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ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(43)〈法廷〉なる虚構

古代ゲルマン人の〈民会〉 vierschaar は、まず柵で区画をつくり、その場を祓(はら)いきよめた。こういう法廷は正規の意味をもった魔圏、あるいは遊戯の場、遊戯空間なのであり、その中では人々のあいだの日常普段の階層の差は、一時的に取り払われてしまう。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 140)  現代風に言えば、「法の下の平等」ということである。「法の下の平等」とは、日常世界において、人々は平等であると言っているわけではない。〈法廷〉という非日常世界において、日常世界に見られる人種、信条、性別、身分、門地等の差別はすべて取り払われるという意味である。 エッダ『ロキの口論』の中では、ロキは悪口合戦に赴(おもむ)く前に、合戦の行なわれる場所が〈大いなる平和の場〉であるのを、まず確かめた。英国上院は、根本において、今なお1つの〈法廷〉だが、そのため、もともと何らそこに職責のあるわけはない〈大法官席〉が置かれてある。そしてこれは、〈理論的には議院構内の外部〉にあたるとされている。  裁判官は裁きを行なう前に、もう〈日常生活〉の外に踏み出している。彼らは法服を纏(まと)ったり、鬘(かつら)をかぶったりする。この英国の裁判官、弁護士の服装が、これまでにその民族学的な意味について検討されたことがあっただろうか。とにかく私には、それらの服装と17、8世紀の鬘の流行との関係は、どうも本質的なものではないように感じられる。 元来、それは昔の英国の法律家の徴(しるし)であった〈頭巾〉 coif の名残りなのである。この〈頭巾〉は、最初ぴったりと頭からかぶる白い帽子だったもので、それは今日でも、鬘の下の線に、白い小さな縁飾りとなって残されている。しかし、裁判官の鬘はそのかみの官服の遺物という以上のものなのだ。機能の点で、それは未開人の原始舞踊の仮面と、密接な関連があると見られるからだ。それは、着用者を〈別の存在〉に変えてしまうのである。 (ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 140f )  たとえ裁判官という肩書が与えられていたとしても、所詮は同じ人間であることに違いない。だから、裁判官は、〈法廷〉という仮装された空間においては、非日常世界を装うに相応しい、鬘を被(かぶ)り、法服を纏(まと)うのである。このよ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(42)トポス

 競技について語るものは、遊戯を語るものでもある。どういう種類の競技にせよ、競技には遊戯性など存在しない、と否定したところで、それに十分納得のゆくような理由などあり得ないことは、われわれはすでに見てきた。いかなる社会も、裁判に対して神聖さを求めないものはないが、それでいて今なお、法律生活のあらゆる種類の形式の中に、聖なるものという領域にまで高められた遊戯的なもの、競技的なものが、ちらちらとその本性を覗(のぞ)かせているのが見いだされる。 裁判が行なわれる場所は〈法廷〉である。すでに『イーリアス』の中には、アキレウスの楯の上に裁きの長たちが描かれていたことがうたわれている。そこで言われている〈聖域〉 ιερός κύκλος というもの、これがはや、言葉の最も完全な意味での法廷なのだ。法の裁きが告げられる場所は、すべて真の〈神苑〉 temenos であり、日常の世界から遮(さえぎ)られ、特別に柵で囲われ、奉献された場なのだ。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 140 )  本来、人が人を裁くことなど許されない。人を裁けるのは超越的存在たる「神」だけである。が、だからといって、罪を犯した人間をそのまま放置してよいわけはない。だから、人が人を裁けるように、「特別な空間」を設(しつら)えるのである。それが〈法廷〉である。 《〈象徴的なものとしての場所〉…これは端的にいって、濃密な意味と有意味的な方向性をもった場所のことである。そしてそれをよく示すのは、世俗的な空間と区別された意味での聖なる空間、神話的な空間である。そのような聖なる空間は、いくつかの核となる場所を含んで成立し、その核となる場所は山頂や森の中などから聖なる場所として選び出され、世俗的な空間から区別される。そして聖なる空間はそのまとまりをもった全体性からおのずと宇宙論的性格を帯び、宇宙の似姿のかたちをとることが多く、したがってかつては、都市や家屋がそのような自覚のもとにつくられたのであった。(ゲニウス・ロキ)つまり土地=場所の精霊というのは、濃密な意味をもった場所がかもし出す独特の雰囲気を、そこに棲む精霊として捉えなおしたものである》(中村雄二郎『述語集』(岩波新書)、 pp. 143f )  〈法廷〉は、「聖なる領域」と「俗なる領域」の間に特別に設えられた「非日常世

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(41)法律と遊戯の類縁

一見したところ、法律、法令、裁判の世界は、遊戯のそれからはるかに遠く隔たって見える。現に、神聖なまでの厳粛さとか、個人や個人の属する社会の死活の利害関係とかが、法律、裁判といわれるものすべてを支配しているではないか。 それでは、法律、正義、法令などの概念を表わした言葉の語原的基礎はどういうところにあるのか。それは主として、物事を定立し、確立し、指定し、蒐集(しゅうしゅう) し、保持し、秩序づけ、またそれを受容し、選択し、分割し、平衡に保ち、結合し、習慣づけ、確定する、というような意味分野の上にある。こうしてみると、これらの概念はすべて、遊戯を言い表わす言葉が登場する語義的領域とは、かなり対蹠(たいせき)的である。しかし、われわれがずっと観察しつづけてきたことだが、ある行為の神聖さ、真面目さということも、決してその行為から遊戯性を閉め出すものではなかったはずである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 139) ※対蹠:向かい合わせた足の裏(=蹠)のように、正反対の位置関係であること 。  法律と遊戯のあいだには類縁がある(同)  社会の中で人々が活動するには、守らなければならない「法律」がある。「法律」には、「自然法」( law )と「制定法」( legislation )があり、ここで言う法律とは後者の方である。また、「遊び」においても、守らなければならない「決まり」があるということだ。 このことは、そもそも法の理念的基礎とは何かというふうな問題とは無関係に、われわれが法の実際的行使の状況に対し、換言すれば、訴訟に対して目をむけたとき、そこに競技の性格が高度に固有のものとして具わっていることに気づけば、すぐに明らかだろう。競争と法が形成されてゆく過程とが関連していることは、前に〈ポトラッチ〉の記述に際して触れておいた。ダヴィもかつて、ポトラッチを、純法制史的な側面から協定や義務の原始的制度の起源として取り扱っていた。  ギリシア人の間では、法廷での両派の抗争は一種の〈討論〉と見なされていた。それは神聖な形式をふみ、厳しい規則に従いながら、抗争する2派が審判者の裁きを呼び求める闘争であった。訴訟は競技であるというこの考えは、時代が発展してから後の所産であるとか、競技という概念を比喩的に仮託して用いているのだ、と看なすことはで

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(40)追求する本性?

