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ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(104)衰退の一途を辿る遊び

Closely akin to this, if at a slightly deeper psychological level, is the insatiable thirst for trivial recreation and crude sensationalism, the delight in mass-meetings, mass-demonstrations, parades, etc. The club is a very ancient institution, but it is a disaster when whole nations turn into clubs, for these, besides promoting the precious qualities of friendship and loyalty, are also hotbeds of sectarianism, intolerance, suspicion, superciliousness and quick to defend any illusion that flatters self-love or group-consciousness. We have seen great nations losing every shred of honour, all sense of humour, the very idea of decency and fair play. This is not the place to investigate the causes, growth and extent of this world-wide bastardization of culture; the entry of half-educated masses into the international traffic of the mind, the relaxation of morals and the hypertrophy of technics undoubtedly play a large part. -- J. HUIZINGA, Homo Ludens (やや深層の心理水準であれば、これに酷似しているのが、詰まらない娯楽や

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(103)小児症

Modern social life is being dominated to an ever-increasing extent by a quality that has something in common with play and yields the illusion of a strongly developed play-factor. This quality I have ventured to call by the name of Puerilism, as being the most appropriate appellation for that blend of adolescence and barbarity which has been rampant all over the world for the last two or three decades. -- J. HUIZINGA, Homo Ludens (現代の社会生活は、遊びと共通点を持ち、遊びの要因が強く発達したかのような錯覚を生むある性質にますます支配されつつあります。この性質は、ここ2、30年、世界中に蔓延した思春期と野蛮の融合に最も相応しい呼称であるとして、私は敢えて「小児症」という名前で呼ぶことにしています)―ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』、 cf. 高橋訳、 pp. 339f  「小児症」( Puerilism )は、現代社会を繙(ひもと)くための1つの鍵概念である。ホイジンガは、別書でも次のように述べている。 Puerilism we shall call the attitude of a community whose behaviour is more immature than the state of its intellectual and critical faculties would warrant, which instead of making the boy into the man adapts its conduct to that of the adolescent age. – Huizinga In the Shadow of Tomorrow , Translated from the Dutch b

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(102)遊びと科学

The great competitions in archaic cultures had always formed part of the sacred festivals and were indispensable as health and happiness-bringing activities. This ritual tie has now been completely severed; sport has become profane, "unholy" in every way and has no organic connection whatever with the structure of society, least of all when prescribed by the government. -- J. HUIZINGA, Homo Ludens (古代の文化では、大競技は常に神聖な祭りの一部であり、健康と幸福を齎(もたら)す活動として不可欠なものでした。この儀式的な結び付きが、今や完全に断たれ、スポーツはあらゆる面で不敬なものとなり、社会構造とは何ら有機的な繋がりもありません。政治によって規定されている場合は尚更(なおさら)です)―ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』、 cf. 高橋訳、 pp. 328f The old play-factor has undergone almost complete atrophy. This view will probably run counter to the popular feeling of to-day, according to which sport is the apotheosis of the play-element in our civilization. Nevertheless popular feeling is wrong. By way of emphasizing the fatal shift towards over-seriousness we would point out that it has also infected the non-athletic games where calculation is

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(101)「遊び」の縮小と「観念」の肥大

The nearer we come to our own times the more difficult it is to assess objectively the value of our cultural impulses. More and more doubts arise as to whether our occupations are pursued in play or in earnest, and with the doubts comes the uneasy feeling of hypocrisy, as though the only thing we can be certain of is make-believe. But we should remember that this precarious balance between seriousness and pretence is an unmistakable and integral part of culture as such, and that the play-factor lies at the heart of all ritual and religion. So that we must always fall back on this lasting ambiguity, which only becomes really troublesome in cultural phenomena of a non-ritualistic kind. There is nothing to prevent us from interpreting a cultural phenomenon that takes itself with marked seriousness, therefore, as play. But insofar as Romanticism and kindred movements are divorced from ritual we shall inevitably, in our assessment of them, be assailed by the most vexing ambiguities. -- J. H

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(100)音楽の質

In this inner diversity of music, therefore, we have renewed proof that it is essentially a game, a contract valid within circumscribed limits, serving no useful purpose but yielding pleasure, relaxation, and an elevation of spirit. The need for strenuous training, the precise canon of what is and what is not allowed, the claim made by every music to be the one and only valid norm of beauty -- all these traits are typical of its play -- quality. And it is precisely its play-quality that makes its laws more rigorous than those of any other art. Any breach of the rules spoils the game. -- J. HUIZINGA, Homo Ludens (したがって、この音楽の内なる多様性は、音楽が本質的に遊戯であり、制限された範囲内で有効な契約であり、何の役にも立たないが、喜びと気晴らしと精神の高揚を齎(もたら)すものであることを、改めて証明してくれるのです。厳しい訓練の必要性、何が許され何が許されないかの正確な規範、あらゆる音楽が唯一無二の美の規範であると主張すること、これらすべての特徴は、その遊びの典型、質です。そして、まさにその遊びの質こそが、他のどの芸術よりもその法則を厳格なものにしているのです。ルール違反は、その遊戯を台無しにしてしまいます)―ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』、 cf. 高橋訳、 p. 315  音楽が質を求めることは、音楽が「遊び」であることの証(あかし)である。 Archaic man was well aware that music was a sacre

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(99)音楽と美

祭祀は聖なる遊戯の中に発達した。詩は遊戯の中に生まれ、いつも遊戯の諸形式から最高の養分を吸収して来た。音楽と舞踊は純粋な遊戯であった。知識、英知は祭式的競技の言葉の中に、その表現を見出した。法律は社会的遊戯の慣例から生じた。戦争の規定、貴族生活の慣例は、遊戯形式の上に築かれた。結論はこうなるはずである。文化はその根源的段階においては遊戯されるものであった、と。それは生命体が母胎から生まれるように、遊戯から発するのではない。それは遊戯の中に、遊戯として発達するのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 294) というのが本書の大筋であり大意である。  一般に音楽には、その本質として遊戯性があることは、改めて言うに及ばない…音楽は人間の遊戯能力の、最高の、最も純粋な表出である。音楽的時代として見た時、18世紀の有する最も高い意義は、主として、当時の音楽の遊戯内容とその純粋な美的内容とのあいだに保たれた平衡にある、と解釈しても、それは決して無謀とは思えない。(同、 p. 314 )  「遊び」の中の「美」という、より上級の「卓越さ」が追求されたということだ。 音楽の純粋に美的な内容に音楽の遊戯内容を対比させてみるならば、その違いは…まず、音楽的諸形式はそれ自体が遊戯形式である。音楽は音、タイム、旋律、和音の体系に規定された伝統的規則への自発的服従と、その精密な応用の上に立っている。このことは、他の分野でそれまで通用してきたすべての規則が顧みられなくなった時でも、なおかつそうであると言うことができる。(同、 p. 315 )  音楽は、優れて保守的なのだ。音楽家も、音楽奏者も、音楽愛好家も、音楽の伝統に棹差(さおさ)すことが、最も音楽の恩恵に与(あずか)れるということを知っているということだ。 さて、この音楽的諸価値の体系は、よく知られているように、それぞれの時代、それぞれの地方によってみな異なっている。どれほど鮮かに統一された音楽的目的、音楽的形式であっても、東洋音楽と西洋音楽を、あるいはまた中世音楽と現代音楽を結びあわせることはできない。いかなる文化も、それに固有の音楽的約束を持っているし、また一般に耳というものは、よく聴き慣れた音響形式だけしか耐えられないからである。(同)  音楽は本来、普遍的なものである。

