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ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(80)トラシュマコスの正義

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佐伯啓思氏は言う。 《ソフィスト(ソビステス)とは、文字通りには、知恵を持った者のことである。だがソフィアとは、後世のわれわれがそう考えるような学問的知識のことではなく、もともとは技術への熟知、技芸的な卓越といったぐらいの意味のようである。すなわちソフィストとは、言論という技芸の熟達者なのである。プラトンによって攻撃されるまでは、ソフィストには何のマイナス価値もないどころか、むしろ高い尊敬を集め得る職業だったことは言うまでもない。 問答競技(エリスティケー)によって技を競い、勝者こそが正義だと唱えるソフィストの中から、ヘラクレイトスの万物流転説を一層徹底して、エルア派的な絶対的真理を否定すると同時に一種の無神論に逢着(ほうちゃく)する人物が現われるのは当然であったろう。プロタゴラスがそれである。「万物の尺度は人間である」という彼の有名な主張は、確かにそのことを集約して表わしている。だが普通この命題は、真理の基準を設定するのは神や自然ではなく人間であるという、人間中心主義の宣言と解されているが、その真意はむしろ、あらゆる事物の判断基準は各人の感覚知覚であり、それだけが尺度であるという、徹底した相対主義の表明と解すべきものである。今日は暑いか寒いかを決めるのは一人一人の感覚以外の何ものでもない。こうした常識的な相対主義を普遍的原理として宣言したのが上の命題であった。  興味深いのは、この有名な命題を含む『真理論』と題された著作は、また『打倒論』とも呼ばれていたらしいということである。ソフィストにとって「真理」とは論争によって打倒されずに残ったものの謂(いい)なのである。これが「トラシュマコスの正義」の言い換えであることは論を俟(ま)たない》(佐伯啓思『現代社会論』(講談社学術文庫)、 pp. 79f )  プラトン『国家』の中で、トラシュマコスは、「〈正しいこと〉とは、強い者の利益にほかならない」( 338C )と言い、次のように解説する。  「しかるにその支配階級というものは、それぞれ自分の利益に合わせて法律を制定する。たとえば、民主制の場合ならば民衆中心の法律を制定し、僧主独裁制の場合ならば独裁僧主中心の法律を制定し、その他の政治形態の場合もこれと同様である。そしてそういうふうに法律を制定したうえで、この、自分たちの利益になることこそが被支配者た...