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オークショット『政治における合理主義』(13) 棒大なる針小

合理主義的性格は、ベーコンの希望の誇張とデカルトの懐疑の無視とから生じていると見てよいかも知れない。(オークショット『政治における合理主義』(勁草書房)嶋津格訳、 p. 18 )  合理主義が、たとえ意に反した形で独り歩きすることになったのだとしても、ベーコンとデカルトがその先鞭を付けたのは間違いない。 現代合理主義は、凡庸な精神が洞察力と非凡の才に恵まれた者達のインスピレーションから作り出したものなのである。偉人達は、弱い人々に反省して考えることを教えたために、彼らを誤りの道に引き込んだ。しかし合理主義の歴史は、この新しい知的性格の漸進(ぜんしん)的な出現と確定の歴史であるだけでなく、それはまた、技術至上の信条が知的活動のあらゆる分野を席巻して行く歴史でもある。デカルトは決してデカルト主義にはならなかった。(同)  技術至上主義が世の中を席巻する時代、我々はそういった時代を生きている。が、それは技術では割り切れないものが捨て置かれる時代でもある。 17世紀には「思考術( L'art de penser )」であったものが、今や、あなたの頭脳とその使い方、通常の費用のほんの一部しかかからぬ世界的に有名な専門家達が立てた思考訓練プラン、になったのである。生活の仕方であったものが、成功のテクニックになり、教育に対する初期のもっと穏やかな技術至上の侵入は、ベルマン式記憶法になったのである。(同、 p. 19 )  このような技術至上主義の行き着く先は「人間疎外」であろう。 この知的ファッションの起源が、自分で発見したものの方が受け継いだものよりも重要だと考える社会または世代、自分の成し遂げたことに過度に印象づけられて、ルネッサンス後のヨーロッパの特徴的愚かさであるあの知的壮大さの幻想を抱き易い時代、自分の過去と決して折り合うことをしないために決して精神的に自分自身と平和な状態にない時代、にあることも確かである。(同)  我々は、先人から受け継いできた社会の中で暮らしている。自分が発見したものなど「大海の一滴」でしかない。にもかかわらず、「自意識」が肥大化した現代のガリヴァーたちは、社会が小人の国リリパットにしか見えない。 Satan was the most celebrated of Alpine guides, when he ...