の利害関係と権力というものを、理論的に国際法の上におくようになるやいなや、遊戯心というものの最後の名残りも、あらゆる文化の中から消え去ってしまう。それだけに止まらない。結局はそれと同時に、一切の文明そのものが滅んでしまうのである。 社会は、こうして原始文化の水準以下に再びおちてゆく。こう考えてみると

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(54)骨抜きの規則

戦闘が自分よりも低位にあるもの――それは野蛮人と呼んでも、またその他何と呼んでもいい――との間に交わされる時には、いかなる暴力の抑制もたちまちけし飛んでしまう。われわれは、バビロニアやアッシリアの王たちが神意にかなう業(わざ)として讃えたような残忍非道の行為によって、人類の歴史が汚されるのを見るという始末である。この深刻な道徳的無軌道ぶりと手と手を携えて進みつつあるのが、技術や政治の面における種々の可能性の呪うべき進展である。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 177)  実際、太平洋戦争においても、米国は、日本人を人種差別よろしく「黄色いサル」( yellow monkey )と蔑(さげす)み、原爆投下をさも「動物実験」であるかのように正当化した。 戦時法規というものは、敵方さえも同等の資格を持った存在として承認し、またそこから、名誉ある、礼節にかなった処置を要求するものである。ところが最近の時勢の発展は、戦時法規が苦労してかちとった体制を、殆んどあらゆる点からみて、何の役にも立たぬものにしてしまった――しかも、これは武装平和の状態の中でもすでにそうなのだ。(同)  1929年発効の「パリ不戦条約」において、「侵略戦争」は禁じられた。だから、大東亜戦争も侵略戦争との汚名を着せられたのである。が、実は、この条約締結の際、何をもって「侵略」と言うのかについての定義が各国揃わず、結局、「侵略」か否かは、当事国が決めるということになったのであった。  たとえ「侵略戦争」を行ってはならないという高尚(こうしょう)な規則が確認されたとしても、「侵略」とは何かが定義されていなければ、「骨抜き」の規則であると言っても過言ではないだろう。  原始的な、自己讃美に根ざしていた名誉と高貴という理想は、文明が進んで発展した段階の中では、正義の理想にとってかわられる。いやそう言うより、むしろ後者、この正義の理想そのものが、前者にまつわりついたといった方がよい。それを実行に移した結果は惨(みじ)めなものではある。それでも、はじめ多くの氏族、さまざまの部族が無秩序に並存していた状態から、人間社会が大民族、大国家の共同生活へと長い年月をへて拡大してゆくうちに、それはそういう人間社会の間で認められ、求められる規範になってゆく。国際法というものは、(こ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(53)勝利は規則逸脱をも正当化する

 闘技的、祭儀的戦争を古代的なものといっても、それは、原始文化においてはすべての闘争が規則に則(のっと)って、競技の形式で整然と行なわれたというのでもなければ、現代戦の中には闘技的要素の余地は全くないということでもない。どんな時代にも、正しいとされる事柄を擁護して名誉のために闘う、こういう人間的理想は存在しつづけているものである。しかし、なまの現実の中では、この理想も初めから否定され、損われて(→損(そこ)なわれて)しまう。勝とうとする欲望の方が、名誉感情によって課される自制心より、いつでも大きいのだ。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 176 )  「名誉」のために戦うのであれば、戦いの規則から逸脱することは不名誉なこととして避けるはずである。が、たとえ規則を守って戦ったとしても、負けてしまったのでは意味がない。「正義」は「勝者」に宿るのであるから。だから、何よりも勝つことが優先させるということになる。詰まり、規則遵守はただの努力目標に過ぎないということである。勝つことが正義である以上、たとえ規則を破っても、それは勝利することによって帳消しとなる。 かつて、あまたの民族や王侯たちは、力をもって敵に当たらなければならないと信じて暴力を揮(ふる)った。もちろんこれに対して、人間の文化は制約を加えようとして、大いにこれ努めてはいる。だが現実には、勝利を掴(つか)みとろうという願いが、闘っているものの心を、何としても非常に強く支配している。そのため、人間的悪がたちまち勝手気儘(きまま)に動きだし、およそ暴力を強化するために考えられることは、何憚(はばか)らずやってのけるという結果になるのだ。(同)  古代社会は、暴力をふるうことを許される許容範囲を――言い換えれば、戦争の遊戯規則というものを ―― 同じ種族、同等の立場の相手だけに認めるという、ごく狭い圏に限っていた。あくまでも誠実さをもって名誉を守らねばならないのは、ただ同等の立場に立つものを敵として闘う時だけなのだ。闘う両軍は規則を承認せざるを得なかったであろう。そうしなければ、彼らは互いに戦いをまじえるわけにゆかないからである。同等の高さにある敵とまみえていた限りでは、確かに彼らも、運を賭けるという心構えや、ある節度を守るという要求その他と結びついている名誉感情の原理に、活力