われわれは、地球上あらゆる地域に、どれをとっても完全に一致する多くの闘技的な考え方や慣習の複合体が、古代の社会生活の分野を交配していたのを見た。明らかに、それらの競技のさまざまの形式は、いかなる民族も固有な形で持っている独特な信仰の観念とは無関係に成り立っている。この同種性(遊戯がいかなる民族の中でも、同じ観念、形式となって現われているということ)に対する一番尤(もっと)もらしい解釈は、こうであろう。われわれ人間は、常により高いものを追い求めている。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 133)  ホイジンガの「遊び」についての考察は、目を見張るものであることは間違いない。が、<われわれ人間は、常により高いものを追い求めている>と一般化されると、本当にそうだろうかと私には少なからず疑問が湧く。果たして、人は常により高いものを追い求め「遊ぶ」のだろうか。成程、「遊び」が洗練され文化として昇華することもあるだろう。が、それは<常により高いものを追い求めている>からではなく、ただ単に遊ぶことの1つの結果に過ぎないのではないかと思うのである。 それが現世の名誉や優越であろうと、または地上的なものを超越した勝利であろうと、とにかくわれわれは、そういうものを追求するという本性を具(そな)えている。この本性そのものがその同種性の原因なのだ、と。そしてこの努力を実現するために、人間に先天的に与えられている機能、それが遊戯なのだ。(同)  「遊び」を通して<名誉>や<勝利>が得られる人は極限られている。にもかかわらず、多くの人が「遊び」続けるのは、「遊び」そのものが楽しいからであろう。詰まり、人は、<優越>や<超越>といったものを求めて「遊ぶ」というよりも、「遊び」そのものを楽しんでいるのではないだろうか。人に<名誉>や<勝利>、<優越>や<超越>を追求する「本性」があると結論するのは牽強付会(けんきょうふかい)のように思われる。※牽強付会:道理に合わないことを、自分に都合のいいように無理にこじつけること。  そこで、もし今までわれわれが目にとめてきた多くの文化現象の中で、ほんとうに遊戯という特性が根源的なものであるならば、遊戯のすべての形式――ポトラッチ、クラ、交唱歌、悪口合戦、自慢競争、血腥(ちなまぐさ)い真剣勝負などのあいだに、厳しい境

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(39)「遊び」は根源的

 しかし、問題の出発点は、いろいろな形の遊戯の中で現実の行為に置き換えられる遊戯する心というものなのだ。つまり規則によって定められ、〈日常生活〉から離れて、リズム、交代、規則正しい変換、対照的クライマックス、ハーモニーなど人間の天賦(てんぷ)の欲求を繰りひろげさせることのできる行為の中に表わされた遊戯態度、殆(ほと)んど子供っぽいくらいの遊びの心という観念でなければならないはずだ。 この遊戯心というものと組み合わされるのが名誉、威信、優越であり、美をめざす精神である。すべての神秘的、呪術的なもの、英雄的なもの、ミューズ的なもの、論理的なもの、彫塑(ちょうそ)的なものは、気高(けだか)い遊戯の中に形式と表現を探り求めている。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 131f ) 文化は遊戯として始まるのでもなく、遊戯から始まるのでもない。遊戯の中に始まるのだ。(同、 p. 132 )  要するに、「遊び」は根源的ということだ。 文化の対立的、競技的基礎はあらゆる文化よりさらに古い遊戯の中に、そしていかなる文化よりさらに根源的な遊戯の中におかれているのである。しかし、われわれの話を初めに戻して、ローマの遊戯(ルーディ)にかえろう。ラテン語は祭儀的競技を、ただ単に遊戯と呼んでいたことは前に述べたが、このことこそ、可能な限り純粋な言い方で、この文化要素の特性を表現している、と言わなければならない。(同)  いかなる文化の場合にも、その生成発展の過程の中で、闘技的機能、闘技的構造は早くも古代期のうちに、その最も明晰な形をとってしまったし、また、その殆んどが最も美しい形をも見出してしまった。文化の素材がだんだん複雑になってゆき、いろどりゆたかになり、繁雑になってゆくにつれて、あるいは営利生活、社会生活の技術が、個人的にも集団的にも、細かな点までくまなく組織化されてゆく程度が進むにつれて、古い文化の根源的な地盤の上に、遊戯との接触をもう全く見失ってしまったような多くの理念、体系、観念、学説、規範、知識、風習の層が、しだいに厚く積ってゆく。こうして、文化はますます真面目なものになってゆき、遊戯に対してはただ二次的な役割をしか与えなくなる。闘技的時代は去っていった――いや、去っていったらしく見えるのだ。(同)  「遊び」は根源的である

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(38)闘技から遊戯への堕落

 まずブルクハルトによってとられた後、さらにエーレンベルクに引き継がれた見方に従えば、ギリシア社会は――原始時代につづいて英雄的時代をへた後、ただ副次的に――一切を支配する社会的原理としての闘技的なものへ向かって進んでゆく、というのであった。これは、ギリシア人が生きるか死ぬかという戦争によって、そのすぐれた力を使い尽してしまったからだ、というわけである。それは〈闘争から遊戯へ〉という移行であり、従って一種の堕落である。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 131)  私は、古代ギリシャ史に詳しくないので、立ち入らないが、気になるのは、「闘争」から「遊戯」へと堕落したというのが引っ掛かるだけである。果たして、「闘争」と「遊戯」はそのような上下関係にあるのだろうか。「闘争」には、「遊戯」的側面と「非遊戯」的側面が存在すると考えられる。詰まり、「闘争」は「遊戯」と重なり合う部分があるのだから、どちらが上でどちらが下かを言えないということである。 闘技が隆盛を極めるということが、やがて長い年月の後には堕落へ通ずる結果になるのは、たしかに疑いようもない。闘技が現実には無意味であり、無目的な性格のものだということは、結局のところ、〈生活、思考、行動におけるすべての困難を回避するということ、あらゆる外部からの規範に対する無関心ということであり、国民の力を、ただこの勝つということだけに振りむける濫費である〉。(同)  例えば、生死を賭けた「闘争」から、娯楽的「闘技」へと変質したとすれば、それは「堕落」であろう、ということなのだろうか。が、野蛮な「闘争」から、洗練された「闘技」への変貌は、果たして「堕落」と言えるのか。実際、「堕落」かどうかを決めるのはそれほど容易なことではない。 この文葦の終りの方には、たしかに当たっているところが多い。だが、現実にさまざまの現象が起こってきた順序は、エーレンベルクが仮定したのとは異なった道を辿(たど)っている。われわれは、闘技的なものが文化に対して持っていた意味を示すのには、全く違った言い方をしなければならないのだ。それは〈闘争から遊戯へ〉という移行でも、〈遊戯から闘争へ〉というのでもない。ただ、〈遊戯的競争の中にある文化〉というものへ向かっての発展なのだ。ただしその際、時には競技が文化生活を凌(しの)いで

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(37)礼節競争

 貴人はその〈徳〉を、実際に力、器用、勇気の試練によって、また才知、知恵、技芸によって、あるいは財産、寛仁(かんじん)大度(たいど)などによって示してきた。しかし結局のところ、それは言葉による競争によってもできることである。つまり、競争相手よりも擢(ぬき)んでたいと思う徳を、予(あらかじ)めみずから自讃したり、後から詩人や先触れ役によって讃美させたりして競うのである。 この自分の徳を自讃するということが、競技の形式として、敵方を侮辱するということに移行していくのは、まことに自然なことだ。そしてそういう侮辱も、競技に固有の形式をとるようになる。これら自慢や悪口の競技が、まことに多くの、異なった文化の中で、いかに特殊な役割を占めていることであろう。これは注目に値する。男の子たちの間にもそういうものが認められる。だから、彼らの振舞いを想い起こしてみれば、こういう悪口合戦を遊戯形式の1つと性格づけるには十分であろう。  ある意図をもって行なわれる自慢や悪口の競技は、武器によって闘う真剣勝負の口火を切ったり、闘いのあいだそれに伴って続けられたりする虚勢的な大言壮語と、必ずしもきっぱりと区別されるものではない。古代シナの文献に記録されているような野戦をみると、それは大言壮語、雅量、会釈、無礼などの絡(から)まりあった混合物である。それは武器の力による闘いというよりは、むしろ道徳的武器を用いてする競技であり、お互いの名誉の衝突なのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 118 )  シナでは名誉のための競争が、それ以外のあらゆる可能な形式のものと並んで、礼節における競い合い、という極めて特殊な形をとることがある。(同、 p. 119 )  日本人なら、しばしば礼節を競い合う場面に遭遇したことがあるだろうし、それが日本人としての「美徳」であることに異論はないだろう。 これは〈ひとに屈する、ゆずる〉というほどの意味の〈譲〉という言葉で示される。敵にその場を譲って明け渡したり、先行を許したりする高潔な態度によって、かえって敵を圧倒するのだ。この礼節における競争がシナのように定型化されたところは、おそらく他にはないのだが、しかし、それはもともと、地上至るところで見られるものだったのである。(同、 pp. 119f )  が、昨今の