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(98)踊りもまた遊戯である

If in everything that pertains to music we find ourselves within the play-sphere, the same is true in even higher degree of music's twin-sister, the dance. -- J. HUIZINGA, Homo Ludens (音楽に纏(まつ)わるあらゆることが遊びの世界内にあるとすれば、より高い次元で、音楽の双子の妹である踊りについても同じことが言える)― ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』  danceを「舞踊」と訳すのか、「舞踏」と訳すのか、はたまた、「踊り」とするのか、「ダンス」とするのかで随分心象が違ってくるように思われる。これは日本語という言葉が豊かであることの贅沢な悩みである。ここでは最も広い意味で一般的な「踊り」としておこう。 Whether we think of the sacred or magical dances of savages, or of the Greek ritual dances, or of the dancing of King David before the Ark of the Covenant, or of the dance simply as part of a festival, it is always at all periods and with all peoples pure play, the purest and most perfect form of play that exists. – Ibid . (未開人の神聖な踊りであれ、魔術的な踊りであれ、ギリシャの儀式的な踊りであれ、契約の箱の前でのダビデ王の踊りであれ、単に祭りの一部としての踊りであれ、それは常に、すべての時代、すべての民族で、純粋な遊び、存在する中で最も純粋で最も完璧な形式の遊びなのです)― 同  ※契約の箱(Ark of the Covenant):モーゼの十戒( Ten Commandments )を刻んだ 2 枚の石板が納められているチェスト。  「踊り」は非日常的であるのだから、「踊り」が「遊戯」であると類推することに特に異論はない。 造形芸術の中

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(97)職業音楽家は下民

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 模倣という概念を用いて、プラトーンはまた芸術家のあり方を言い換えている。彼は言う、〈模倣者、これはすなわち創造的芸術家であると同時に、再現的芸術家でもあるのだが、彼自らは、自分がそうして再現して表わしたものが、はたして善であるのか悪であるのかは知らない。模倣とは彼には1つの遊戯であって、真面目な仕事ではない〉。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 277)  ソクラテスは言う。 「真似る人は、彼が真似て描写するその当のものについて、言うに足るほどの知識は何ももち合わせていないのであって、要するに(真似ごと)とは、ひとつの遊びごとにほかならず、まじめな仕事などではないということ、そして、イアンボスやエボスの韻律を使って悲劇の創作にたずさわる人々は、すべてみな、最大限にそのような(真似ごと)に従事している人々である」(「国家」 602B :『プラトン全集』(岩波書店)藤沢令夫訳、 p. 710 ) これは悲劇詩人についてもそうである。彼らとてもみな模倣者でしかないのだ。こういうふうに芸術の創作活動をかなり貶(おと)しめ、低く評価するように見える傾向の真意はいったいどこにあったのか。だがそのことは、今は取り上げずにおいて差支えない。要するにそれは完全に明晰なものではないのだ。われわれにとって大切なところは、プラトーンがこの創造活動を、ここで1つの遊戯として捉えたということにある。(ホイジンガ、同)  「模倣」の意義が理解されていなかったために、これが評価されることがなかったのだろう。「模倣」とは、不真面目な、すなわち、遊びであり、只の「物真似」、「真似事」に過ぎなかったのだ。 一切の音楽的活動の本質的なあり方は、遊戯するということにつきている。たとえはっきりとそう言われていない場合でも、この根源的事実は、やはり至るところで認められる。音楽が聴き手を娯(たの)しませ、喜ばそうと、高い美の表現を欲しようと、聖なる典礼的使命を持つものだろうと、常に変わることなく、それは遊戯なのだ。ほかならぬ祭祀の中で、それは屡々(しばしば)かの最高の遊戯的機能、舞踊と内的に結びつく(同、 pp. 277f )  音楽がただ奏(かな)でられ、歌われているだけであれば、それは「遊び」と言われても致し方ないのかもしれない。が、他者に求められ、例

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(96)音楽は一種の「普遍言語」

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《文明と、われわれの知っている形での未開社会…とのあいだの1つの本質的な差異はミメシスの向かう方向である。ミメシスは、あらゆる社会生活に見られる、社会という類全体の特徴である。その作用は、未開社会と文明社会の別を問わず、映画ファンのスターのスタイル模倣をはじめとして、あらゆる社会活動において看取(かんしゅ)することができる》(トインビー「歴史の研究」長谷川松治訳:第2編 第1章:『世界の名著61』(中央公論社)、p. 128)  歴史家トインビーは、「模倣」(ミメーシス)を社会的に見る。 《われわれの知っている形での未開社会ではミメシスは年長者と、目には見えないけれども、生きている年長者の背後に立っていると感じられ、生きている年長者の威厳を強めている死せる先祖たちに向けられる。このようにミメシスが後ろ向きに過去に向けられている社会では、習慣が支配し、社会は静的状態にとどまる。これに反し、文明の過程にある社会ではミメシスは、開拓者であるからおのずと追随者が集まってくる、創造的人物に向けられる。そのような社会では、「慣習の殻」はうち破られ、社会は変化と成長の道にそって、ダイナミックに動いてゆく》(同)  社会が静的であるか動的であるかによって違いはあるけれども、社会的模倣の対象となるのは、社会的価値を有する存在だと言えるように思われる。それは、静的社会であれば、年長者ないしは先人であり、動的社会であれば、時代の開拓者ということになる。  オリュンボスのさまざまの旋律は恍惚(こうこつ)をよび起こし、他のさまざまのリズムや歌は、憤(いきどお)り、和(やわ)らぎ、勇気、思慮などを生み出す。触覚や味覚は、何ら倫理的作用と結びつくものではなく、また視覚のそれはごくわずかなものであるにすぎないが、これが音楽になると、すでに旋律そのものの中に、ある性格の表現がこめられているのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 276f )  音楽には「普遍性」があり、人々の心に作用する。ある音楽を聞くと人々の感情が高まり、またある音楽を聞くと気持ちが穏やかになるといった具合である。その意味で、音楽は1つの「普遍言語」の性格を有し、ある種の情報伝達手段と言うことも可能であろう。 この点がさらに著しいのは、強く倫理的内容を帯びている音階とリ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(95)模倣の対象