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(52)戦争に見られる二面性

これは、その後戦争はいかなる関連からしても、厳しく名誉の法典の定めに従い、祭祀行為の形式をふんで行なわれるようになった、ということではない。野蛮な暴力は、依然としてその力を揮(ふる)おうとつけ狙っている。ただ、戦争が聖なる義務、名誉と結びつけられ、そういう考えの光に照らして見られるものになったということであり、またある程度まで、それらの形式のなかで実際に行なわれる――遊戯される――ものとなった、ということである。 現実に、戦争がどれくらいそういう思想に交配され、影響を蒙(こうむ)ってきたか、これをさだめるのは常に厄介な問題である。われわれが戦争について知ることのできる史料も、その大半は、同時代人や後世の人々によって、叙事詩、歌謡、年代記の中にうたわれ、記録されたような、戦争を文学的な目で眺めたもので、そこには多くの美化された描写や、浪漫的、英雄的フィクションが働いているのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 169 )  過去の戦争が具体的にどのようなものであったのかを知ろうにも、「一次資料」がなさ過ぎて、伝聞伝記の類(たぐい)だけでは、想像の域を出ることはない。したがって、その戦争がどれくらい<名誉の法典>に従い、祭祀行為の形態を踏むものであったのか、また、どれくらい<野蛮な暴力>を抑え込むことに成功していたのかは「藪の中」と言うしかない。  しかしまた、これらの文献が戦争を祭儀的領域、道徳的世界へ引き入れたり、美的ファンタジーの世界へ高めたりすることによって、戦争を醇化(じゅんか)しているのは、すべてその残酷さを蔽い隠そうとする煌(きら)びやかな装い、被(かぶ)せものにすぎない、と信じてしまうのも間違いではあるまいか。たとえ、それが虚構でしかなかったにもせよ、戦争を名誉と美徳の遊戯とする考えの中から、騎士道の精神が芽生え、またそれと並んで、国際法の観念が育ってきたのである。純粋な人間性という概念は、この2つのものによって養われた。(同)  戦争が極悪非道なものとならないように、個人においては<騎士道の精神>を生み、集団においては<国際法の観念>を育んだ。が、一方で、「勝てば官軍、負ければ賊軍」の戦争において、このような「綺麗事」は往々にして無視されてしまうのもまた仕方がないことである。  戦争は、倫理的、道

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(51)宗教戦争

われわれが〈正義〉といっているものは、古代的な考え方の中では〈神々の意思〉、あるいは〈明証された優越性〉というのと同じことである。籤占い、武器による闘い、言葉による説得も、同じようにして神々の意思の〈証拠方法〉になるのだ。闘争というものも、予言や裁定者の前でする審理と変わりはなく、法律手続の1つの形式である。結局、すべて物事に決定を下すというそのことには、神聖な意味が賦与(ふよ)されるのだから、われわれは闘争をもそれなりに予言として捉えることができるわけである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、pp. 162f)  <正義>とは<神々の意志>( the will of the gods )なのだとすれば、宗教の異なる国同士の戦いとは、正義の異なる国同士の戦いということになり、どちらの<正義>がより正しいのかを賭けることとなる。詰まり、神と神の戦い乃至(ないし)はその代理戦争ということになって、引くに引けぬ戦いが熾烈(しれつ)を極めるということに成らざるを得ない。まさに、西洋の宗教戦争がこれに当たる。  訴訟から賭けの遊戯まで及ぶ、さまざまの解きほぐしがたい観念の複合体を、最も的確直截(ちょくさい)に把握することができるのは、古代文化の中の決闘という機能によってである。決闘にはさまざまの異なった傾向がある。それは、詩人や年代記作者の手で栄光化されて、世界史のあらゆる分野でよく知られるようになったのだが、まず全面的交戦への導入部とか、それに付随するものとかの形で、個人の〈武勲〉(アリステイアー)になることができる。(同、 p. 163 ) 戦争という概念が真の意味で生ずるのは、全面的な敵対関係という、特殊な、深刻な事態が起こって、これが個人的な諍(いさか)いと切り離されるようになった時であり、またある程度までは、それが家族相互の確執からも区別されるようになった時にである。そして、こういう区別がもうけられたことから、初めて戦争は祭儀的領域の中におかれるものになるばかりか、さらに闘技的領域にも位置を占めるものになってゆく。 こうして、戦争は高められて神聖な事柄となり、ひろく世間に行なわれる力比べとなり、運命の裁きとなる。手短かに言うと、今やそれは法律、運命、威信などを未分化状態のままに含んでいる複合体の領域に引き上げられるのだ。しかも

