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「進歩主義」の虚妄(6) 全6回

小林  未来学というのは、そういうアイディアからきてるんでしょう。おかしなものだね。 江藤  おかしなものですね、畏(おそ)れがないです。 小林  未来という言葉は、「未だ来たらず」という意味ですね。だけど、いまの未来学というものには、そういう意味なんか全然ないでしょう。 江藤  「未だ来たらず」じゃなくて、「未だ来たらざる」はずのものを、もうすでに、持っているという気持になりたいわけでしょう。 小林  ベルグソンは、「予言」というものは実は現在のことだと言っている。たとえば何年後の何月何日に月蝕があるという、これを予言だと人はみんないっているけれども、ちっとも予言じゃない。現在の計算にすぎない。時間が脱落しているからだ、というわけですね。 江藤  未来学をやる人は不確定ということを非常に嫌うわけですね。すべて確定していると思おうとするのでしょう。 小林  そうそう。だから、未来、未来といったって「未来」じゃないんだよ。ここに現代人の性格がよく出ている。 江藤  未来学者の人がしゃべっているのをききますと、人情味などというものはあまり感じられませんね。人間らしくないというか、ロボットがしゃべっているみたいなんです。とにかく数字の掴み出し方は的確です。つまり、世の中は当然こういうふうに進んでいく。時間は不可逆的である。不可逆的な時間の未来は、かくかく予測できる。なぜかといえば、コンピューターがそのように計測しているからだ、というように。  ですから、その話を聞いていると、枝葉末節では、へえ、そういうものかというふうに納得できるところもあります。しかし、根本的には、未来はこうなるにきまっている、未来をつくるものは、自分たちのようなテクノクラート、技術文明の専門家であり、それをつくらせる力は、大資本、大企業であると割り切っているところが気にかかります。面白いのは進歩的というか左翼的な学者の人たちも、そのこと自体に対しては反対しないわけですね。そうではなくて、コンピューターが集めてくる情報を、企業とか、政府が独占しているのはけしからんから、自分たちにもよこせというような形で反対するわけですね。ですからそのストラクチャーというんでしょうか、そういうふうに世界のコースがほとんど確定していてすでに来つつあると思えるもののほうに向かっているのだと考え...

「進歩主義」の虚妄(1) 全6回

小林秀雄  僕ら、どうも古いことばかり読んだり、考えたりしているものの目からみると、なんだか知らないけど、誰もかれも未来のほうを向いているような気がするなァ。未来を基として計画を立てているでしょう。文化がそういうふうになっちゃったね。 江藤淳  計画を立てて、計画通りにつくるわけですから、未来というのはすでに未来じゃなくて、既知項に入ってしまっている。ですから、たとえば三年目にどういう姿になるかというのが、わかると考えるのですね。 ―『小林秀雄対談集 歴史について』(文藝春秋)、 p. 10  自分たちが夢見る「未来」をバラ色に盛り、現在の暗黒面を強調する。それが未来派の遣り口である。が、言うまでもなく現在はすべて暗黒に染まっているわけではないし、どんなバラ色の未来も現在から見れば只の空想でしかない。未来に期待することが悪いとまでは言わないが、期待し過ぎるのはあまり褒められたことではないとだけは言えるだろう。地に足の着かぬ空想は只の「妄想」である。 《そもそも哲学はつねに到来が遅すぎるのである。現実がその形成過程をおえ、みずからを完成させてしまったあとになって、はじめて、哲学が世界についての思想として時間のなかに現れるのである。このことは概念が教えるところであるが、また必ず歴史が示すところでもあって、現実が成熱するなかで、はじめて理念的なものが実在的なものに対峠するかたちで現れ、そして、この理念的なものがこの世界を実体において把握し、これを知性の王国の形態へと形成するのである。哲学がみずからの灰色を灰色で描くとき、生の形態はすっかり古びたものになってしまっているのであり、灰色に灰色を重ねてみてもその形態は若返らず、単に認識されるにすぎない。ミネルヴァの梟(フクロウ)は、夕暮れの訪れとともに、ようやく飛びはじめるのである》(ヘーゲル『法の哲学』(岩波文庫)、 p. 40 ) ※智慧(ちえ)の女神アテナ(ミネルヴァ)はゼウスの娘で、ゼウスの頭から、全身に鎧(よろい)を着たままで飛び出したといい傳(つた)えられてあります。男女の技術の守護神で、男の方では農業と航海術、女では絲(いと)をつむぐこと、機織(はたお)り、裁縫なぞをつかさどっていました。(ブルフィンチ作『ギリシャ・ローマ神話 上』(岩波文庫)野上弥生子訳、 p. 136 )  哲学は現実を...