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どんな歌の旋律も、音階も、舞踊の身振りも、何かを表現したり、表わして見せたり、描き出したりしている。そして、その表出されたものの善悪美醜の如何(いかん)によって、音楽に善とか悪とかの性質がつけ加わるのだ。この点にこそ音楽の高い、倫理的、教育的価値がある。模倣されたもの(音楽)を聴くことが、その模倣された感情そのものをよびさますのだ。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 276)  アリストテレスは、「模倣」(μίμησις)について、次のように書いている。  模傲するひとたちは行為するひとたちを模倣するのであるが、これら行為する人間たちは必然的に高貴なひとたちか、下賎のものたちかでなければならない(というのは、性格はほとんどつねにこのひとたちにのみ伴うからである。〔つまりこれらのひとたちはみな悪徳と徳の点でその性格が相違するからである〕)。以上のようであれば、模倣される人間たちはわれわれ通常のものよりいっそう優れたひとたちか、あるいはそれ以下のものたちか、〔あるいはまたこういったものたちなの〕である。(アリストテレス「詩学」第2章:村治能就訳: 1448a :『世界の大思想4』(河出書房新社)、 p. 356 )  模倣する対象は、どこか模倣するに値する特徴的なところがなければならない。それは、人並外れて優れたものか劣ったものが対象ということになろう。一方で、日頃自分たちが気に留めぬ、謂わば「あるある」を思い起こさせる凡庸な模倣というものもある。 それはちょうど画家たちが描いているとおりである。すなわちポリュグノトスはいっそう優れたひとたちを、パウソンははるかに劣ったものたちを、〔ディオニュシオスはわれわれと似たものたちを〕模倣し描いているからである。すでにのべた模倣のそれぞれもこうした相違をもつであろうこと、そしていまのべた仕方で異なった対象を模倣するから、異なったものになるであろうことは明らかである。  また、じっさい、舞踊や笛吹きや立琴弾きの場合にもこれらのちがい(アノモイオテータ)が生じうるし、また散文や音楽を伴わない詩歌の場合もそうである。たとえば、ホメロスはいっそう優れたひとたちを、〔クレオフォンは通常のものたちを、タソスのひとへゲモンははじめて、パローイディアイをつくって、またニコカレスは『デイリアス』

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(94)音楽教育の不合理

《若者が教育されるのは遊びのためではない――これは不明なことではない。というのは彼らは、学んでいるとき遊んでいるわけではないからである》(アリストテレス『政治学』(京都大学学術出版会)牛田徳子訳:1339a、p. 414)  ここでアリストテレスの言う狭義の<遊び>は、我々が日常的に使っている<遊び>のことであって、ホイジンガが非日常性という意味で用いている広義の<遊び>とは意味が異なっているので注意して頂きたい。 《学びは骨の折れることである。しかしまた、閑暇(かんか)のときを過ごすことを、その年頃の子供に許すことは適切でない。なぜなら終局目的は、いかなる未完のものにもそぐわないからである。しかし子供の真剣な勉学は、いずれ大人になり、成長を遂げたとき彼らが楽しむような遊びのためにあるのだ、とおそらく人は思うだろう。しかしもしそうだとしたら、なんのために子供たちみずからが音楽を奏(かな)でることを学ばねばならないのであろうか。そしてベルシアやメディアの王たちがしているように、他人に音楽を奏でさせて、快楽と学びに与(あず)かっていけないわけがあろうか。なぜなら音楽そのものを自分の仕事、自分の術(すべ)とした者ならば、学習のために必要な時間だけを音楽に費(つい)やす者より上手に奏でることは当然だからである。しかし、もし子供みずからが音楽演奏にけんめいにはげまねばならないとすれば、料理の仕事もみずから会得(えとく)しなければならないことになろう。しかしこれは不合理である》(アリストテレス『政治学』(京都大学学術出版会)牛田徳子訳: 1339a 、 pp. 414f )  音楽の享受ということはそういう行為の最終目的――テロス――に接近している。何故なら、それは未来の善のためではなく、そのこと自体のために追求されるものだからである。  こうしてこの思想は、音楽を、高貴な遊戯と、自立的な、それ自体のために行なわれる芸術享受の中間の領域に置くわけである。しかし、ギリシア人のこういう音楽観も、音楽に対して非常にはっきりと技術的、心理的機能、そして道徳的機能を与えようとする別の信念と交錯する。音楽はミメーシス的、つまり模倣的芸術とされるのだ。その模倣の効果は能動的な種類のものであれ、あるいは受動的な種類のものであれ、何らかの倫理的な感情を喚起するということにある。(

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(93)先人が音楽を教育科目に入れた理由

《閑暇を過ごすことそれ自体は、快と幸福と至福な生を含むと考えられる。これは仕事に忙殺される者には与えられず、閑暇のうちにある者に与えられる。なぜなら、仕事に従事する者は、なんらかの目的となるものをまだ所有していないので、そのために仕事をするのであるが、幸福――労苦をともなわず、快をともなうとすべての人が考えている幸福――は、これに対して、目的であるからである。 ただし、その快でもって彼らすべてが同じものを考えているわけではない。各人はそれぞれの立場とみずからの条件に応じて快なるものを考えているのであるが、最善の人にとってはそれは最善の快であり、最善美の事柄から生じる快であるとみなされるのである。したがって明らかに、ある種のものは閑暇のときの過ごし方を目標として学ばれ、教えなければならない。しかも、そうした教育や学習は、それ自体のためになされるのに対して、仕事を目標とする教育、学習は、必要なものとして、かつそれ自体以外のほかのもののためになされるのでなければならない。  先人が音楽を教育科目にいれたのはまさしくそのゆえである。必要不可欠な科目だからではない――音楽はまったくそういう性質のものではないから――。また役に立つ科目だからでもない――読み書きが、金儲けや家政や勉学や国家に関するさまざまな活動のために役に立ち、また図画が思うに、技工の作品についていっそうよく判断するために役に立ち、さらにまた体育が、健康と力強さのために役に立つようには――。なぜなら以上のどんな成果も音楽から生じないのはわれわれにとって明瞭だからである。そうすると残るのは、それが閑暇のうちにときを過ごすためにあることである。まさしくこのことのために、明らかに先人は音楽を導入したのである。というのは彼らの考えでは、自由人にふさわしい、時の過ごし方のうちにその位置を与えたからである》(アリストテレス『政治学』(京都大学学術出版会)牛田徳子訳: 1338a 、 pp. 407f )  こういうアリストテレースの言葉の中では、遊戯と真面目の境界線は、われわれのそれとは非常に大きく違っている。そしてその評価に対する基準も、われわれの基準によって測れば、著しく移動している。ディアゴーグーは、ここではそれと気づかれぬうちに、自由人にふさわしいような知的、ないしは美的な事柄に従事すること、それらを享受する

