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オークショット「人類の会話における詩の言葉」(9)科学の世界

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言語記号について、ソシュールは次のように解説している。 言語記号は…2面を有する心的実在体であって,図示すれば: この2つの要素はかたくあい結ばれ,あい呼応する.ララン語のarborの意味を求めるにせよ,ラテン語が「樹」という概念を示すのに用いる語を求めるにせよ,言語が認めた照合のみが真相にかなうものと思われることは明らかであって,このほかに随意の照合を想像しえようが,われわれはそれらをすべて斥(しりぞ)けるのである.  以上の定義は重要な用語問題を提起する.われわれは概念と聴覚映像との結合を記号(signe)とよぶ.しかし一般の慣用では,この名称は聴覚映像のみを示す,たとえば語(arbor etc.)を.ひとは, arbor が記号とよばれるとすれば,それが「樹」という概念をになうものとしてにほかならぬことを忘れている,そのけっか,感覚的部分の観念が全体のそれを包含してしまうのだ.  このあいまいは,当面の3個の概念を,あい対立しながらあい呼応する名前をもって示したならば,消え失せるであろう.われわれは,記号という語を,ぜんたいを示すために保存し,概念( concept )と聴覚映像( image acoustique )をそれぞれ所記( signifié )と能記( signifiant )にかえることを,提唱する;このあとの2つの術語は,両者間の対立をしるすにも,それらが部分をなす全体との対立をしるすにも,有利である.記号は,それで満足するとすれば,それにかわるものを知らぬからである;日用語には適当なものが見当らないのだ.(ソシュール『一般言語学講義』(岩波書店)小林英雄訳、 pp. 96-97 ) 学知( scientia )「事実」と「非事実」の認知には、既に我々はなじんでいるが、今までのところそれは scientia propter potentiam (力のための学) ―― いかに欲しいものを手に入れるかの知識、是認され、快を与えるイメージの世界をいかにくふうするか――ということにとどまっていた。他方それとは異なる種類の学知( scientia )が問題であるように見える。 即(すなわ)ち、我々の希望や欲求、選好や野心とは独立した観点で理解される世界、全く異なる素性をもち、異なる欲求をもって、どこか宇宙の違う場所に住んでいる...