ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(64)忠誠という美徳
人間のもろもろの美徳の中で、ただ1つ、古代の貴族的、闘技的な戦士生活から確かにまっすぐに育ってきたように見えるものがある。忠誠(loyalty)がそれだ。忠誠とは、ある人物、ある事柄、ある観念への献身ということである。しかもその場合、何故それに忠誠を尽すのかと献身の理由をそれ以上論議したりすることもなければ、この献身はいつまでつづくのかと、その永続的拘束力を疑ったりすることもあり得ない、そういうものである。これは、遊戯の本質と多くの点で共通する態度である。この美徳は、その形の純粋さ、その倒錯の凄まじさによって、歴史の中で強い酵素の役割を果すものだが、その起源を直接に遊戯の領域にあると推定しても、こじつけがすぎるということはあるまい。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、pp. 182f)
Of the causes in
comparison with which no life was too dear to sacrifice, was
THE DUTY OF
LOYALTY,
which was the
key-stone making feudal virtues a symmetrical arch. Other virtues feudal
morality shares in common with other systems of ethics, with other classes of
people, but this virtue ―― homage and fealty to a superior ―― is its
distinctive feature. I am aware that personal fidelity is a moral adhesion
existing among all sorts and conditions of men, ―― a
gang of pickpockets owe allegiance to a Fagin; but it is only in the code of
chivalrous honor that Loyalty assumes paramount importance. – Nitobe Inazo, Bushido,
the Soul of Japan, THE DUTY OF LOYALTY
(大事過ぎて犠牲に出来ない命など1つもない大義のうち、忠誠の義務は、封建的美徳を釣り合いがとれたアーチにする要石(かなめいし)であった。封建道徳が他の倫理体系や他の階級と共通する美徳もあるが、この美徳――上官への敬意と忠誠――は、その際立った特徴である。私は、個人的な忠誠がすべての種類と状態の人の間に介在する道徳的執着であることを承知している、――掏摸(すり)の一団はフェイギンに忠誠を尽くすが、忠誠が最も重要視されるのは、騎士道の名誉の規範においてでしかない)― 新渡戸稲造『武士道』:忠義 ※フェイギン:チャールズ・ディケンズ『オリバーツイスト』に登場する人物。少年掏摸団の頭領。
<忠誠>という理想もまた、現実との平衡の中で生まれ出たものであり、非日常的遊戯空間の中で洗練されてきたものだと言えるだろう。
それはどうあろうとも、とにかく文化のもろもろの価値の輝かしい開花、豊饒(ほうじょう)な稔(みの)りは、騎士道の地盤から拓(ひら)かれたのである。この上なく高貴な内容を持つ叙事詩や抒情詩、彩色ゆたかで、気紛れな装飾的芸術、華やかな儀事の形式。中世騎士から17世紀の(君子)、そして現代の(紳士)へ、1本のまっすぐな線が貫いている。
ヨーロッパ・ラテン系の諸国は、この忠誠という徳の礼拝の中に、宮廷的恋愛の理想を引き入れ、その2つをひそかに織り合わせた。そのため、長い時の経った今日、われわれにはどちらが経糸(たていと)で、どちらが緯糸(よこいと)なのか、殆(ほと)んど見分けられなくなっている。(同、p. 183)
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