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(92)音楽の目的

《いまや確立された学習は、さきに述べられたとおり2つに方向づけられる。通常人びとが教えるのはだいたい4科目である。読み書き、体育、音楽、そして第4に場合によっては図画である。読み書きと図画を教えるのは、それらが生活のために有用で、いろいろ応用できるからである。これに対して、体育は勇気の徳に貢献するからである。しかし音楽に関しては、人はただちに疑問とするであろう。というのは、今日ではほとんどの人は楽しみのためにそれに与(あず)かっているからである。しかし人びとが最初に音楽を教育科目のなかにいれたのは、いくども述べられたように、自然それ自身が、たんに正しく仕事にはげむばかりでなく、善美に閑暇(かんか)を過ごすことができるように求めるからである。なぜならこの善美に閑暇を過ごすことこそ、他のすべての出発点だからである》(アリストテレス『政治学』(京都大学学術出版会)牛田徳子訳:1337b、pp. 407f)  この考え方は、われわれの間で普通にとられている立場の倒置である。これは、ギリシアの自由人は、もともと賃金労働からは解放されているというのが建前であり、そのために、高尚(こうしょう)な、教養ある問題にたずさわって人生の目的――すなわちテロス――を追求するということが可能だったのだ、という事実の光に照らして考えなければならない。 そこで、問題はどうやって自由な時間を使うか、ということになってくる。遊戯をして時間をすごすのではない。それでは、遊戯は人生の目的になってしまうだろう。いや、それにアリストテレースにとって、遊戯はただ、子供の遊びとか快楽とかを意味するにすぎないのだから、そういうことは不可能である。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 275 )  アリストテレスは、音楽をただの娯楽ではなく教育すべきもの、教育に値するものとして考えている。音楽を学ぶのは、善美に閑暇を過ごせるようになることこそが<すべての出発点>と考えるからである。 《善美に閑暇を過ごすことは幸福であることにほかならない。われわれが他のすべてを求めるのはこれを自助とするからである》(アリストテレス、同、 p. 409 )  遊戯することは心に解放と安息とを与えるものだから、一種の薬として仕事から放たれて休養するというだけの役には立っている。ところが、閑

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(91)音楽とは何か

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  アテナイからの客人  有用性も真実性も類似性も生み出すことなく、また、もとより害をもたらすこともなくつくり出されるもの、いやむしろ、それら(有用性、真実性、類似性)に付随する楽しさ、ただそれだけを目的として生じるもの、そういうものだけではないでしょうか。もしその楽しさに、以上のどれ1つも付随しないときには、これを快楽と名づけるのがいちばんよいでしょうね。   クレイニアス  あなたが意味しておられるのは、ただ害のない快楽のことだけですね。   アテナイからの客人  そうです。そして、その快楽のあたえる害や益が、真剣にとりあげて語るに値しない場合、その同じ快楽を、わたしは遊戯と言います。 (「法律」森進一・池田美恵・加来彰俊訳:667 D E:『プラトン全集13』(岩波書店)、 p. 153 ) ☆ ☆ ☆ 《音楽がどんな種類の能力をもっているか、なんのためにそれに与(あず)かるべきか――遊びのためや、眠り、酔いのような休息のためであるのかどうか――精密に決めるのは容易ではない》(アリストテレス『政治学』(京都大学学術出版会)牛田徳子訳: 1339 a、 p. 414 )  精密に決める必要は毛頭ないが、<音楽がどんな種類の能力をもっているか>を考えることは重要である。また、<能力>などと限定的に問う必要もなく、音楽の役割、音楽の効用といったことも含めて音楽について考察することも大切であろう。 《というのは、それら遊びやその他のものは、それら自身として真剣な事柄ではなく、たんに楽しいことであって、同時に、エウリピデスの言うように、われわれの心の悩みを霧散(むさん)させるからである。それゆえ、人びとは音楽をそれらと同じ分類にいれて扱う――眠り、酔い、音楽、それから踊りを加える。それともむしろ、こう考えるべきではないか。音楽は、ある程度徳に貢献する。ちょうど体育が身体をある一定の性質のものにするように、音楽もまた、正しい仕方で歓(よろこ)ぶことができるように、人を習慣づけることによって彼の性格をある一定の性質のものにする能力があるからであると。それともまた、それはある程度閑暇(かんか)のときを過ごすため、思慮のために貢献するのではないか――これは述べられたことのうちの第3の選択肢として立てるべきである》(同) This διαγωγή

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(90)音楽の太古における広い役目

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音楽という言葉は、ギリシア人にとって、われわれ近代人のその言葉より遥かに広い範囲に亘(わた)るものであったことは、周知の事実である。それは単に歌や楽器の伴奏による踊りを含むだけでなく、一般にアポローンとムーサイ(ミューズ)の神々に司(つかさ)どられるすべての芸術、技芸に当てはまるものであった。これらはすべて、ミューズの分野の外にある造形芸術、機械的芸術に対して、ミューズ的芸術ということができる。そして、すべてミューズ的なものは祭祀ときわめて深い繋がりがある。中でも、その固有の機能が発揮される場である祝祭との関係は、非常に深いものがあった。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 272)  音楽は、現代人における趣味・嗜好以上のものを太古の人々にとって意味していた。特に、祝祭における音楽が果たす役割は大きなものがあった。 〈神々は苦悩のさだめを受けて生まれた人類への憐(あわ)れみごころから、彼らの心労に対する安息の時間として、祭礼というものを制定した上、さらにミューズの神々やその長たるアポローン、そしてディオニューソスらの神々を、人間の祝祭の仲間にお加え下さったのです。つまり、これは、神々と祝祭を共にすることによって、人間界に物事の秩序を打ちたてるためなのです〉。(同)  プラトンは、次のように書く。   アテナイからの友人  神々は、労苦をになって生まれついた人間の種族を憐れみ、その労苦からの休息となるように、神々への祭礼という気晴らしを定めてくれました。さらにまた神々は、ムゥサたち(音楽・芸術の神)とその指揮者アポロン、およびディオニュソスを、祭礼を矯正する目的をかねた同伴者としてあたえられるとともに、その神々と一緒になって行なう祭礼において生じる、心の糧をもあたえられたのです。  さて、このことに関し、近頃しきりにわたしたちの間でやかましく言われている説が、事の自然にかなった真実を伝えているかどうか、よく見てみる必要があります。その主張によると、若者というものはほとんどすべて、身体の面でも音声の面でもじっとしていることができず、たえず動き、声を出すことをもとめている、というのです、――ある者は、たとえばいかにも楽しげに踊ったり遊戯したりしながら、飛んだり跳ねたりするし、またある者は、ありとあらゆる声を立てたりする。とこ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(89)音楽と詩