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(50)戦争は神の裁決

 闘いの意志の奥に、純粋の飢えというものが原因として隠されている場合、これはごく稀にしか見当たらない現象だが、そういう時でさえも、攻撃側はその闘いを、神聖な義務、名誉、あるいは神の報復の問題と考えているものである。 物質的権力への欲望というものを見ると、たとえ高度の文明世界の中のそれでも、そして戦争を企てた政治家張本人が、それをただの権力争いの問題とみなしているような時でも、その本当の動機は、矜持(きょうじ)、虚栄心、声望の中におかれていたり、優越や支配という栄光に基づいていたりする場合が、絶対的多数を占めている。 古代からわれわれの時代に至るまでの大侵略戦争は、すべて経済的な力関係、政治的配慮といった合理的理論から解釈するよりも、誰でも直ちに理解することができる、名声を求める欲望という観念を考えることによって、いっそう本質的な説明を与えることができるであろう。このような戦争の栄光化の現代的爆発は、悲しむべきことに、もはやわれわれには、余りにも周知の事実となってしまった。  表面的には政治・経済問題が原因と見られる戦争であっても、深層には、<名声を求める欲望>ないしは「名誉を守る矜持」といったものが存在すると考えられるのだ。 ただこれも、結局そのもとを正せば、バビロニア、アッシリア時代の戦争観、すなわち、戦争とは異民族をことごとく根絶しようと欲する神が、聖なる栄光を求めて命じ給う神意である、という古代の戦争観まで遡(さかのぼ)ることができるのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 161 )  戦争のある種の古代的形式の中にこそ、戦争に自然につき纏(まと)うものである遊戯性が、最も直接的な形で表現されている、といえよう…古代文化の中では、裁判、運命、吉凶占い、賭博、挑戦、闘い、そして聖事としての神の裁きなどの観念が、たった1つの概念領域の中で並び合い、接し合っていた。それならば戦争にしても、その本質に従って、この概念領域の中に完全に含まれるものでなければならないはずである。 聖なる価値を持った神の裁決を得ようとして、勝つか敗けるかという試練を受けること、これが戦争なのである。裁判、賭博、籤占いも神々の意思を啓示することができたわけだが、それらのかわりとして、今度は武器の力が選ばれるのだ。そしてこの結果も、それ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(49)「遊び」 vs.「勝利至上主義」