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(36)ノブレス・オブリージュ

 美徳、名誉、高貴、さらに栄光は、従って、はじめから競技の、つまり遊戯の圏(かこい)の中に立っているのである。高貴の生まれの若い武士の生涯は、徳をみがく不断の試練であり、またその高貴の身分の名誉をめぐっての絶えまない闘争なのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、pp. 116f)  言い換えれば、「ノブレス・オブリージュ」(高貴なるものは義務を負う)ということであろう。高貴なる家柄に生まれたが故に、日々徳を磨き続けねばならないし、名誉を傷付けるようなことをしてはならないということである。 ホメーロスの『イーリアス』の中にある〈常に最強の勇士となり、他の者らに擢(ぬき)んでよ〉という句は、この理想を余すところなく言い表わしている。この叙事詩の関心は、戦闘行為そのものにあるのではない。むしろそれは一人一人の英雄の〈武勲〉 ά proteíα というものにあるのだ。  貴族生活が形成されてゆくことによって、国家の中での、国家のための生活ということを目ざす教育が発達した。しかし、そういう意味関連の中でも、〈徳〉(アレテー)はまだ純倫理的な響きを持つには至っていない。それは依然として、ポリス社会の中の仕事に対する市民の適応能力ということであった。競技による訓練という要素は、そうなっても、まだもとの意味を失いはしなかった。  貴族というものは、徳の上に立つことによって初めて成り立つという理念は、そもそもの初めから、このことに関するすべての考えの中に含まれていたのである。ただ、この徳という概念は、文化が進歩の度をすすめてゆくのに応じて、だんだんと変化をとげ、別の内容のものになっていった。つまり、倫理的、宗教的な、より高いものへ昇華していったのである。 こういう徳を充たすためには、かつてはただ勇敢に振舞い、己の名誉を外に表わして主張しさえすればよかった貴族も、生き方を変えねばならない。彼らが自分の仕事に、そして自己自身にあくまでも誠実であろうとすれば、その騎士道の理想そのものの中に倫理的な気高い実質を取り入れるか〈ただし、これも現実には全く惨憺(さんたん)たる結果に終るのだが〉、あるいは、ただきらびやかに華やいだ虚飾とか宮廷風な儀礼にひたって、その高貴の位と汚(よご)れない名誉の外観の見せかけを養うことで足れりとするか、そのどちらかを

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(35)報酬としての名誉

 部族の武士的、貴族的な基礎の上に立って生活を形成してゆこうとする古代的発想の中からは、それがギリシアであれ、アラビアであれ、日本であれ、中世キリスト教国であれ、必ず騎士道、騎士精神という理想がその華を咲かせている。そして、この徳の男性的理想というものは、原始的な名誉の主張、つまり外に向かって己れを見せつけようとする名誉の承認、主張と常に分かちがたく結びつくのだ。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 116)  アリストテレースでも、名誉はまだ美徳の賞と呼ばれている。(同) 《名誉とは卓越性ないしは徳に対する報償なのであって、それは善きひとびとに配されるものである》(アリストテレス「二コマコス倫理学」第4巻 第3章:『世界の大思想4』(河出書房新社)高田三郎訳、 p. 87 ) 彼の思想はもちろん古代文化の水準をはるかに超えて高いものであったが、彼は名誉を美徳の目的、もしくは基礎とはせず、美徳の自然の尺度と見做(みなみな)している。〈人々は、自分に固有の価値があり、美徳があると自ら信じたいために、名誉を追い求める。彼らは思慮深い人々から、彼らの実際の価値に基づいた敬意を払われたいと願って、名誉を求めるのだ〉と。(ホイジンガ、同) 《たしなみのある実践的な活動をしているひとびとになると、名誉がすなわち善であり幸福であると解しているらしい。政治的生活の目的は名誉にあるようなものだから。しかしながら、名誉もわれわれの求めている「善」に比してはより皮相的なものであると見られる。何故なら、名誉はこれを与えられるひとによりも、むしろこれを与えるひとにかかっていると考えられるに反して、われわれの想定するところによれば「善」とは何らか本人に固有な取り去ることのむずかしいものでなくてはならないからである。のみならず、彼らが名誉を追求するのは、自己が善き人間であることを信じたいからのようである。 彼らは、だから、名誉を、思慮あるひとびとから、自分を知っているひとびとにわかるような仕方で、自分の卓越性のゆえに与えられることを求めるのである。それゆえ、少なくとも彼らに従えば、卓越性がよりよきものであることは明らかである。ひとは、だから、あるいはむしろ政治的生活の目的は卓越性にあるのだと解しようとするかもしれない。卓越性も、しかし、究極的なものたるこ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(34)〈徳〉(アレテー)

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いかなるものでも、その種に固有な〈徳〉(アレテー) άρετή  を持っている。馬にも犬にも、目口にも、斧や弓にも、みなそれぞれに固有の徳というものが存在する。力と健康は肉体の徳である。聡明と識見とは精神のそれである。語原的には〈徳〉という言葉は〈最善のもの(アリストス)、最も秀でたもの〉 άριστος と関係がある。貴人(アリストス)の徳とは、彼に闘ったり、命令を下したりする能力を与える性質のことである。ほかにも、その性格からいって、貴人の徳に属するのは物惜しみしない寛仁大度(かんじんたいど)とか、知恵、公正とかがある。多くの民族において、美徳を表わす言葉が雄々しさ、男らしさという観念から発していることは全く自然なことだが、例えばラテン語の〈ウィルトゥース〉 virtus  は、事実非常に長いあいだ、キリスト教思想が優勢になるまで、勇気という意味を主なものとして保っていた。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、pp. 115f)  〈徳〉(アレテー)に当たる英語は virtue であるが、これはラテン語の virtus から派生したものである。  同様のことは、アラビア語の〈ムルア〉 muru'a についても言える。もともと男、男らしさという意味だが、この言葉もギリシア語の〈徳〉に非常によく似通っていて、力、剛気、富、自分の仕事をよく果たすこと、良風美俗、都雅、上品、度量、寛大、そして遺徳的無垢などの語義の複合したものまでを含蓄している。(同、 p. 116 )  アリストテレスは、〈徳〉(アレテー)について、次のように言っている。 《すべて「徳すなわち卓越性」(アレテー)とは、それを有するところのもののよき「状態」を結果しそのものの「機能」をよく展開せしめるところのものであるといわなくてはならない。例えば眼の「アレテー」(卓越性)は眼ならびに眼の機能をよきものたらしめるというごとく――。というのは、われわれは眼の卓越性によってよくものを見ることができるのであるから。同じように、馬の「アレテー」は馬をしてよき馬たらしめ、すなわちよく走り、騎乗者をよく運載し、よく敵に対して踏みとどまらしめる。もし、それゆえ、あらゆるものについて同様のことがいえるとするならば、人間の「アレテー」とは、ひとをしてよき人間たらしめるような

