ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(60)騎士道の実(じつ)
これらの理想、制度、慣習すべてを包んだ闘技的大複合体は、中世ヨーロッパと回教諸国と日本で最もゆたかな展開を遂げた。しかし、殆んどすべてのキリスト教騎士道の世界よりいっそう明瞭に、これらすべてのものの基本的性格が示されているのは、日出ずる国においてである。 日本の武士が身につけている思想に、世俗の凡夫(ぼんぷ)には真面目なことであっても、勇士には単なる遊戯にすぎぬ、というのがある。われわれは前に、悪口合戦のことを語ったが、悪口合戦の応酬による葛藤も、いま述べた思想によって高潔な武士道的慣習に高められ、武士がそういう英雄的形式を体現したさまを表わすこともある。そういう封建的英雄主義のうちに数えられるものに、高貴な心情の持主が、あらゆる物質に対して示す完全な軽蔑、無視ということがある。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 180 ) ホイジンガは別書『中世の秋』において、騎士道について次のように書いている。 《騎士道は、もしもそれが、社会の発展にとってプラスになる高い価値をふくんでいなかったならば、もしもそれが、社会的、倫理的、美的観点からみて必然のものでなかったとしたら、幾世紀も幾世紀ものあいだ、生活の理想であり続けたはずはない。この理想は、生活を美しく、おおげさに飾る。そのおおげさな誇張のうちにこそ、たしかに、かつてはこの理想の力が存していたのである。 中世のはげしい精神は、理想をいや高きにかかげることによってのみ、ようやくその血みどろの激情を制御しえたかにみえるのだ。かくて教会は目標を遠くにおき、騎士道思想、また、その理想を高くかかげたのである》(ホイジンガ「中世の秋」:『世界の名著 67 』(中央公論社)堀米庸三訳、 pp. 223f ) 理想を高く掲げることと、現実を大袈裟に飾ることとは別である。実質を欠く「虚栄」や「虚飾」だけでは社会への影響力はない。騎士道が社会に対し、少なからず影響力を有していたとすれば、そこに何某(なにがし)かの実質的な意味があったということである。 Chivalry is a flower no less indigenous to the soil of Japan than its emblem, the cherry blossom; nor is it a drie...