 闘技(アゴーン)は、それ自体の中に遊戯性を蔵している、というのがわれわれの確信だったが、そこから今度は、では戦争は、どの程度まで社会の闘技的機能と呼ぶべきものだろうか、という問いが起こってくる。 まず、いくつかの形式の闘争は、全体としてみて非闘技的なものだから、直ちに捨てさることができる。不意打ち、待ち伏せ、略奪、大規模の殲滅(せんめつ)戦などは、たとえ闘技的戦争に伴って行なわれたものでも、戦争の闘技的形式と見ることはできない。また他方、戦争の最終目的――異民族を征服し、服属させ、支配するということも、競争の領域の外におかれる。 闘技的契機は、まずあるものをめぐって、両陣営の各々が、こちらこそそれを所有する権利があると信じてたたかう場合、さらに両軍が互いに相手を、それをめぐって争い合う敵対者として認め合う場合に、はじめて働くのだ。確かにこの感情は、ただの口実として利用されるにすぎないことも屡々(しばしば)なのだが、しかし常にそれがあることは間違いない。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 160f )  大東亜・太平洋戦争を例に取れば、日本の敗北は、大きくは国力の差にあったと言えるだろうが、もう 1 つ重要なのが、日米ソの戦争観の違いにあったように思われる。米国は、「勝てば官軍」とばかりに、国際法をものともせず非戦闘員に対し大量破壊兵器「原子爆弾」を投下した。しかも、戦争早期終結のためとされる広島への1発目に続けて、長崎に2発目を投下した。これは、戦後世界の主導権を握るための示威(じい)行為であったと言われている。また、ソ連も、終戦間近、日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本がポツダム宣言を受諾した後も、満洲や樺太・千島に攻め込み、多くの日本人を蹂躙(じゅうりん)した。その際、捕虜となった日本人は、長きにわたってシベリアに抑留され強制労働に供せられた。ソ連の国際法違反は明らかである。  一方、日本人は、勝つことへのこだわりが弱すぎた。その象徴的な出来事が、太平洋戦争の緒戦である真珠湾攻撃であった。真珠湾攻撃は大成功だったとされている。が、成功と言うのならどうしてハワイを占領するところまでやらなかったのか。「今日はこれぐらいにしておいてやろう」などという戦争はない。非情に徹することが出来なければ、勝てる戦争であっても勝つこと

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(48)戦争も遊戯か

 われわれは前に、訴訟の遊戯形式を3つに分けた。〈賭け〉〈競技〉〈言葉の争い〉がそれである。この言葉による闘争という性格は、ことの本性からして、訴訟が文化の進歩発展によって、その遊戯性を全面的にせよ部分的にせよ、あるいは実際上にせよ外見上にせよ、失ってしまった時でも、なお訴訟に残された性格である。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 151) 古代では、決定を与えるものは、法律的に極めて慎重に考慮しながら行なわれる論議でなく、最も辛辣(しんらつ)に相手を罵(ののし)る毒舌だった。それならばそこでは、原告被告の両方がそれぞれ選(え)りぬきの悪罵(あくば)によって相手を打ちひしぎ、優位に立とうとする努力の中だけに闘技がある、ということになる。(同)  文化機能としての闘争ということになると、常にそれに制限を加える規則があることが前提であり、またある程度まで、そこに遊戯性が存在している事実を承認することが要求される。戦争についていえば、戦争に加わった一人一人が、互いに相手を平等の権利を有する存在として認め合い、また戦闘が規定の場の範囲内で行なわれる限り、それを1つの文化機能として語ることが可能なのだ。言い換えれば、戦争の文化機能は、戦争の遊戯としての性格にかかっているのである。  「闘争」の概念を広げて、「戦争」も「遊び」の1つと考えることの妥当性がどこまであるのかは疑問である。無論、戦争は、非常に「ゲーム」性に富む。否、「戦争は一種のゲーム」だと言っても過言ではない、否、なかった。戦争が、総力戦となって、日常世界を覆うようになるまでは。 ところが、心の中では敵を人間として認めなかったり、あるいは〈野蛮人〉〈悪魔〉〈異端者〉〈背教徒〉などと呼んで、当然認めなければならない最小限度の人間的権利すら敵に与えなかったりする場合がある。こういう場合には、戦争を惹きおこした集団が彼ら自身の名誉を保つために、自らに対してある種の制約を課するということをしない限りは、その戦争を文化の範囲に加えることはできない。 つい最近までは、社会は互いに相手社会を、〈人間〉の扱いをうける権利を持った〈人間社会〉として承認し、戦争状態に入る時には、それを明確な形――宣戦布告――によって、一方では平和状態から区別し、他方では犯罪的暴力から守るようにしていた。