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(33)日常世界の第一人者

 ローマ時代には、公共遊戯 ludi publici というものが催されていたが、その度はずれな奢侈(しゃし)贅沢(ぜいたく)ぶりは、史家ティトゥス・リウィウスをして、狂気じみた競争への堕落である、と慨嘆させるほどのものであった。クレオバトラーは、彼女の真珠を酢に溶かしてみせることによって、マルクス・アントーニウスに対して勝ち誇った。ブルゴーニュ公国のフィリップ善良公(ぜんりょうこう)は、その宮廷貴族たちによって開かれた連日の大饗宴(だいきょうえん)に冠(かん)するものとして、リールで(雉子(きじ)の誓約)祭を催した。またそうかと思うと、大学生たちは、恒例の記念祭の時などに、ガラス器具の儀式的粉砕をやってのけたりする。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 113)  これらはみな、敢えて言えば、まことに明快なポトラッチ本能の表現であるといえよう。しかし私の見解としては、ポトラッチそのものを、人類の根本的な欲求のうちの最も高度に発達した、最も明確な形式のものと見なした方が、より正しく、また簡潔ではないかと思う。私はこれを、名誉、声望を求める遊戯と呼びたい。 ポトラッチのような術語は、一たび科学的用語の中に受け入れられてしまうと、たちまち符牒(ふちょう)にされやすく、人々はこの言葉を使いさえすれば、もうそれである現象の説明がついたように思って論議をやめてしまいがちな、そういう言葉の1つなのである。(同、 p. 113 )  子供の生活から最高の文化活動に至るまですべてを通じて、1つの願望が働いている。それは自分の優秀さを認められて、人から褒(ほ)められたい、名誉を享(う)けたいという願望であり、これが個人や個人の属する集団が自己を完成しようとするときに働く最も強い動機の1つになっている。 人々が互いに相手を褒め合うのは、自分自身を褒めることである。人々は自分の美徳を讃えられて、名誉を享けようと求めている。何事についても、自分はそれを首尾よくやってのけたのだ、という満足感を欲している。何かをうまく成し遂げたということは、他人よりも立派にやってみせた、という気持を意味する。第一人者になるためには、自分が第一人者であることを、外に現わして見せなければならない。第一人者であると証明しなければならない。この優越性の証明を与えるのに役立つ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(32)優勝劣敗

闘いに勝つことこそが、物事の成行きに影響するのだ。いかなる勝利も、勝利者に悪に対する善の力の凱歌(がいか)を与え、それと共に勝利を獲ちとった集団の幸福を現実化させてやる、つまりそれを本当に実現させるのである。だから、力技、技能、才知などによって結果が決定される遊戯と同じように、純粋な賭けごと、働きを意味し、またその力を規定しているのだ。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 105)  が、優勝劣敗という考え方に憑(と)りつかれてしまうことで、「遊び」の世界は変容を来(きた)すに違いない。 ポトラッチと呼ばれているもの、及びそれに類似した総ての行事は、相手に勝つため、優越するために催される、名声や声望を得るために行なわれる、ということである。また言うまでもないことだが、復讐のためにそれが行なわれる場合もある。祭儀の主催者がただ1人だけの時でさえ、常に2つのグループが対立し、しかもそれが、同時に敵愾(てきがい)心と共同の精神の2つによって結びつけられる。 この相反併存的(アンビバレント)な態度を理解するためには、われわれはポトラッチの本当の意味は、前に言ったように、この行事で勝利者になることである、とよく認識しなければならない。両派は、富とか支配のために争うのではない。ただ自己の優位を誇る喜びのために――一言でいえば、栄光のために争うのだ。(同、 p. 110 )  が、勝利者になることが目的となった時点で、それは最早「遊び」ではなくなってしまっている。  ポトラッチと呼ぶことのできる複合体すべての中で根源的なものは、私には闘技的本能だと思われる。共同体の遊戯、これが初めにあったのだ。人間の集合体、または個人としての人間が、それを少しずつ高い段階へと押し上げていったのである。こうしてそれは真面目な、運命的な遊戯となり、時には血腥(ちなまぐさ)い遊戯、神聖な遊戯ともなる。しかし、遊戯であるというそのこと自体には何の変わりもない。それら総てが遊戯であるといってよいことを、われわれは十分に見てきたつもりである。(同、 p. 112 )  果たしてそうだろうか。それが「一時的」な「非日常世界」である限りにおいて「遊び」と言って良いだろう。が、勝利至上主義は、「遊び」の勝敗がついた時点で終了せず、勝敗がその後の世界に及ぼす影響を目

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(31)生活にとって主か従か

 世に行なわれている表現の中で、直訳的にいえば(ルーレット板で賭博を遊戯する)とか(株式取引所で遊戯する)と訳されるようなものがある。遊戯と真面目の境界の曖昧さを、これほど強く言い表わしている例は他にない。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 100)  実際問題として、真面目に「遊ぶ」ことは可能である。そうだとすれば、遊戯の対義語が真面目だと言うことは出来ないに違いない。詰まり、遊戯-真面目を対比させて考察するのは大いに誤解を招くということである。したがって、これ以降は、「遊戯か遊戯でないか」で考えることにしたいと思う。  さて、冒頭の「賭博」と「投機」の例が、「遊戯」に当たるかどうかの基準は、極めて曖昧であることは確かであろう。 ところで前者、ルーレット板の賭博師は、彼のしていることが遊戯であるとすぐ認めるであろうが、第2の相場師ではそうはゆくまい。値上り、値下りという不安定な先行きを見込んでの売り買いは、〈職業生活〉の一部であり、社会の経済的機能の一部と見なければならない。しかし、今言ったどちらの場合にも決定的なのは、利益、儲けを得ようとする努力である。ただ一般に、前者では運という純粋な偶然性が、非常に大きいとはいえないまでも、十分にありうる。実際、そこには勝つための〈システム〉があるのだ。これに対して後の場合では、相場師は、おれは市場の今後の趨勢を見抜くことができるのだ、という何か幻想めいたものを自分で創りあげている。とにかく、両者の心構えの差は、きわめて僅(わず)かなものである。(同)  一般的に、「賭博」は、主従関係ということで言うならば、生活にとって「従」であろうと思われるが、「投機」は「主」であることも「従」であることも有り得るので、「遊び」かどうかの線引きは難しいわけである。が、いずれにせよ、生活にとって、それが「従」でなければ、「遊び」と言えないのではなかろうか。  注目に値するのは、いずれ希望は充たされるだろうと見込みをつけて行なわれる、この2種類の商取引、協定は、直接に賭けごとから発生して来たものであることだ。そこで、ことの関連からいって、この場合、根源的なものは遊戯なのか、それとも真剣な利害関係の方なのか、という点が問題になってくる。(同、 p. 101 )  根源的かどうか、あるいは、真剣

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(30)勝利至上主義

どんな競技でも、単に何かあるものを〈求めて〉行なわれるだけでなく、ある事柄〈について〉、ある手段〈によって〉、あるものと〈対抗して〉行なわれている。人々は力や技、知識や富について競い、金離れのよさとか、幸福の程度について争い、さらに家柄や子孫の数についても〈一番〉になろうとして競争する。 肉体の力や武器によって、知恵や握り拳によって争う。浪費ぶりを見せびらかすことによって、自分の自慢や他人の悪口で大言壮語することによって、賽筒を振ることによって競い合う。遂には互いに対抗し、張り合って悪知恵や欺瞞によって相手に勝とうとする。 ところでわれわれ現代の感情からすれば、悪知恵やごまかしを用いるならば、競技の遊戯的な部分は故意に破壊され、遊戯は遊戯でないものになってしまうではないかと感じられる。遊戯の精髄は、何といっても規則を守るということにあるのだから。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 99 )  「遊び」が競技化し、「遊ぶ」ことよりも「勝つ」ことが優先されることになってしまえば、それは最早「遊び」ではなくなってしまう。「遊び」には独自の「決まり」がある。が、「勝つ」ことが至上命令となれば、この「決まり」はあっさりと反故(ほご)にされてしまうに違いないのである。  しかし、古代文化というものは、当時の民衆の感情もそうなのだが、われわれの道徳的判断とは少しも合致しないのだ。兎と針鼠(ハリネズミ)の寓話では、主人公の役は欺(あざむ)いて勝った方が占めている。神話の英雄たちの多くは、瞞着(まんちゃく)をしたり、外からの助けを借りて勝っている。(同)  戦いに勝った方が生き残り、勝者が歴史を作る。善悪の問題よりも、勝敗の方が優先されるのが現実だということである。だから、子供が読む寓話にも勝つことの大事さが扱われ、欧米人の魂の源たる神話においても、勝者の物語が紡(つむ)がれるのである。  これらすべての場合、相手の裏をかく、欺瞞(ぎまん)ということそれ自体が改めて競争の主題となり、いわば1つの遊戯の形をとっているのである。すでに述べたように、この欺瞞の遊戯者は〈遊戯破り〉ではない。彼は遊戯規則をちゃんと守ってやっているかのような振りをしながら、そのごまかしを取り押えられるまで、みなと一緒に遊戯しつづけている。(同、p. 100)

