ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(91)音楽とは何か
アテナイからの客人 有用性も真実性も類似性も生み出すことなく、また、もとより害をもたらすこともなくつくり出されるもの、いやむしろ、それら(有用性、真実性、類似性)に付随する楽しさ、ただそれだけを目的として生じるもの、そういうものだけではないでしょうか。もしその楽しさに、以上のどれ1つも付随しないときには、これを快楽と名づけるのがいちばんよいでしょうね。
クレイニアス あなたが意味しておられるのは、ただ害のない快楽のことだけですね。
アテナイからの客人 そうです。そして、その快楽のあたえる害や益が、真剣にとりあげて語るに値しない場合、その同じ快楽を、わたしは遊戯と言います。
(「法律」森進一・池田美恵・加来彰俊訳:667DE:『プラトン全集13』(岩波書店)、p. 153)
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《音楽がどんな種類の能力をもっているか、なんのためにそれに与(あず)かるべきか――遊びのためや、眠り、酔いのような休息のためであるのかどうか――精密に決めるのは容易ではない》(アリストテレス『政治学』(京都大学学術出版会)牛田徳子訳:1339a、p. 414)
精密に決める必要は毛頭ないが、<音楽がどんな種類の能力をもっているか>を考えることは重要である。また、<能力>などと限定的に問う必要もなく、音楽の役割、音楽の効用といったことも含めて音楽について考察することも大切であろう。
《というのは、それら遊びやその他のものは、それら自身として真剣な事柄ではなく、たんに楽しいことであって、同時に、エウリピデスの言うように、われわれの心の悩みを霧散(むさん)させるからである。それゆえ、人びとは音楽をそれらと同じ分類にいれて扱う――眠り、酔い、音楽、それから踊りを加える。それともむしろ、こう考えるべきではないか。音楽は、ある程度徳に貢献する。ちょうど体育が身体をある一定の性質のものにするように、音楽もまた、正しい仕方で歓(よろこ)ぶことができるように、人を習慣づけることによって彼の性格をある一定の性質のものにする能力があるからであると。それともまた、それはある程度閑暇(かんか)のときを過ごすため、思慮のために貢献するのではないか――これは述べられたことのうちの第3の選択肢として立てるべきである》(同)
This διαγωγή is a highly significant word. It means literally the "passing"
or "spending" of time, but to render it by "pastime" is
only admissible if one has Aristotle's attitude to work and leisure. – J. Huizinga,
Homo Ludens, Chap. X
(このδιαγωγήは非常に重要な言葉である。文字通りには、時間が過ぎること、時間を過ごすことを意味するが、これを「娯楽」と表現するのは、アリストテレスの仕事と余暇に対する考え方がある場合にのみ許されるものである)―ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』、cf. 高橋訳、p. 274
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