 遊戯は実際生活の合理性というものの外にある、必要とか利益とかの領域の外部にある、とわれわれは言った。この点では、音楽的表現、音楽的形式も同じことである。遊戯の価値は理性、義務、真理などの規範の外にある。音楽また然(しか)り、である。音楽の諸形式の価値、音楽の機能の力は、論理的な概念を超えた規範によって、われわれの目に見え、手に触れ得るものの彼岸(ひがん)にある規範によって、決定されるのだ。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 271)  <遊戯>は、非日常的なものである。だから、<遊戯>は、日常生活における規範とは異なった特別な規範の下にある。音楽も<遊戯>の1つであるから、そこには特別な規範がある。 それらの規範は独特の、特殊な名前でだけ呼ぶことができる。そして、それらの名前はリズムとかハーモニーのように、遊戯、音楽のいずれにも適用することができる。リズムもハーモニーも、完全に同じ意味で遊戯の因子であるとともに、音楽の因子でもある。しかし、詩の場合には言葉というものがあって、部分的に、詩を純粋に遊戯的な領域から、観念と判断の世界へ置きうつすことができる。これに反して、純粋に音楽的なものは常に遊戯領域の中を漂っていて、そこから出てゆくということはない。  <詩>は、専ら非日常的な音楽とは違って、日常世界と非日常世界を行き来する。<詩>は、非日常世界に遊ぶこともあれば、日常世界の現実という拘束を解いて、観念の世界を自由自在に描写することも出来るのだ。  古代文化においては、詩の言葉は強く典礼的、社会的機能を帯びていた。その原因は、当時の段階では、詩的な言葉はただ音楽として誦(しょう)される形でだけ聴くことができるものだったという事情と、きわめて深い関連がある。純粋の祭祀(さいし)はすべて歌われ、踊られ、遊戯されるものなのである。後世の文明の担い手であるわれわれの心を、まさに古代人の感じた通りの神聖な遊戯という感情でさし貫くことのできるものは、音楽をおいて他にはない。その上、定形に固定してしまった宗教的観念とは無関係に、音楽を享受することの中では美の感覚と奉献の感情が融合して1つになっている。この融和の中では、遊戯と真面目の対立などは消え去ってしまうのである。(同)  日本人にとって、「雅楽」がまさにこれに当たろう。雅楽の

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(88)学問は論争的

 哲学をも含めて、学問はその本性として論争的なものである。そして論争的なものはまた、闘技的なものと切り離すことはできない。大きな新しい事物が現われる時代には、たいていそこに闘技的因子が強く前面に浮かび上ってくるものである。例えば、自然科学が輝かしい興隆発展を遂げて新たな分野を征服しはじめ、古代と信仰の権威に手をつけだした17世紀がそうであった。すべてのものが同志的結合や党派に分裂するということが、限りなく繰り返された。人々はデカルト主義者となるのでなければ、その体系の反対者となり、また〈古代〉の側に立つのでなければ、〈現代〉に味方した。その上、学界から遠くへだたった場所でさえ、人々はニュートンを是非し、地球の扁平説とか種痘とかに是非の論をたたかわせた。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 267)  時代が移り変わり、価値観が揺れ動くとき、人々はあらたな時代の真善美を模索するために論争的になるのだ。  18世紀は各国の知識人たちの活発な精神的交流を見た時代である。ただ、当時の手段方法に限界があったために、カオス的氾濫に決潰するのは防がれていたものの、それでも18世紀は、最高度に激しいペン論争の時代とならずにはいなかった。音楽、鬘(かつら)、軽薄な合理主義、ロココの優雅さ、サロンの魅惑などと共に、これらのペンの闘いが、18世紀に特に明瞭に姿を現わしたことは、誰にも否定できないことだ。しかもそれは、われわれとしては時々嫉妬したくなるような、広い一般的な意味での遊戯性の本質的な部分を形成するものであった。(同)  軍事的「戦闘」( combat )がペンによる「論争」に取って代わられ、鎬(しのぎ)を削ることとなった。が、「ペン論争」もまた、争いである限りにおいて、遊戯的性質を持ち合わせていたのである。  詩の本質の中に、われわれは遊戯要素がかたく繋ぎとめられているのを見出した。また、詩的なものはいかなる形式のものにせよ、非常に強く遊戯の構造、組織と結びついていることも明らかにされた。こうしてみると、この2つのものの内的関連は、まさに解きほぐすことの不可能なものと言わざるをえない。また、その関連の中では、遊戯という言葉、詩という言葉は、それぞれの独立した意味を殆んど見失うおそれさえもある。ところが同様なことが、遊戯と音楽の関連につい

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(87)哲学は邪魔物

 哲学の諸段階の継起した順序は、おおよそ次のように見ることができる。まずそれは遥かな原始時代に、聖なる謎解き遊戯と弁論術から出発したが、それでいて同時に、祝祭の余興の機能を満たすものでもあった。祭儀的な側面では、そこから深遠な神智学やウパニシャッド哲学、ソークラテース以前の哲学が生まれ、遊戯的側面ではソフィストの業績となった。しかし、この2領域の別は絶対的なものではない。プラトーンは哲学を最も高貴な真理追求のわざとして、ただ彼のみが達し得る高い境地へ引き上げた。しかしそれは、常に彼の哲学の要素である軽やかな形式においてであった。  しかしそれと同時に、一方では哲学がより低い形式の中で、知的な瞞着(まんちゃく)、機知の遊戯、ソフィスティーク、そして弁辞学となって栄えつづける。ところが、ギリシア世界では闘技的因子が非常に強いものであったために、弁辞学は純粋哲学を犠牲にして膨れ上がり、かなり広い範囲の大衆の文化というものになって、哲学を蔭に追いやったばかりか、それをあわや、窒息させるばかりになった。 ゴルギアースが、そういう高い教養の頽廃(たいはい)の典型である。彼は深く沈潜した知識に背を向け、きらびやかな言葉の力を讃え、それを乱用することに堕(だ)した。アリストテレ-ス以後、哲学的思弁の水準は低下していった。極端に走った競技と杓子定規的な学問に逸脱した哲学が、手と手をたずさえて世にはびこった。ちなみに、こういうことはこの時一度だけではない。中世も後期、事物の最深最奥の意義を把えようとした大スコラ哲学者の時代の後に、単なる言葉や常套(じょうとう)語を以(もっ)て足れりとする時代がつづいた時にも、同じようなことが繰り返されている。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 pp. 259f )  善悪、真偽、美醜は、必ずしも深く考えれば判然とするわけではない。深く考えれば考えるほど、余計に混沌(こんとん)としてくることも少なくない。それが哲学というものだ。  問題は。人々を介在させれば、真実が歪(ゆが)むということである。世間が求めるのは単純明快さである。真偽は別にして、はっきりとした物言いが好まれる。そういう場合、哲学はむしろ邪魔物でさえある。  分かり易いことが「善」なのであり、受け入れ易いものが「真」なのである。飾り立てられようが、