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(29)仕事と遊戯の対立

〈値段〉(price)と〈賞、称讃〉(prize, praise)の間には、いわば真面目と遊戯の間の対立がある、といってもよい。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 98)  が、ホイジンガ自身が言っているように、真面目と遊戯を対立させるのは疑問である。ホイジンガは、別のところでこれらの言葉を詳説している。 ラテン語の〈プレティウム〉 pretium は、価値、金、報酬などの意味だが、語原的には、はじめものを交換する、価を計る、という意味領域にあらわれ、〈…に対していくら〉という対応関係を前提とした言葉であった。中世には〈市場価値〉 pretium justum などという言い方もあったが、その一方、この言葉は遊戯の領域にも移して用いられた。 価値がある、尊敬に値するというところから、それは賞、讃美、名誉をも意味することができるからである。英語の price 、 prize 、 praise 、ドイツ語の Preis 、オランダ語の prijs 、これらはいずれもそれにさかのぼる言葉だが、それはいくつかの違った意味方向に発展していった。 英語の例でいうと、〈価格〉 price は殆んどもとの経済領域に止まっているのに対し、〈賞〉 prize は遊戯や競技の世界に移動している。そして〈賞讃〉は、専らラテン語〈称讃、讃辞〉 laus に対応する意味に限られた言葉になっている、というふうである。  とにかくしかし、価値、賞、勝利、利得、儲け、報酬などの言葉の意味範囲を、意味論的に純粋に、明確に弁別することは殆んど不可能である。ただし、遊戯領域の全く外にあるのが報酬である。それは奉仕を果たし、労働を行なったことの正当な報いということだからだ。この報酬を求めてすること、それは仕事であって、遊戯ではない。(同、 pp. 97f )  仕事と遊戯の対立は、   All work and no play makes Jack a dull boy. (よく遊び、よく学べ) などという諺からも分かる。鍵となるのは、「報酬」( price )である。(注: price は「価格」ではなく「報酬」と訳出すべきだろう)  「報酬」の有る無しが、仕事と遊戯の対立となる。 情熱や冒険の要素、勝利や利益への期待の要素は、遊戯にも経済的事

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(28)闘争本能

 勝つとはどういうことなのか。何が勝たれるのか。――勝つということは、(遊戯の終りにあたって、自分が優越者であることを証明してみせること)である。ところが、実際問題としては、こうしてはっきり示された優越性の効力が押し広げられて、遊戯で勝った人が世上全般にわたって秀れているというふうに誇張される傾向がままあるものだ。そうなると、これは何か、遊戯そのもので勝った以上に勝ったということになる。すなわち、勝者は尊敬を得、名誉を帯びるのである。そしていつもこの名誉と尊敬は、すぐさま勝者の所属しているグループ、関係者の全体に及ぼされてゆく。この点にも、遊戯のまた別の、まことに重要な特性がある。遊戯で獲ちとった〔→勝ち取った?〕成功は、すぐに個人から集団へ移され、しかも、それが盛んに行なわれるのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 96)  非日常における「遊び」での勝敗は、本来、非日常におけるものであり、「遊び」が終了すれば、それで消えてなくなるものであるはずである。が、実際は、勝敗が日常世界にまで影響を及ぼすことが少なくない。勝者は名誉を獲得し、世間から尊敬の眼差しで見られる。更にそれは、関係する人々や集団へと波紋を広げて行くのである。 競技本能とはまず第1に、力に対する渇望とか、支配しようとする意志とかをいうのではない、ということだ。根源的なのは、他人よりも擢(ぬき)んでたいという欲望であり、第一人者になりたい、第一人者として尊敬を受けたい、という願望なのである。勝利の結果として個人、またはグループの力が拡大するとかしないとかは、第2に生ずる問題にすぎない。中心問題は〈勝った〉というそのことである。(同)  「競技本能」と言うよりも「闘争本能」と言った方が分かり易いかもしれない。闘いに勝たねば生き残れないという太古の峻厳(しゅんげん)な環境がDNAに刻まれてきたのである。勝つこと、それは、人間に課せられた「至上命令」なのである。  闘争や遊戯は、何かあるものを〈求めて〉行なわれる。そして、われわれが閥争し、遊戯する目的の最初にあり、かつ最後に来るのが勝つということである。しかしこの勝利には、それを楽しむためのありとあらゆる方法が結びつくのである。例えば、まず勝利の華々しい誇示とか、仲間から喝采や覚語の言葉で祝福される凱旋(が

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(27)遊戯の本質

 文化と遊戯の関連を見つけ出そうとすれば、特に社会的遊戯のかなり高級な形式のものの中に、それがあるらしいことは明らかであろう。そういう社会的遊戯が成立するのは、ある集団、またはある共同社会の秩序整然とした活動の中とか、2つの対立し合う集団の間とかである。一個人が、自分ひとりのためにする遊戯が文化を実らせる力は、ただ限られた程度のものでしかない。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 90)  すでに示しておいたことだが、遊戯の基礎因子は、個人的遊戯の場合にも団体的遊戯の場合にも、闘うこと、演技すること、見せびらかすこと、挑みかかること、誇示すること、それを本当に〈しているかのように〉佯(いつわ)ることなどである。しかし、遊戯行為に制限を加える規則の存在をも含めて、これらの行為はすべて、動物の生活の中にすでに見いだされるものだ。このことも、前に示唆しておいた通りである。 系統発生学的にみれば、人類とは遠く隔たっている鳥類がかえって、それらの行為を人類と多く共通して示していることは、それだけにむしろ注目に値しよう。黒雷鳥は踊りを演じてみせるし、鶴は翔(か)け比(くら)べをやる。ニューギニアの極楽鳥やその他の鳥は、その巣を飾り立てるし、蹄禽類はその旋律を響かせる。こういうふうに、競争とか誇示ということは、慰みごと、楽しみとして文化の中から発達してくるのではない。むしろ、文化に先んじているのである。(同、 pp. 90f )  ほかのどんな遊戯もそうなのだが、競技もやはりある程度までは、目的を欠いたもの、と言わざるをえない。つまり、それはそれ自体の中で始まり、かつ終る1つの完結体であり、その結果いかんは、そのグループにとって必要やむをえないものである生活過程とは何らかかわりがない。(同、 p. 94 )  要するにこれは、〈何かやっている〉ということなのである。まことにこの言い方の中には、遊戯の本質が最も簡潔に言い表わされている。しかし、この〈何か〉は遊戯行為の物質的帰結ではない。例えば、ゴルフ・ボールがホール・イン・ワンした、ということでなくて、遊戯が成功した、あるいはうまくいったという観念的事実である。この〈成功〉が、遊戯者に対して長短の差はあっても、暫(しばら)くの間は持続する満足をもたらすのである。(同、 p. 95 )

