ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(81)多額の授業料を要求するソフィスト

《ソフィストは金銭を取って教育活動に従事するが、哲学者はけっして金銭を取らない…金銭を取るという営為、すなわち、教育の職業性は、ソフィストであるか否かを判断する、もっとも基本的な規準となっている。プロタゴラスやゴルギアスなど高名なソフィストたちは、多額の授業料を要求し、それによって人々が羨(うらや)むような財産を築いたと伝えられる》(納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)、pp. 119f)

 だとすれば、現代の教師もまた、報酬を得ている限りにおいて、「ソフィスト」ということになるのだろうか。否、人は霞(かすみ)を食って生きていけるわけではないので、教育活動に対して正当な報酬を得ること自体を問題とするのはおかしい。

《この点でのプラトンによる執拗な批判にも、貴族主義的な背景からの不当な言い分ではないか、と疑問が向けられることがある。ソクラテスやプラトンらアテナイ市民は、自らの労働によって糧(かて)を得なくても生活ができる特権身分にあった。奴隷制の上にはじめて可能となった「暇」(スコレー)という社会的特権を自明視するプラトンらの態度は、ギリシア哲学者の階級的限界を示すものに他ならない、と逆に批判されるのである》(同、p. 120

 問題は、ソフィストが「法外」な授業料を要求したところにある。そして、法外な授業料を支払ってでも指導を願い出る人達がいたということは、指導内容が余程特殊なものであったということである。それは、「相手を打ち負かす技術」と言うべきものであったのだろう。その技術さえあれば、何がしかの権力が手に入る。たとえ法外な授業料を払ったとて安いものだったということだ。

《ギリシアの思想家たちが実際にどのような経済的基盤を有していたかという問いには、明確な答えが与えにくい。ソクラテスの貧乏、いや、質朴(しつぼく)な生活スタイルはアテナイ人の間で有名であり、アリストフアネスの『雲』等でも揶揄(やゆ)されている。しかし、それは本当に経済的困窮によるものか、主義や趣味としてあえて選んだものか、はっきりしない。ソクラテスは石工と産婆の子であり、自ら石材の彫刻に従事していたという古代の言い伝えもある。クリトンら富裕な友人からの支援があったかもしれないが、基本的にソクラテスは、妻子を養い、自弁の武具で戦場におもむく「市民」であった。

 プラトンの場合も、アテナイ名門の家柄や資産によるものであろうが、自ら学園アカデメイアを開校して共同研究に従事し、そこでは一切の授業料を取らなかった。彼は、自身の財産を注ぎこんで教育活動にあたった訳である。他方で、アテナイ市民であったソフィスト・イソクラテスは、弁論術を教授する自分の学校で生徒たちから授業料を徴収していた。それは、おもに経済的必要性によるものであり、アテナイ市民であることが、それだけで自由な学究生活の保証とはならなかったことを示している。

 プラトンは、哲学者との対比で、ソフィストたちが金銭を取って教育にあたる点を徹底して批判した。この規準に照らせば、現代の「哲学者」、つまり、大学で哲学を講じる教育者はすべて「ソフィスト」であることになる。では、金銭取得の一体何が悪いのか。現代の高等教育において、この点で心にやましさを感じている者は、ほとんどいないはずであろう》(同、pp. 120f

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