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(86)エビメテウス、プロメテウスの神話 その2

プロタゴラスの話は続く。  それから今度は、身を養う糧(かて)として、それぞれの種族にそれぞれ異なった食物を用意した。あるものには地から生ずる草をあたえ、あるものには樹々の果実を、あるものにはその根をあたえた。ほかの動物の肉を食物とすることをゆるされた種族もある。そしてこの種族に対しては、少しの子供しか産むことをゆるさず、他方、これらの餌食となって減って行くものたちには、多産の能力を賦与(ふよ)して種族保存の途(みち)をはかったのである。  さて、このエビメテウスはあまり賢明ではなかったので、うっかりしているうちに、もろもろの能力を動物たちのためにすっかり使いはたしてしまった。彼にはまだ人間の種族が、何の装備もあたえられないままで残されていたのである。彼はどうしたらよいかと、はたと当惑した。困っているところへ、プロメテウスが、分配を検査するためにやってきた。みると、ほかの動物は万事がぐあいよくいっているのに、人間だけは、はだかのままで、履くものもなく、敷くものもなく、武器もないままでいるではないか。一方、すでに定められた日も来て、人間もまた地の中から出て、日の光のもとへと行かなければならなくなっていた。  かくてプロメテウスは、人間のためにどのような保全の手段を見出してやったものか困りぬいたあげく、ついにヘパイストスとアテナのところから、技術的な知恵を火とともに盗み出して――というのは、火がなければ、誰も技術知を獲得したり有効に使用したりできないからである――そのうえでこれを人間に贈った。ところで、生活のための知恵のほうは、これによって人間の手にはいったわけであるが、しかし国家社会をなすための知恵はもたないままでいた。それはゼウスのところにあったからである。プロメテウスにはもはや、ゼウスのすまうアクロポリスの城砦(じょうさい)にはいって行く余裕はなかったし、それに、ゼウスをまもる衛兵も、おそるべき者だった。ただ彼は、アテナとへバイストスが技術にいそしんでいた共同の仕事場へひそかに忍びこんで、へバイストスの火を使う技術と、アテナがもっていたそのほかの技術を盗み出し、これを人間にあたえたのである。このことから、人間には生存の途がひらけたけれども、プロメテウスは、エビメテウスのおかげで、伝えられるところによると、のちに窃盗(せっとう)の罪で告発されることになっ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(85)エピメテウス、プロメテウスの神話 その1

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『プロータゴラース』の中でも、まったくユーモラスな調子で、エピメーテウス、プロメーテウスの神話が物語られる。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、 p. 258 ) 「むかしむかし、神々だけがいて、死すべき者どもの種族はいなかった時代があった。だがやがてこの種族にも、定められた誕生の時がやってくると、神々は大地の中で、土と、火と、それから火と土に混合されるかぎりのものを材料にして、これらをまぜ合わせて死すべき者どもの種族をかたちづくったのである。そしていよいよ、彼らを日の光のもとへつれ出そうとするとき、神々はプロメテウスとエ ピ メテウスを呼んで、これらの種族のそれぞれにふさわしい装備をととのえ、能力を分かちあたえてやるように命じた。しかしエピメテウスはプロメテウスに向かって、この能力分配の仕事を自分ひとりにまかせてくれるようにたのみ、『私が分配を終えたら、あなたがそれを検査してください』と言った。そして、このたのみを承知してもらったうえで、彼は分配をはじめたのである。  さて、分配にあたってエ ピ メテウスは、ある種族には速さをあたえない代りに強さを授け、他方カの弱いものたちには、速さをもって装備させた。また、あるものには武器をあたえ、あるものには、生まれつき武器をもたない種族とした代りに、身の保全のためにまた別の能力を工夫してやることにした。すなわち、そのなかで、小さい姿をまとわせたものたちには、巽を使って逃げることができるようにしたり、地下のすみかをあたえたりしてやった。丈たかく姿を増大させたものたちには、この大きさそれ自体を、彼らの保全の手段とすることにした。そして同じように公平を期しながら、ほかにもいろいろとこういった能力を分配したのである。これらを工夫するにあたって彼が気を使ったのは、けっしていかなる種族も、滅びて消えさることのないようにということであった。  こうして彼らのために、お互いどうしが滅ぼし合うことを避けるための手段をあたえると、今度は、彼らがゼウスのつかさどるもろもろの季節に容易に順応できるような工夫をしてやることにして、冬の寒さを充分にふせぐとともに、夏の暑さからも身をまもることのできる手段として、厚い毛とかたい皮とを彼らにまとわせ、また、ねぐらに入ったとき、同じこれらのものが、それぞれの身にそなわった自然

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(84)プラトンの対話は遊戯のような芸術形式

プラトーンにあっては、対話はいつも変わりなく軽快な、遊戯のような芸術形式なのである。それを証拠立てているのが『パルメ二アース』の小説的構成と『クラテュロス』の冒頭の部分とである。この2篇の気楽な、くだけた調子、また他の多くの対話のそういった調子がつまりそれなのだ。道化芝居とのある種の類似は、事実見まがうべくもない。『ソビステ-ス』の中では諧謔(かいぎゃく)的なやり方で、古い哲学のいろいろの根本原理が触れられている。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 258)   エレアからの客人  私にはね、パルメニデスにしても、またその他誰にせよこれまでに、ある(実在する)ものがどれだけの数あって、どのような性質のものであるかを規定し裁定するという仕事に立ち向かった人はみな、どうも気楽すぎる仕方でわれわれに語りかけてくれたように思えるのだよ。   テアイテトス  どのような点でですか?   エレアからの客人  つまり、どの人もどの人も、まるで子供に語り聞かせるような具合に、何か物語(ミュートス)めいたことをわれわれに話しているという感じがするのだ。すなわち、或る人によれば、ある(実在する)ものは、3つであって、そのうちの或るものは時には互いに戦い合い、時にはまた互いに親しくなって、結婚し、子供を産んで、その子供たちを養い育てるのだという。また別の人は、ある(実在する)ものは2つであって、〈湿ったもの〉と〈乾いたもの〉、または〈熟いもの〉と〈冷たいもの〉がそれであると言い、それらをいっしょに住まわせ、結婚させている。これに対して、われわれのところのエレア族は――これはもとクセノバネスから、またさらにそれ以前から始まるのであるが――、万物と呼ばれているものは実は1つのものである、という考えに立って、その立場から彼らの物語において話を展開しているのである。  他方、何人かのイオニアのムゥサ(詩神)たち、またこれより後れてシケリアのムゥサたちは、両方の考えを結び合わせるのが、――そしてあるもの(実在)は多であるとともに一であって、憎しみと愛とによって統合されているのだと語るのが、最も安全であると考えるにいたった。すなわち、「それはつねに、仲違(なかたが)い(分裂)することによって和合している」と、このムゥサたちのなかでも、より張りつめた調べをも