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(47)裁判は遊戯形式

 このゼウスがはかる(思案考量する)ということは、〈裁く〉 δυκάζειν  ということなのだ。神の意志、宿命、偶然の成行きなどの観念が、ここでは完全に1つに融(と)けあっている。正義の秤――この観念は、確かにホメーロスのイメージから出ている――とは、まだ確かなものになっていない勝利の見込みの秤なのだ。ここでは、まだ道徳的真理の勝利というようなことも、正は邪よりも重いというような思想も語られてはいない。 『イーリアス』第18書の中でうたわれているのだが、アキレウスの楯の上に描かれた絵の1つは、聖域の中に座を占めた審判者たちが行なっている法廷審理の場面を表わしている。聖域の中央には、最も正しい裁きを下したもののために〈黄金2タラント〉 δύo χρυσo ῖo τάλαντα  が置いてある。これは賭け金、あるいは賞金のように見えるかも知れないが、実はこれが、係争の種になっている金額なのであろう。要するに、これは法廷というよりも、籤引き遊戯の場といった方がふさわしい。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 144f ) 詩人は心の裡(うち)に、2人の係争者が、ほんものの秤、つまり神託を授かるための秤の両側にそれぞれ着席している法廷の場のイメージを思い描いていたのである。ところが、このイメージはその後まもなく理解されなくなってしまい、その結果〈タランタ〉は意味の転用によって金の単位と考えられるようになってしまったのだ、と。(同、 p. 145 ) 法律による裁判も、神明裁判も、籤占いや力の試練が最終的な決定を意味している闘技的な裁きを、実際に行なうという事実の中にその根を下しているのだ、と。勝ち敗けという闘いは、もうそれだけで神聖である。しかし、それもひとたび正、不正という定式化された概念が、そのなかに吹きこまれてしまえば、もうそれは法律の領域に押し上げられたのだし、反対に神の力という正の観念の光にあてて見れば、もうそれで信仰の領域へ引き上げられたことになる。しかし、いずれにしても、根源的なのは遊戯形式なのである。(同、 p. 147 )  人が人を「裁く」ことは本質的に許されない。人を裁くためには、「神」の力が必要となる。だから、〈法廷〉という人を裁くための特別な非日常空間を設(しつら)えるのである。成程、「裁判」は、ホイ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(46)籤占い

 われわれは神的な力の意思をいかにして知るのだろうか。今から、どんな運勢がめぐってくるだろうかとか、将来いかなる運命が展開されてゆくだろうかということを知ろうとすれば、われわれは神から何か託宣を引き出さなければならない。では、神託の決定はどのようにして与えられるのか。そのためには、われわれは果して勝つかどうかわからない見込みを験(ため)してみる、ということをする。小さな棒の籤(くじ)を引くとか、石を投げてみるとか、聖書のページの間に穴を穿(うが)ったりするなどがそれである。こうすると、それに対して神託が示されるのだ。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 143)  俗人が神の助けを借りて未来を知ろうなどとすること自体が烏滸(おこ)がましいと言わざるを得ない。が、1つの「遊び」として、例えば神社にて御神籤(おみくじ)を引くといった形で自らの運勢を知ろうとすること、自らの良き未来を神様に期待することは、束の間の「現実逃避」を楽しむこととしてあり得ることなのだろうとは思われる。 「出エジプト記」( 28:30 )で、モーゼは〈汝審判(さばき)の胸牌(むねあて)にウリムとトンミムをいれアロンをしてそのエホバの前に入る時にこれをその心の上に置かしむべし〉と命を受けているが、この〈審判の胸牌〉――それが実際にはどんなものであったにもせよ――が、神の裁きということに関係がある。 この胸牌は「民数紀略」( 27:22 )でも、〈彼は祭司エレアザルの前に立つべしエレアザルはウリムもて彼のためにエホバの前に問ふことを為すべし〉と言われた時、祭司がその身に着けていたものである。同様に「サムエル前書」( 14:42 )には、〈サウルいひけるは我とわが子(ヨナタン)のあひだの籤を掣(ひ)けと即ちヨナタンこれにあたれり〉とある。 すでに神託、賭けごと、裁判の間の関連は、これらの例で、早くも可能な限り明らかな形をとって示されている。また、イスラム教以前の古代異教アラビアも、やはりこの種の籤占いを知っていた。  ところで、『イーリアス』の中で、ゼウスが戦いの始まる前に、人々の死の運命をはかっている聖なる秤も、やはりそれらと同じ意味のものではあるまいか。(同、p. 143f) かくてその時、父神ゼウスは黄金(こがね)づくりの秤皿を調(ととの)へ そが

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(45)裁判は遊戯か?