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(26)遊びと文化

 生活上の必要を直接満たすことを目ざした行動――例えば狩猟――でも、原始社会の中では好んで遊戯形式をとっていた。原始人の共同体の生活に、動物よりも価値の高い、単なる生物的なものを超えた特性を保たせていたもの、それがさまざまの形態の遊戯である。この遊戯の中で、共同体は生命と世界に対する彼らの解釈を表現した。 といっても、それは遊戯が文化にいきなり転化したとか、文化に置換された、というふうに理解してはならない。むしろ、文化はその黎明(れいめい)のころの根源的な相の中では、何か遊戯的なものを固有の特質として保っていた、いや、文化は遊戯の形式と雰囲気の中で営まれていた、ということなのだ。この文化と遊戯が重なり合った複合統一体の中では、遊戯の方が根本的な原初にあったもの、客観的に認識できるものであり、具体的にはっきり規定される事実であるのに対して、文化とは、ただわれわれの歴史的判断が、この与えられたものに対して名づけた名称でしかないのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 89f )  「遊び」とは、只一回こっきりでも遊びだし、独りでやっても遊びである。一方、「遊び」が「文化」と称されるには、先ずその「遊び」を共有する集団が必要である。そして、その集団の中で、その「遊び」が繰り返され、それが構成員による評価が定着することで「文化」となる。  文化が進歩発展していくにつれ、われわれが遊戯と遊戯ではないものとの間にもともと存在していたと仮定しておいた根源的な関係も、変わらないではない。たいてい遊戯要素は少しずつ後退してゆき、その大部分は宗教儀礼的な領域に吸収されてしまう。またそれは知識として、詩文として、法律生活や各種の形の国家生活として結晶する。ここまでくると、文化現象の中の遊戯的なものは、全く残すところなく背景に隠れてしまうのが一般である。だがどんな時代でも、いや、たとえ高度の発展を遂げた文化形式の中でさえも、どうかしたはずみに遊戯衝動は力いっぱい動きだし、個人や大衆を駆りたてて、壮大な遊戯の陶酔に引きずりこむことがある。(同、 p. 90 )  果たして、宗教儀礼の大元(おおもと)が「遊び」と断定してよいのかどうかは議論の分かれるところかもしれない。が、仮にそうだとして、「遊び」が発展し、それが宗教儀礼として定式化するにつ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(25)遊戯-真面目の対立

真面目を表わすさまざまの言い方は、ギリシア語でもゲルマン諸言語でも、またその他のどの言葉の場合でも、ただ遊戯という一般的概念に対して、〈遊戯ではないもの〉という消極的な概念を刻印しようとして、言語が副次的にやってみた試みにすぎない…そうして試みているうちに、人々はこの〈遊戯ではないもの〉という概念の表現を、〈熱中〉〈努力〉〈骨折り〉といった領域の中に見つけ出した。しかし、反対の側からみると、それら〈熱中〉〈努力〉という概念そのものは、遊戯ともよく結びつくことができる。 それはとにかく、こうして〈真面目〉を言い表わす言葉が出現したということは、人々が遊戯という概念の複合体を、独立した一般的範疇として意識するようになったことを意味している。だからこそ、遊戯概念を非常に広範囲に、明確な形で掴んだ、他ならぬゲルマン諸言語が、その反対語をも、まことに印象的な言葉で表わすようになったという結果が生まれた。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 85 )  言語学的な疑問は別として、遊戯-真面目の対立をもう少し詳しく観察すると、この2つの語が決して等価ではないことが分かる。遊戯は正〈ポジティブ〉であるが、真面目は負〈ネガティブ〉である。真面目の意味内容は遊戯の否定であると規定できるし、実際それに尽きている。 〈真面目〉とは単に〈遊戯ではないもの〉であって、それ以外のものではない。これに反して、遊戯の意味内容は、決して〈真面目ではないもの〉とは定義できないし、それに尽きるものでもない。つまり、遊戯というのは何か独自の、固有のものなのだ。遊戯という概念そのものが、真面目よりも上の序列に位置している。真面目は遊戯を閉め出そうとするのに、遊戯は真面目をも内包したところでいっこう差支えないからである。(同、 pp. 85f )  本来、「真面目」の対義語は「不真面目」でしかない。一方、「遊び」は「集合名詞」であり、対義語が何かを考えること自体が馬鹿げている。  前章の終りで〈文化の遊戯要素〉という表現を用いた時に考えていたのは、人間文化の多様な生活行為の中には、遊戯するという行為のために1つの重要な席がとってある、という意味のことではなかった。また、もともと遊戯であったものが、やがて遊戯とはいえないものに変わってゆき、そこで初めて文化と呼ぶこと

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(24)「遊び」の概念

 人間の心には、全体としてみて、どうも音楽を遊戯の領域に引き入れたい気特があることは、全く明白である。音楽するということは、最初から、本当の意味での遊戯が持っているすべての形式的特徴を帯びた行為なのである。つまり、この行為は限られた場の中で行なわれる。これは繰り返すことができるし、また秩序、リズム、規則正しい変化から成り立っていて、聴き手も演奏者も、ひとしく〈日常界〉から晴れやかに澄んだ感情の世界へ連れ出していく。もの悲しい音楽さえも、悦楽と昂揚(こうよう)を生み出すのだ。 一切の音楽を遊戯という項(こう)の下に包含させたとすれば、それこそまさに正鵠(せいこく)を得たものであり、全く申し分ないことである、といえる。ただ、遊戯するという言葉は、音楽の中でも歌をうたうことに対しては普通用いられず、そういう用法はただ2、3の言葉の中でしか見られないように思われる。この点を考えるならば、遊戯と楽器操作の技巧とを結びつける契機は、すばやい、秩序正しい動きというイメージの中に求められるということが、いよいよ確実になるようである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 81f )  英語には、 play the piano 、 play a role 、 play tennis といった連語( collocation )がある。日本語では、「ピアノを弾く」、「役を演じる」、「テニスをする」となって「遊び」という言葉は出て来ない。また、 play the piano とは言っても、 *play a song とは言わないことから、 music が必ずしも「 play の世界」に属するというわけではない。さらに言えば、 play という名詞には「遊び」以外に「劇」という意味もある。では、 play とは何なのか。残念ながら私には今、 その答えはない。  言語によって「遊び」の概念は異なる。したがって、ホイジンガは、ギリシア語、サンスクリット語、シナ語、アメリカン・インディアン語、日本語、セム語、ロマン語、ゲルマン語において、それぞれ「遊び」に当たる言葉を考察しているのであるが、これについては私の能力を越えるので割愛する。  ある言葉の概念としての価値は、その言葉の反対の意味を表わした言葉によっても規定されるものである。われわれにとって、遊戯

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(23)遊戯の抽象化

 ある文化は他の文化に先んじて、いちはやく遊戯という一般的観念をより完全な形で抽象してしまった。その結果として、高度に発達した言語は、さまざまな遊戯形式を表わすのに、全く違った幾つかの言葉を持つようになっている。そして、この用語の多元性ということが、あらゆる形式の遊戯をただ1つの概念語によって集約するのを妨げる、という結果を生んでいる。 ところで、いわゆる原始言語の中のあるものが、一般的な類の中に含まれる種に対しては、それを表現する幾つかの単語を持っているのに、その類全体をさしていう言葉は全く持っていない、という周知の事実がある。例えば、カマスとかウナギを表わす語はあっても、魚という意味の言葉がないというごとく。いま述べた遊戯という言葉の場合も、大きな立場から見るならば、こういう事実と比較することができよう。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 58f )  さまざまの徴候が証明していることだが、遊戯の機能そのものは根源的なものと言わざるを得なかったのに対して、遊戯現象を抽象化するという行為は、多くの文化の中で、ただ従属的な結果として行なわれたにすぎなかった。この点に関して、私に非常に意味深く思われることがある。すなわち、私の知っている神話には、どれ1つ、遊戯という観念を神格とか精霊とかの姿で表現しているものがない。ところが反対に、神が遊んでいる姿として表現されることはしばしば見いだされる、という事実である。印欧語には、遊戯を表わす共通語が欠けているが、これは一般的な遊戯概念が後に成立したことを示すものである。ゲルマン諸言語でさえ、遊戯の呼び方は全く分裂していて、統一がない。(同)  われわれが〈遊戯する〉という観念を用いる時に生ずる、もう1つ別の重要な問題がある。ドイツ語の spielen でも、フランス語の jouer 、英語の play 、オランダ語の spelen でもそうである。それは、われわれが一般的にひろくある活動を言い表わすのに、この〈遊戯する〉という動詞を用いた場合、とかくいつでも起こりがちなことなのだが、遊戯の概念を明らかに貶(おとし)めて使っているということだ。 つまり、狭い意味での本当の遊戯性がそこに見られるかと言うと、それはただ遊戯の多種多様な属性のどれか1つを帯びているだけのものになっている。

