ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(38)闘技から遊戯への堕落

 まずブルクハルトによってとられた後、さらにエーレンベルクに引き継がれた見方に従えば、ギリシア社会は――原始時代につづいて英雄的時代をへた後、ただ副次的に――一切を支配する社会的原理としての闘技的なものへ向かって進んでゆく、というのであった。これは、ギリシア人が生きるか死ぬかという戦争によって、そのすぐれた力を使い尽してしまったからだ、というわけである。それは〈闘争から遊戯へ〉という移行であり、従って一種の堕落である。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 131)

 私は、古代ギリシャ史に詳しくないので、立ち入らないが、気になるのは、「闘争」から「遊戯」へと堕落したというのが引っ掛かるだけである。果たして、「闘争」と「遊戯」はそのような上下関係にあるのだろうか。「闘争」には、「遊戯」的側面と「非遊戯」的側面が存在すると考えられる。詰まり、「闘争」は「遊戯」と重なり合う部分があるのだから、どちらが上でどちらが下かを言えないということである。

闘技が隆盛を極めるということが、やがて長い年月の後には堕落へ通ずる結果になるのは、たしかに疑いようもない。闘技が現実には無意味であり、無目的な性格のものだということは、結局のところ、〈生活、思考、行動におけるすべての困難を回避するということ、あらゆる外部からの規範に対する無関心ということであり、国民の力を、ただこの勝つということだけに振りむける濫費である〉。(同)

 例えば、生死を賭けた「闘争」から、娯楽的「闘技」へと変質したとすれば、それは「堕落」であろう、ということなのだろうか。が、野蛮な「闘争」から、洗練された「闘技」への変貌は、果たして「堕落」と言えるのか。実際、「堕落」かどうかを決めるのはそれほど容易なことではない。

この文葦の終りの方には、たしかに当たっているところが多い。だが、現実にさまざまの現象が起こってきた順序は、エーレンベルクが仮定したのとは異なった道を辿(たど)っている。われわれは、闘技的なものが文化に対して持っていた意味を示すのには、全く違った言い方をしなければならないのだ。それは〈闘争から遊戯へ〉という移行でも、〈遊戯から闘争へ〉というのでもない。ただ、〈遊戯的競争の中にある文化〉というものへ向かっての発展なのだ。ただしその際、時には競技が文化生活を凌(しの)いで異常に盛んとなり、そのため、いわばその遊戯的、奉献的、文化的価値がかえって失われて、それがただの競争心という情熱に堕することもありはした。(同)

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