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(83)ソフィストのみが遊戯するわけではない

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エレアからの客人は続ける。   エレアからの客人  そうすると、彼は一種のいかさま師であり、物真似(ものまね)師であると考えなければならない。   テアイテトス  もちろん、そう考えなければなりません。   工レアからの客人  さあそれでは、いまやもうわれわれの仕事は、この獲物をもはやけっして逃さないようにするということだ。われわれはこのソフィストという獲物を、議論のなかでこの種の狩に使う道具のひとつである網の中に、ほぼ囲みこんでしまったのだからね。彼はもう少なくともこのことだけは逃れられないのだ。   テアイテトス  どのようなことを、ですか?   エレアからの客人  手品師たちの種族に属する者のひとりである、ということだ。   テアイテトス  そのことなら、この私も彼について同じように考えます。   エレアからの客人  ではこれで、われわれのなすべきことは決まった。すなわち、われわれはできるだけ速やかに、〈影像(似像)作りの技術〉を分割しなければならない。そして、われわれがこの技術の領域の中へ踏みこんだときに、もしそこで直ちにソフィストがわれわれを待ち伏せして抵抗してくるのであれば、われわれの王なる理(ことわり)の命ずるところに従って彼を逮捕し、王に引渡してこの獲物のことを告げ報(ほう)さなければならない。 またもし彼が、この〈真似る技術〉のなかのさまざまの部分のどこかに潜伏の場所を求めるようであれば、彼をかくまっている部分をそのつど分割しながら、彼がつかまるまで、あとをつけて追跡して行かなければならない。いずれにせよ、このソフィストにしても他のどのような種類の者にしても、このように個別的でしかも包括的な追求をなしうる人たちの行なう探求を、逃れおおせたと自慢するような事態には、けっしてならないだろう。(「ソピステス」藤沢令夫訳: 235A-C :『プラトン全集3』(岩波書店)、 pp. 59f ) 存在の問題について意見を述べることを強要されたパルメニデースはまず、この仕事は〈むずかしい遊戯を遊戯することですね〉といい、それから存在の最も深い根本問題に赴(おもむ)くのである。しかもそれらはすべて、問答遊戯の形式によって行なわれている。〈「1」は部分を持つことができない。無限界であり、つまり無形式なものです。それはどこにも存在し

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(82)ソフィストとは〈遊び事〉に携わっている者達

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 ギリシア人自身は、彼らがやっているこれらすべてのことが、どんなに遊戯の領域の中で行なわれているものか、いつもよく自覚していた。『エウテュデーモス』の中で、ソークラテースはソフィスト的な陥穽(わな)仕掛けの質問を、命題の遊戯として拒(しりぞ)けている。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 256)  ソクラテスは言う。 たしかにそれらは学識の戯れだ――それだから実際、僕はこの方々が君に戯れかけていなさると主張するのだ――そして戯れと僕が言うのは、たとえかようなものを多く、いや皆学んでみたところで、事柄がどうあるかということが、それだけ余計に知れるというものではなく、名辞〔の意味〕の相違を利用し、小股をすくって投げ倒しながら、人々に戯れかけることができるくらいのものだからだ。ちょうどそれは、腰を下ろそうとしている人々の小椅子を、こっそり後ろにひっぱる奴らが、人の後ろざまにひっくりかえったのを見て、喜び笑うようなものなのだ。(「エウテュデモス」山本光雄訳: 278BC :『プラトン全集8』(岩波書店)、 p. 21 )  クレイニアスは言う。  「僕に言いたまえ、ソクラテス、それから、この若者が知恵のある者になることを望んでいると言っているその他の諸君、その言葉は戯談(じょうだん)なのか、それとも実際ほんとうに望んでいることなのか、本気なのか」と彼は言った。  そこで私は考えた、して見ると、さっき両人に若者と問答をしてくれるようにと願った時にはわれわれが、戯談を言っていると思ったのだな、それだからこそ戯れかけて本気ではなかったのだな、と。さて、こんなことを考えて私は一段声を高めて「私たちは、それはもうとても本気なのです」と言った。(同: 283BC 、 p. 35 )  プラトーンの『ソピステース』の中で、テアイテートスはエレアーからの異邦人に対して、ソフィストが〈旅回り芸人の一類に属している〉、文字通りに言えば〈遊戯にたずさわっている〉人間だということを承認している。(ホイジンガ、同、 p. 257 )   エレアからの客人  だからこそ、われわれここにいる者はみんな、何とかして君がつらい経験なしに、ものごとの真相にできるだけ近づくようにしてあげようと努めるつもりだし、また現にこうして努めているのだ。――しかしそれ

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(81)多額の授業料を要求するソフィスト

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《ソフィストは金銭を取って教育活動に従事するが、哲学者はけっして金銭を取らない…金銭を取るという営為、すなわち、教育の職業性は、ソフィストであるか否かを判断する、もっとも基本的な規準となっている。プロタゴラスやゴルギアスなど高名なソフィストたちは、多額の授業料を要求し、それによって人々が羨(うらや)むような財産を築いたと伝えられる》(納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)、pp. 119f)  だとすれば、現代の教師もまた、報酬を得ている限りにおいて、「ソフィスト」ということになるのだろうか。否、人は霞(かすみ)を食って生きていけるわけではないので、教育活動に対して正当な報酬を得ること自体を問題とするのはおかしい。 《この点でのプラトンによる執拗な批判にも、貴族主義的な背景からの不当な言い分ではないか、と疑問が向けられることがある。ソクラテスやプラトンらアテナイ市民は、自らの労働によって糧(かて)を得なくても生活ができる特権身分にあった。奴隷制の上にはじめて可能となった「暇」(スコレー)という社会的特権を自明視するプラトンらの態度は、ギリシア哲学者の階級的限界を示すものに他ならない、と逆に批判されるのである》(同、 p. 120 )  問題は、ソフィストが「法外」な授業料を要求したところにある。そして、法外な授業料を支払ってでも指導を願い出る人達がいたということは、指導内容が余程特殊なものであったということである。それは、「相手を打ち負かす技術」と言うべきものであったのだろう。その技術さえあれば、何がしかの権力が手に入る。たとえ法外な授業料を払ったとて安いものだったということだ。 《ギリシアの思想家たちが実際にどのような経済的基盤を有していたかという問いには、明確な答えが与えにくい。ソクラテスの貧乏、いや、質朴(しつぼく)な生活スタイルはアテナイ人の間で有名であり、アリストフアネスの『雲』等でも揶揄(やゆ)されている。しかし、それは本当に経済的困窮によるものか、主義や趣味としてあえて選んだものか、はっきりしない。ソクラテスは石工と産婆の子であり、自ら石材の彫刻に従事していたという古代の言い伝えもある。クリトンら富裕な友人からの支援があったかもしれないが、基本的にソクラテスは、妻子を養い、自弁の武具で戦場におもむく「市民」であった。  