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(22)仮面

仮面や変装などをひっくるめて、それらすべてのものに対して現代人が持つ感受性ほど、彼の未開社会への理解の手掛りとなるものはない。民族学は仮面の持つ大きな社会的意義をはっきり指摘してくれたが、その一方で、一般の教養人たちは、仮面を通じて美、恐怖、神秘の混りあった直接的な美的感動に捉えられるのを体験している。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 53)  西洋文化は、「仮面」に特殊な力を見る傾向がある。 《仮面は、祖霊、精霊、神々との交流共生の経験、憑依(ひょうい)の経験にも伴うものである。仮面を被(かぶ)る者は一時的興奮を感じ、自分が何か決定的な変身を遂げたと信じる。ともかく、仮面の着用は本能の爆発を、抵抗不能のおそるべき諸力の侵入を助けるものである。なるほど、仮面の着用者もはじめから本気でいるわけではないが、しかしたちまち陶酔に身を委(ゆだ)ね、正気を失ってしまう。意識は幻惑され、模倣によって生まれる惑乱にすっかり投入してしまう》(カイヨワ『遊びと人間』(講談社文庫)多田道太郎・塚崎幹夫訳、 p. 158 ) 今日、一個の成人として十全な教養を身につけた人々にとっても、やはり仮面にはどことなく神秘の翳(かげ)りがつきまとっていることには変わりがない。仮面を被った姿を眺めること、それははっきり規定された信仰観念とは結びつかない、純粋に美的な経験であるにしても、その時われわれはたちまち〈日常生活〉の中から連れ出されて、白日(はくじつ)が支配する現実界とはどこか違った別の境界へひきこまれる。それは、われわれを未開人の、子供の、詩人の世界へ、遊戯の領域へと導いてゆく。(ホイジンガ、同)  さて、ホイジンガは、次のように「遊戯」を定義する。 遊戯とはあるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行なわれる自発的な行為、もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている。その規則は一旦受け入れられた以上は絶対的拘束力を持っている。遊戯の目的は行為そのものの中にある。それは、緊張と歓(よろこ)びの感情を伴い、またこれは〈日常生活〉とは〈別のものだ〉という意識に裏づけられている。  こう定義してみると、この概念は、われわれが動物や子供や大人の遊戯と呼んでいるすべてのもの、技芸や力業(わざ)の遊戯、知恵比べ、賭け事、さまざまの演技

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(21)交わらぬベルグソンの社会哲学論

《類推を濫用してはならないが、しかし、我々は次の点に注目すべきである――すなわち、人間社会が動物進化の2つの主要線の一方の末端に位しているのと同じように、膜翅類(まくしるい)の共同社会は他の一線の末端に位しており、この意味で、この2つの社会は対をなしている。 もちろん、人間社会はさまざまに変化するのに反して、膜翅類の共同社会は型にはめられている。前者は知性に従い、後者は本能に従う。しかし、自然は、我々を知性的に作ったというまさにそのために、社会組織の型をある点までは自由に選択するのを我々に許したにしても、やはり社会生活を営むように我々を定めた。 魂に対して、重力と物体の関係と同じような関係を保つ一定方向のある力が、個人的意志を同一方向に向かわせて、集団の凝集を確保する。道徳的責務はこのようなカである。我々が明らかにしたように、道徳的責務は開く社会においては拡大し得るが、元来それは閉じた社会のために作られていた。さらに我々は、閉じた社会は、想話機能から生まれ出た宗教によるほかは、生存することも、知性の分解作用に抵抗することも、不可欠な信頼を保持してそれをその成員各自に与えることもできないのは、どうしてであるかの理由も明らかにした。閉じた社会は、我々が静的と呼んだこうした宗教と一種の圧力にほかならないこうした責務によって、構成されている》(ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』(岩波文庫)平山高次訳、 pp. 327f )  ここまで長々とベルクソンを引用したのは、私の言う「閉じられた世界」について、何らかの示唆(しさ)が得られるのではないかと期待したからである。が、残念ながら、ベルクソンの「閉じた社会」は、ホイジンガの「祝祭」「遊戯」と殆ど交わらないということが分かった。ベルクソンの「閉じた社会」は優れて社会哲学的なものであり、私が主張する「閉じられた世界」は文化的なものであるから、当然と言えば当然であった。  この聖なる遊戯の世界には、子供と詩人が未開人と共に棲んでいる。現代人もその美的感受性によって、幾らかはこの世界に近づくことがあった。われわれはここで、今日仮面が骨董(こっとう)としてもてはやされている流行のことを考える。現代の異国風なものに対する耽溺(たんでき)ぶりは、時にやや病的なところがあるかも知れないが、それでも、トルコ人、インディアン族、シナ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(20)ベルクソンの妄想

《閉じた社会とは、他の人々に対しては無関心なその成員たちが、つねに攻撃または防衛に備えて、つまり、戦闘態勢をとらざるを得ないようになって互いに支え合っているような社会のことである。人間社会は、自然の手から離れたてのときは、そのような社会である。蟻がその巣のために作られているのと同様に、人間はこうした社会のために作られていた。(ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』(岩波文庫)平山高次訳、pp. 327f)  ベルクソンは、コスモポリタニズム(世界主義)を下敷きにして、「閉じた社会」と「開いた社会」を対比し論じているように私には思われる。例えば、国家は「閉じた社会」の象徴である。国家同士が権力闘争を行う中で、衝突することは不可避だと思われる。したがって、国家は他国の攻撃に備えることが必要となる。 《自然の手から離れたばかりの社会の体制はどのようなものだろうか。事実としては人類が分散し孤立した家族的集団から始まった、ということはあり得る。しかし、そうした集団は萌芽的な社会に過ぎず、もし博物学者がただ萌芽しか研究しないならば、彼は、種の習性に関しては、何ら学ぶところがないだろうのと同じく、哲学者は社会生活の本質的傾向をそうした集団のなかに探究すべきではない。社会は、それが完全である時に、すなわち、自衛の能力を持っている時に、従って、たとえどんなに小さくても戦争のために組織されている時に、取りあげられねばならない》(同、 p. 341 )  が、世の中から国家というものがなくなり、世界社会という「開いた社会」になれば、衝突を回避することが出来るというのは、進歩史観的「妄想」だろう。 《それでは、こうした正確な意味では、社会の自然的な体制はどのようなものだろうか。ギリシャ語を何か野蛮な状態に適用してもそれを冒瀆(ぼうとく)することにはならないなら、社会の自然的体制は君主政的( monarchique )、または寡頭政(かとうせい)的( oligarchique )であり、恐らく同時に両者である、と言ってもよい。この2つの体制は原初的状態においては混一している――すなわち、1人の首長が必要である、そして、首長からその威光のなにものかを借りるか、あるいは首長にその威光を与えるかする、というよりむしろ、首長と共に何らかの超自然的力からそうした威光を享(う)ける、特権者たち

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(19)閉じた社会

イメージ
事の本質からいって、祝祭と遊戯の間には、極めて親しい関係が成り立つ。日常生活を閉めだすこととか、必ずそうだとは言えないがだいたい陽気であるといえる催し事の情調――もちろん、祝祭は真面目、厳粛なものでもあり得るわけである――それから時間的、空間的に制限が加えられることとか、厳しい規定性と其の自由の融合、これらの要素はみな遊戯と祝祭に共通する最も主要な特徴である。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 46)  祝祭と遊戯は、時空間が限られた非日常的な世界という共通性がある。別言すれば、「閉じられた世界」( closed world )に属するということである。  フランスの哲学者アンリ=ルイ・ベルクソンは言う。 《もし自然的なものが、幾世紀もの文明の間に、それの上に累積した後得的習慣によって圧(お)しつぶされていたとすれば、我々は、責務の分析に当たって、この自然的なものをとるに足らぬものと見なすことができるだろう。しかし、自然的なものは、最も文明化した社会のなかでも、少しも破損されずに、極めて生き生きと存続している。これこれの社会的責務を明らかにするためにではなくて、私が責務の全体と呼んだものを説明するためには、この自然的なものを思いおこさねばならぬ。しかも、我々の文明社会は、自然が我々を直接に運命づけていた社会とどんなに異なっているにしても、やはりそうした社会と根本的な類似を呈示している。  実際、我々の文明社会もまた閉じた社会( sociétés closes )である。我々が本能によって導かれていった小集団、社会環境から我々がそこに寄託(きたく)されているのを発見する一切の物質的・精神的獲得物が消失するような場合には、その同じ本能が多分今日でも再建するに至るであろうような小集団――そうした小集団に比べれば、我々の文明社会は、いかにも広大ではあるが、それにしてもやはり、どんな瞬間にも若干数の個人を包含し、その他の個人を排除することを本質としている》(ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』(岩波文庫)平山高次訳、 p. 37 )  社会が発達するにつれて、「閉じられた社会」は開かれる。が、「閉じられた社会」が消滅するわけではない。日頃「開かれた社会」の影に隠れてしまっているけれども、「閉じられた社会」は隠然として存在し続ける。閉

