ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(61)フェア・プレー

日本の大名上杉謙信は、山国を治める大名武田信玄と戦いを構えていた。その時、彼は、第三者のある大名が信玄とはなんら不仲でなかったにもかかわらず、信玄に対する塩の供給を断絶したということを知った謙信はさっそく家臣に命じて敵方にあり余る程の塩を送らせ、また、〈聞く、氏康氏真君を因(くろし)むるに塩を以てすと、是れ不勇不義の極みなり、我れ人と争ふ所は弓箭(ゆみや)にありて米塩(かて)にあらず、請ふ今より以往(さき)塩を我国に取られ候へ……〉という書簡を送った。ここには、またしても遊戯規則に対する誠実というものが見出されるのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、pp. 180f)

 「敵に塩を送る」という日本の有名な逸話である。これは英語で言うところの「フェア・プレー」に相当するだろう。まさに<遊び>の範疇に属する行為である。

Fair play in fight! What fertile germs of morality lie in this primitive sense of savagery and childhood. Is it not the root of all military and civic virtues? We smile (as if we had outgrown it!) at the boyish desire of the small Britisher, Tom Brown, "to leave behind him the name of a fellow who never bullied a little boy or turned his back on a big one." And yet, who does not know that this desire is the corner-stone on which moral structures of mighty dimensions can be reared? May I not go even so far as to say that the gentlest and most peace-loving of religions endorses this aspiration? – Nitobe Inazo, Bushido, the Soul of Japan

(戦中のフェア・プレー! 野蛮さと幼さのこの根源の感覚に、何という肥沃な道徳の兆し! それは、軍事的・市民的美徳の根源ではないのか。小柄な英国人トム・ブラウンの「小さな子供をいじめたことも、大きな子供に背を向けたこともない男の名前を残したい」という少年らしい願望を(それを卒業したかのように)私達は笑う。しかし、誰が、この願望が巨大な道徳的構造物を立てるための礎石であることを知らないであろうか。最も優しく、最も平和を愛する宗教が、この願望を支持している、とまで言ってはいけないのだろうか)― 新渡戸稲造『武士道』

This desire of Tom's is the basis on which the greatness of England is largely built, and it will not take us long to discover that Bushido does not stand on a lesser pedestal. If fighting in itself, be it offensive or defensive, is, as Quakers rightly testify, brutal and wrong, we can still say with Lessing, "We know from what failings our virtue springs." "Sneaks" and "cowards" are epithets of the worst opprobrium to healthy, simple natures. – Ibid.

(トムのこの願望は、英国の偉大さの大部分が築かれている基盤であり、武士道がそれ以下の台座に立つものではないことを発見するのに長い時間を要さないだろう。攻撃的であれ防御的であれ、戦うこと自体が、クエーカー教徒が正しく証言するように、残忍で邪悪であるとしても、私達はレッシングと共に、「私達の美徳はどんな失敗から生まれるか知っている」と言うことができる。"卑怯者 " "臆病者 "は、健全で簡素な本性に対する最悪の不名誉の源の蔑称である)― 同

Childhood begins life with these notions, and knighthood also; but, as life grows larger and its relations many-sided, the early faith seeks sanction from higher authority and more rational sources for its own justification, satisfaction and development. If military interests had operated alone, without higher moral support, how far short of chivalry would the ideal of knighthood have fallen! – Ibid.

(幼少期はこのような観念で人生を初め、騎士道もまたそうだが、人生が大きくなり、その関係が多面的になるにつれて、初期の信仰は、自らの正当性、満足、発展のために、より高い権威とより合理的な拠り所からの承認を求めるようになる。もし、より高い道徳的な支持なしに、軍事的な利益だけで動いていたとしたら、騎士道の理想はどれほど低くなってしまったことでしょう)― 同

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