《『道徳感情論』においてスミスが試みたことは、一言でいえば、道徳性の基礎を、人間の自然な感情から導き出すことであった。これは、当時の通俗的な見解、ひとつは、道徳をキリスト教という絶対的倫理から導くというやり方とも、また道徳の基礎を、人間理性に求める啓蒙主義的な思考とも異なるもので、これらと対比させてみれば、相当にユニークでかつ斬新的な試みであったといってよいだろう》(佐伯啓思『アダム・スミスの誤算 幻想のグローバル資本主義(上)』(PHP新書)、 p. 60 ) 時は、宗教的観念の中に位置付けられてきた道徳が、啓蒙主義によって新たな観念の世界に組み込まれようとしていた時代であった。そこでスミスは、道徳を観念の世界から救うべく『道徳感情論』を上梓(じょうし)したのであった。 スミスの問題意識は、 《果たして、ある行為が正しいとされ、またある行為は間違いだとされるその根拠はどこにあるのだろうか。つまり道徳の「一般的規則」はどこから発生するのだろうか》(同) というものであった。 《あらゆる行為は通常それなりの動機をもち、またその対象あるいは帰結に対して一定の関係をもっているだろう。端的にいえば、行為には動機と結果がある。そこで行為の動機をうみだすものを「情念」だとすれば、ここで問題となるのは、行為をうみだす情念と、行為の帰結との間の関係だということになる。そして、この関係がうまくいっているかどうかを指す概念がとりあえずは「適宜性」(propriety)にほかならない》(同、p. 61) It has already been observed, that the sentiment or affection of the heart, from which any action proceeds, and upon which its whole virtue or vice depends, may be considered under two different aspects, or in two different relations: first, in relation to the cause or object which excites it; and, secondly, in relation to the end w...
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