ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(96)音楽は一種の「普遍言語」
《文明と、われわれの知っている形での未開社会…とのあいだの1つの本質的な差異はミメシスの向かう方向である。ミメシスは、あらゆる社会生活に見られる、社会という類全体の特徴である。その作用は、未開社会と文明社会の別を問わず、映画ファンのスターのスタイル模倣をはじめとして、あらゆる社会活動において看取(かんしゅ)することができる》(トインビー「歴史の研究」長谷川松治訳:第2編 第1章:『世界の名著61』(中央公論社)、p. 128)
歴史家トインビーは、「模倣」(ミメーシス)を社会的に見る。
《われわれの知っている形での未開社会ではミメシスは年長者と、目には見えないけれども、生きている年長者の背後に立っていると感じられ、生きている年長者の威厳を強めている死せる先祖たちに向けられる。このようにミメシスが後ろ向きに過去に向けられている社会では、習慣が支配し、社会は静的状態にとどまる。これに反し、文明の過程にある社会ではミメシスは、開拓者であるからおのずと追随者が集まってくる、創造的人物に向けられる。そのような社会では、「慣習の殻」はうち破られ、社会は変化と成長の道にそって、ダイナミックに動いてゆく》(同)
社会が静的であるか動的であるかによって違いはあるけれども、社会的模倣の対象となるのは、社会的価値を有する存在だと言えるように思われる。それは、静的社会であれば、年長者ないしは先人であり、動的社会であれば、時代の開拓者ということになる。
オリュンボスのさまざまの旋律は恍惚(こうこつ)をよび起こし、他のさまざまのリズムや歌は、憤(いきどお)り、和(やわ)らぎ、勇気、思慮などを生み出す。触覚や味覚は、何ら倫理的作用と結びつくものではなく、また視覚のそれはごくわずかなものであるにすぎないが、これが音楽になると、すでに旋律そのものの中に、ある性格の表現がこめられているのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、pp. 276f)
音楽には「普遍性」があり、人々の心に作用する。ある音楽を聞くと人々の感情が高まり、またある音楽を聞くと気持ちが穏やかになるといった具合である。その意味で、音楽は1つの「普遍言語」の性格を有し、ある種の情報伝達手段と言うことも可能であろう。
この点がさらに著しいのは、強く倫理的内容を帯びている音階とリズムの場合である。ギリシア人は周知のように、それぞれの音階にはそれぞれ特定の作用がある、としていた。すなわち、そのあるもの(リュディア旋法)はもの悲しい感情をおこさせるし、他のものは落着きを与えたり(ドリス旋法)、熱狂させたりする(プリュギア様式)。また同様に、それぞれの楽器にもそういうことがあって、例えば笛は感情を昂(たかぶ)らせる、などと考えていた。(同、pp. 277)
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