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(18)「祀り」と「遊び」

 種々の文化形式が、このように一般にひろく同一性を示していることに対して、たいていその原因を合理的な面に探して回るのが普通である。つまり、区画や隔離がなぜ要求されるのかと言うと、神に捧(ささ)げられた人間は、そうして清められ奉献された状態にある時は、ことのほか外界(がいかい)からの危害に冒(おか)されやすいし、また彼ら自身も周囲に対して非常な危険を及ぼすものである。だから、外とのあいだに有害な影響を与えたり、蒙(こうむ)ったりするのを避けるためにそういう方法がとられるのだ、というふうに説明されている。 この説によると、いまわれわれが問題にしている文化過程のそもそもの発端に、早くも理性的な考え方と功利的な意図とがあったことになる。功利主義的説明、これこそまさにフロベーニウスが戒(いま)しめたものだった。もちろん、この説も、狡猾(こうかつ)な僧侶どもが宗教などというものを考え出したのだ、といった考えに逆戻りするのとはわけが違う。それにしても、その思想の中には、どこか合理主義的な動機を押しつけようとするところが残っている。 しかし、そういう考え方をせずに、遊戯と祭式の本質的、根源的な同一性ということをまず受け容れさえすれば、清められた奉献の場が根本的には遊戯の場であることが承認できる。そして〈何のために〉〈何故〉遊戯をするのか、というような誤った問いなど、そもそも生ずる余地がなくなってしまう。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 43f )  遊戯と祭式が本質的、根源的に同一性を有すること自体に異論はないが、だからと言って、一足飛びに、「奉献の場」が「遊戯の場」であるとまで言い切ることには違和感が拭えない。「祀(まつ)り」と「遊び」に同一性が見られるとしても、「祀り」と「遊び」は同一のものではない。また、「祀り」が「遊び」に属し、包摂されるわけでもないだろうからである。 遊戯している人は、その全身全霊をそこに捧げる。〈ただ遊んでいるだけなんだ〉という意識は、この時ずっと奥の方に後退している。遊戯と分かちがたく結びついている喜びは緊張に変わるだけではない、こうして昂揚(こうよう)感、感激にも転化する。遊戯の気分の両極をなす感情、それは一方では快活、また他方では恍惚(こうこつ)である。  遊戯の気分、これはその本来のあり方とし

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(17)日常生活からの空間的分離

《聖なる活動から世俗の生活へ移る時には、人はほっとした気分になる。それは、世俗の生活での患(わずら)いや逆境から、遊びの雰囲気へ移る際と同じことである。このいずれの場合にあっても、移行によって新たな段階の自由が得られるのだ。 周知のように、自由〔気楽〕と世俗ということは多数の国語において、同じ言葉で表現されている。この意味で、すぐれて自由な活動である遊戯的なものは、純粋の世俗であって、それは内容がなく、不可避の影響を他の面にもたらすことはない。それは、生活にくらべれば、楽しみや気晴らしでしかない。 ところで、生活は逆に聖なるものにくらべれば、あだし事であり、気晴らしなのだ。それゆえ、「聖なるもの――世俗――遊戯」というヒエラルキーを決めれば、ホイジンガ説の構造はバランスを保つはずだ。聖なるものと遊びとは、2つとも実際生活と対立しているという限りでは共通しているが、しかし、それらは生活を軸として対称的な位置を占めている。遊びは、当然生活を恐れる。生活は、一撃にして遊びを打ち砕き、消滅させるからである。反対に、生活は聖なるものの持つ至高の力に対して不安なまま依存している、と一般に思われている。(カイヨワ『遊びと人間』(講談社文庫)多田道太郎・塚崎幹夫訳、 pp. 295f ) ※あだし事(徒し事):無駄な事。つまらない事。 ☆ ☆ ☆  遊戯の形式的特徴の中では、日常生活から空間的に分離されているという点が最も重要だった。1つの閉じられた空間が、現実あるいは観念の中で、日常的な環境から切断され、境界を設けられる。遊戯はこの空間の内部で行なわれる。そこで適用されるのは遊戯規則である。 一方、いかなる神聖な儀事の場合にも、神に奉献された場を標示することが、儀式の最初の、第1の特徴だった。祭祀(さいし)において区画ということが求められるのは、呪術とか法律行為に際してそれが要求されることをも含めて、単に空間的・時間的な隔離だけを要請するということをはるかに超えた問題なのである。奉献式、成年式の慣習を見ると、殆んど全部の場合、執行人たちや新たに成人に加えられる青年に対し、人為的に選別、隔離という状態の中にいることが求められている。 宣誓とか、騎士団、教団への加入とか、書式、秘密結社とかの問題が語られるところ、そこには常に何らかのやり方で、そういう行事に必要な、

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(16)遊戯と神聖なるものとの同一化

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このプラトーンの遊戯と神聖なるものとの同一化は、神聖なものを遊戯と呼ぶことで冒瀆(ぼうとく)しているのではない。その反対である。彼は遊戯という観念を、精神の最高の境地に引き上げることによって、それを高めている。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 42)  無論、プラトンは、神聖なるものも所詮(しょせん)「遊び」に過ぎないと言って神聖なるものを貶(けな)しているのではない。神聖なるものも「遊び」の一種であると「遊び」の領域を拡大しているだけである。 われわれはこの本の初めの個所で、遊戯はすべての文化に先行して存在していた、と述べた。またある意味で、それは一切の文化の上に浮かんでいるもの、少なくとも文化から解き放たれたものでもあった。このことには何の変わりもない。初めの考えそのままでよい。 人間は子供のうちは楽しみのために遊び、真面目な人生の面に立っては、休養、レクリエーションのために遊戯する。しかし、その面よりもっと高いところで遊戯することもできるのだ。それが、美と神聖の遊戯である。(同)  フランス社会学者ロジェ・カイヨワは言う。 《聖なるものの領域は、〔遊びのそれと〕同様に慎重に世俗的生活から隔離されてはいるが、それは聖なるものの恐しい攻撃から世俗的生活を守るためであって、現実と衝突すれば脆弱(ぜいじゃく)な約束ごとである聖なるものがかんたんに壊れるという心配からではない。おそらく、気紛れによっては聖なるものを制御することはできない。あのように恐るべき力を馴致(じゅんち)するには、よほど細心の注意が要る。巧妙な技術を以てして、はじめて、それが可能なのである。経験を積んだ方法、呪縛的な魅力、神自らが権威を保証し教えてくれた呪文が必要である。 これらは神に倣(なら)ってとり行なわれ、言葉として発せられる。それが有効なのは、神に由来しているからなのだ。事実、聖なるものの力を借りるのは、現実の生活を動かしたり、神の恩寵(おんちょう)によって勝利や繁栄の一切の願い事をかなえてもらうためなのである。 聖なるものの力は日常生活を超越している。寺院の外に出、あるいは供犠(くぎ)が終ると、人間は、自由や、より穏やかな気分を回復する。そこでの行為には、恐れもおののきもなく、ある行為がとりかえしのつかぬ結果を惹きおこすといったこと