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神託、神明裁判という概念、籤(くじ)占いによって事を決めるという観念、つまり遊戯による決定ということ――ちなみに、なぜそれらのものを遊戯と言うのかといえば、ある裁定が究極的な力を持ち、覆(くつが)えすことができないということは、その基礎になっているものを遊戯規則であると考えた場合に限って成り立つからである――と、裁判官による裁決という観念とが溶けあって、唯一不可分の複合体を形づくっているような1つの思考領域が、われわれの眼前に浮かび上ってくる。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 143)  〈法廷〉という非日常的空間を「聖域」と「俗域」の境界線上に設置し、「神佑(しんゆう)」によって人を裁く、それが「裁判」というものである。ホイジンガは、「裁判」を1つの「遊戯」と見る。ここでホイジンガの「遊戯」の定義は次のようなものであった。 《遊戯とはあるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行なわれる自発的な行為、もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている。その規則は一旦受け入れられた以上は絶対的拘束力を持っている。遊戯の目的は行為そのものの中にある。それは、緊張と歓(よろこ)びの感情を伴い、またこれは〈日常生活〉とは〈別のものだ〉という意識に裏づけられている》(同、 p. 58 )  この定義からすれば、「裁判」も立派な「遊戯」ということになる。  一方、カイヨワは、「遊び」を次のように定義する。 (1) 自由な活動。すなわち、遊戯者が強制されないこと。もし強制されれば、遊びはたちまち魅力的な愉快な楽しみという性質を失ってしまう。 (2) 隔離された活動。すなわち、あらかじめ決められた明確な空間と時間の範囲内に制限されていること。 (3) 未確定の活動。すなわち、ゲーム展開が決定されていたり、先に結果が分かっていたりしてはならない。創意の必要があるのだから、ある種の自由がかならず遊戯者の側に残されていなくてはならない。 (4) 非生産的活動。すなわち、財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊戯者間での所有権の移動をのぞいて、勝負開始時と同じ状態に帰着する。 (5) 規則のある活動。すなわち、約束ごとに従う活動。この約束ごとは通常法規を停止し、一時的に新しい法を確立する。そしてこの法

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(44)裁判は闘争

審判者の前での訴訟というものは、どんな時代にも、またいかなる事情のもとでも、ひたすら原告被告それぞれの側の、この裁判に勝ちたいという、激しい願望を中心にめぐって行なわれる。してみると、どんな場合にも、そこには闘技的契機は存在しない、と閉め出してしまうことはできないのである。ただそこには、さまざまの制約的な規則体系があって、常にこの闘争を支配しており、訴訟は形式的には、あくまでもよく秩序の整った対立的遊戯という領域でたたかわされるのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 142)  「裁判」は、〈法廷〉という架空された場における「闘争」である。裁判の根拠となる法律には、「自然法」と「制定法」の2種類の法律がある。が、裁判が非日常的なものである以上、根拠となる法律も非日常的なもの、すなわち、自然法であるべきだ。人為的な制定法によって人を裁くことは、俗世において、人が人を裁くことになりはしないかという懸念が生じてしまうのである。詰まり、裁判に用いられる法律は自然法であるべきだということである。ないしは、これまでの裁判で積み重ねられてきた「判例法」を基礎とすべきではないかということである。詰まり、「コモン・ロー」こそが裁判の根拠となるべきだということである。 結局、古代文化においては、現実に法律が遊戯と結びついていたということは、3つの異なった観点から整理し、理解することができるであろう。つまり、訴訟はまず賭けごととして観察することができるが、次に競争として、最後に言葉による闘争として見ることができる。(同)  訴訟とは、正、不正をめぐって勝敗を争う抗争である。ところが、われわれ現代人は、いかに法律に対して関心が薄いものでも、それを抽象的な正義という理念と切り離して考えたりはしない。われわれには、訴訟とは第1に正邪についての論議であり、勝敗は第2の問題にすぎない。そこで、古代の法律を理解しなければならない時に、われわれがまず断念しなければならないのは、まさにこの正邪という倫理的価値についての、ある先入見である。 高度の発達段階にある文明社会のなかで行なわれている法から目を転じて、進歩の遅れている文化段階での訴訟を観察してみると、正邪という観念、すなわち倫理的・法律的思想というものが、いわば勝ち敗けという観念の下におかれている、つま