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オークショット『政治における合理主義』(7) 狂人

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合理主義とは、私が実践知と呼んだものはまったく知ではないのだ、という言明のことであり、正しく言うなら技術知以外の知などはないのだ、という言明のことである。(オークショット『政治における合理主義』(勁草書房)嶋津格訳、p. 12)  <合理主義>は、定式化できる知識のみ扱うものであるから、定式化できない知識は排除されることになる。 合理主義者の立場からは、あらゆる人間活動に含まれる知の唯一の構成要素は技術知であり、私が実践知と呼んだものは、実際にはある種の無知であって、たとえ積極的に有害でないとしても無視できるものだ、とされる。合理主義者にとって「理性の至上」とは技術の至上を意味するのである。(同)  合理主義者は、<実践知>を取るに足りないものとして排除し、<技術知>だけで事足れりとし、<技術知>を弄(もてあそ)ぶのである。 思想伝統に対するイデ(オ)ロギーの優位は、それが自己完結的であるように見えることによっている。イデオロギーは、精神が空っぽの人々に対して最もうまく教え込むことができるのであり、すでに何かを信じている者に教える場合には、教師が取るべき最初の一歩は、粛清を敢行すること、つまり絶対的無知という揺るぎない岩盤を彼の土台とするために、全ての先入見と先入観念が取り除かれたことを確認すること、である。要するに技術知は、合理主義者が選択した確実性の基準を充たす唯一の知であるように見える、というわけである。(同)  精神を空っぽにした上でイデオロギーを注入すれば、そのイデオロギーは、他の何とも干渉することなく絶対的な存在となれる。同様に、<理性>以外の一切を排除すれば、<理性>は絶対化し、しばしば歯止めが利かなくなって暴走する。  英国の作家であり批評家の G ・ K ・チェスタトンは「狂人」というものを次のように風刺する。 If you argue with a madman, it is extremely probable that you will get the worst of it; for in many ways his mind moves all the quicker for not being delayed by the things that go with good judgment. He is no...