ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(78)喜劇の闘技性

戯曲の内容そのものも、特に喜劇の場合は闘技的な種類のものだった。例えば、劇の中で闘争をしたり、特定の人物や立場が攻撃されたりする。アリストバネースはソークラテース、ユウリーピデースに対して嘲笑(ちょうしょう)を放った。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 249)

 アリストパネスは、喜劇『雲』の中で、ソクラテスを「ソフィスト」(詭弁家)として風刺的に描いている。

 ストレプシアデス 大至急お前の行状を改めるのだ。そしてわしがお前に覚えてほしいと思うものを、まあ何でもいいから、覚えて来てほしいのだ。

  〔この間、両人は寝室を離れて、家の外へ出て来る。右手にソクラテスの家が見える〕

 ペイディピデス いったい何をしろって言うんです?

 ストレプシアデス 大丈夫きいてくれるだろうな。

 ペイディピデス ええ、ききますよ、ディオニュソスさまに誓って。

 ストレプシアデス それなら、ここへ来て、ほら見てごらん。〔ソクラテスの家を指す〕見えるだろう、あの戸口が、あの小屋が。

 ペイディピデス ええ、見えますがね、それでいったい全体あれが何だというんですか、お父さん。

 ストレプシアデス あれが賢い御霊の思案(思索)所なのさ。あそこには天地を火消壷であると唱え、われわれ人間はこれに周囲を取りかこまれている炭なのだということを、うまく説いて聞かせてくれる人たちが住んでいるのだ。その人たちは、正邪にかかわらず、議論に勝てる法を、金さえ出せば、教えてくれるのだ。

 議論に勝つことを最優先とするのが「ソフィスト」と呼ばれる人達であった。

 ペイディピデス それはしかし何者ですか。

 ストレプシアデス くわしい名前は知らないが、思索思案に苦心している、りっぱな人たちだ。

 ペイディピデス ちえー、あんな下らない連中がですか? わかりましたよ、お父さんの言うのは、あのほら吹きの、蒼白い顔をして、履物もはかないでいる連中のことでしょう、悪いダイモンに憑(つ)かれているソクラテスだの、カイレボンだのの一味の。

― アリストパネス「雲」田中美知太郎訳:『田中美知太郎全集 第13巻』(筑摩書房)、p. 258

 ここに言う<ダイモン>とは、「鬼神・悪霊・悪魔」(demon)のことである。ソクラテスは、ダイモンに憑りつかれている。だから、詭弁を弄(ろう)して人々を欺(あざむ)くのだ、とペイディピデスは思っている。

プラトーンは『饗宴』の中で、ソークラテースに言わせている、「真の詩人は悲劇的であると同時に喜劇的でなければならぬ、人間生活のすべては同時に悲劇として、また喜劇として感じられるのでなければならない」と。(ホイジンガ、同、p. 250

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