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(80)トラシュマコスの正義

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佐伯啓思氏は言う。 《ソフィスト(ソビステス)とは、文字通りには、知恵を持った者のことである。だがソフィアとは、後世のわれわれがそう考えるような学問的知識のことではなく、もともとは技術への熟知、技芸的な卓越といったぐらいの意味のようである。すなわちソフィストとは、言論という技芸の熟達者なのである。プラトンによって攻撃されるまでは、ソフィストには何のマイナス価値もないどころか、むしろ高い尊敬を集め得る職業だったことは言うまでもない。 問答競技(エリスティケー)によって技を競い、勝者こそが正義だと唱えるソフィストの中から、ヘラクレイトスの万物流転説を一層徹底して、エルア派的な絶対的真理を否定すると同時に一種の無神論に逢着(ほうちゃく)する人物が現われるのは当然であったろう。プロタゴラスがそれである。「万物の尺度は人間である」という彼の有名な主張は、確かにそのことを集約して表わしている。だが普通この命題は、真理の基準を設定するのは神や自然ではなく人間であるという、人間中心主義の宣言と解されているが、その真意はむしろ、あらゆる事物の判断基準は各人の感覚知覚であり、それだけが尺度であるという、徹底した相対主義の表明と解すべきものである。今日は暑いか寒いかを決めるのは一人一人の感覚以外の何ものでもない。こうした常識的な相対主義を普遍的原理として宣言したのが上の命題であった。  興味深いのは、この有名な命題を含む『真理論』と題された著作は、また『打倒論』とも呼ばれていたらしいということである。ソフィストにとって「真理」とは論争によって打倒されずに残ったものの謂(いい)なのである。これが「トラシュマコスの正義」の言い換えであることは論を俟(ま)たない》(佐伯啓思『現代社会論』(講談社学術文庫)、 pp. 79f )  プラトン『国家』の中で、トラシュマコスは、「〈正しいこと〉とは、強い者の利益にほかならない」( 338C )と言い、次のように解説する。  「しかるにその支配階級というものは、それぞれ自分の利益に合わせて法律を制定する。たとえば、民主制の場合ならば民衆中心の法律を制定し、僧主独裁制の場合ならば独裁僧主中心の法律を制定し、その他の政治形態の場合もこれと同様である。そしてそういうふうに法律を制定したうえで、この、自分たちの利益になることこそが被支配者た

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(79)ソフィストとは

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 われわれが遊戯という概念の輪廓を措こうとする時、その円の中心に立つのがギリシアのソフィストたちの形姿である。古代の文化生活の中央に位する存在として、これまでわれわれの眼の前に予言者、シャーマン、見者、奇蹟の人、そして詩人の姿が次々と現われた。われわれには、これらを総括するのに最もよい名称は予言詩人であるように見えたのだが、ソフィストというのは彼らのやや逸脱した後継者なのだ。人前で自分の腕をふるいたいという欲望、ライヴァルを公の競争で負かしてやろうという欲望、この社会的遊戯の2つの大きな衝動は、ソフィストの機能の中でも、はっきり表面に現われている。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 252)  <ソフィスト>と言えば、白を黒と言いくるめる「詭弁家」の心象が強いだろう。 《もし、ソクラテスが、プロパガンダといふ言葉を知つてゐたら、教育とプロパガンダの混同は、ソフィストにあつては必至のものだと言つたであらう。言ふまでもなく、ソクラテスは、この世に本音の意味で教育といふものがあるとすれば、自己教育しかない、或はその事に気づかせるあれこれの道しかない事を確信してゐた。もし彼が今日生きてゐたら、現代のソフィスト達が説教してゐる事、例へばマテリアリズムといふものを、辯證法(べんしょうほう)とか何んとか的とか言ふ言葉で改良したらヒューマニズムになるといふやうな詭辨(きべん)を見逃すわけはない。事賓を見定めずにレトリックに頼るソフィストの習慣は、アテナイの昔から變つてゐない、と彼は言ふだらう》(小林秀雄「プラトンの『國家』」:『新訂 小林秀雄全集』(新潮社)第12巻「考へるヒント」、 p. 31 )  が、哲人田中美知太郎は次のように説明する。 《ソフィストとは何か。職業的な教師、つまり何かを教えて報酬をもらう人たちということになる。しかしこれだけのことなら、子供たちに読み書きや計算を教える人たちも同じことである。ソフィストたちは、そういう初等教育の教師たちに対して、あるいは高等教育を受けもつものと言うことができるかも知れない。『プロタゴラス』( 317B 、 318E - 319A )において、プロタゴラスが標榜(ひょうぼう)するところでは、よき市民、すぐれた人間をつくるというような、高遠高尚な理想をもつものであった。しかし実際において

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(78)喜劇の闘技性

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戯曲の内容そのものも、特に喜劇の場合は闘技的な種類のものだった。例えば、劇の中で闘争をしたり、特定の人物や立場が攻撃されたりする。アリストバネースはソークラテース、ユウリーピデースに対して嘲笑(ちょうしょう)を放った。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 249)  アリストパネスは、喜劇『雲』の中で、ソクラテスを「ソフィスト」(詭弁家)として風刺的に描いている。   ストレプシアデス  大至急お前の行状を改めるのだ。そしてわしがお前に覚えてほしいと思うものを、まあ何でもいいから、覚えて来てほしいのだ。   〔この間、両人は寝室を離れて、家の外へ出て来る。右手にソクラテスの家が見える〕   ペイディピデス  いったい何をしろって言うんです?   ストレプシアデス  大丈夫きいてくれるだろうな。   ペイディピデス  ええ、ききますよ、ディオニュソスさまに誓って。   ストレプシアデス  それなら、ここへ来て、ほら見てごらん。〔ソクラテスの家を指す〕見えるだろう、あの戸口が、あの小屋が。   ペイディピデス  ええ、見えますがね、それでいったい全体あれが何だというんですか、お父さん。   ストレプシアデス  あれが賢い御霊の思案(思索)所なのさ。あそこには天地を火消壷であると唱え、われわれ人間はこれに周囲を取りかこまれている炭なのだということを、うまく説いて聞かせてくれる人たちが住んでいるのだ。その人たちは、正邪にかかわらず、議論に勝てる法を、金さえ出せば、教えてくれるのだ。  議論に勝つことを最優先とするのが「ソフィスト」と呼ばれる人達であった。   ペイディピデス  それはしかし何者ですか。   ストレプシアデス  くわしい名前は知らないが、思索思案に苦心している、りっぱな人たちだ。   ペイディピデス  ちえー、あんな下らない連中がですか? わかりましたよ、お父さんの言うのは、あのほら吹きの、蒼白い顔をして、履物もはかないでいる連中のことでしょう、悪いダイモンに憑(つ)かれているソクラテスだの、カイレボンだのの一味の。 ― アリストパネス「雲」田中美知太郎訳:『田中美知太郎全集 第13巻』(筑摩書房)、 p. 258  ここに言う<ダイモン>とは、「鬼神・悪霊・悪魔」( dem