ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(22)仮面

仮面や変装などをひっくるめて、それらすべてのものに対して現代人が持つ感受性ほど、彼の未開社会への理解の手掛りとなるものはない。民族学は仮面の持つ大きな社会的意義をはっきり指摘してくれたが、その一方で、一般の教養人たちは、仮面を通じて美、恐怖、神秘の混りあった直接的な美的感動に捉えられるのを体験している。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 53)

 西洋文化は、「仮面」に特殊な力を見る傾向がある。

《仮面は、祖霊、精霊、神々との交流共生の経験、憑依(ひょうい)の経験にも伴うものである。仮面を被(かぶ)る者は一時的興奮を感じ、自分が何か決定的な変身を遂げたと信じる。ともかく、仮面の着用は本能の爆発を、抵抗不能のおそるべき諸力の侵入を助けるものである。なるほど、仮面の着用者もはじめから本気でいるわけではないが、しかしたちまち陶酔に身を委(ゆだ)ね、正気を失ってしまう。意識は幻惑され、模倣によって生まれる惑乱にすっかり投入してしまう》(カイヨワ『遊びと人間』(講談社文庫)多田道太郎・塚崎幹夫訳、p. 158

今日、一個の成人として十全な教養を身につけた人々にとっても、やはり仮面にはどことなく神秘の翳(かげ)りがつきまとっていることには変わりがない。仮面を被った姿を眺めること、それははっきり規定された信仰観念とは結びつかない、純粋に美的な経験であるにしても、その時われわれはたちまち〈日常生活〉の中から連れ出されて、白日(はくじつ)が支配する現実界とはどこか違った別の境界へひきこまれる。それは、われわれを未開人の、子供の、詩人の世界へ、遊戯の領域へと導いてゆく。(ホイジンガ、同)

 さて、ホイジンガは、次のように「遊戯」を定義する。

遊戯とはあるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行なわれる自発的な行為、もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている。その規則は一旦受け入れられた以上は絶対的拘束力を持っている。遊戯の目的は行為そのものの中にある。それは、緊張と歓(よろこ)びの感情を伴い、またこれは〈日常生活〉とは〈別のものだ〉という意識に裏づけられている。

 こう定義してみると、この概念は、われわれが動物や子供や大人の遊戯と呼んでいるすべてのもの、技芸や力業(わざ)の遊戯、知恵比べ、賭け事、さまざまの演技表現、見せ物などを総括するのに適しているようにみえる。前に述べたように、この遊戯という範疇(はんちゅう)は、生の最も基本的な精神的要素の1つと見なすことができるのである。(同、p. 58

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