ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(58)騎士道は封建制度から生まれたものではない

こういう封建的貴族制のもとでのみ、前代未聞の勲功をあげることに幻想的な誓いをかける遊戯が大真面目に行なわれるのだ。そこでは、軍職、紋章が大きな問題にされる。人々は騎士団を結成して、位階、特権を互いに競い合う。封建的貴族制度のみが、そういうことに耽(ふけ)る暇と雰囲気を持っているのである。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、p. 180)

 が、仏文学者・ゴーティエは、騎士道をキリスト教との繋がりで考える。

《騎士道とは…ゲルマン民族の習慣が教会により理想化されたものである。従って騎士自身もまた、それ自身が社会制度である以上に、1つの理想の体現なのである。

 騎士という高貴なる主題については今まで多くの書籍が書かれてきた。これら先行文献で解明された騎士道と騎士を端的に集約するには次の1文で十分である――「騎士道とはキリスト教の軍事規律であり、騎士とはキリストの戦士である。」》(レオン・ゴーティエ『騎士道』(中央公論新社)武田秀太郎編訳、p. 31

 ゴーティエは、<封建制度もまた騎士制度との共通点を持たない>と言う。

《騎士階級というものは事実、人々が一定の条件を満たした際にのみ特定の儀式を経て加入が認められる名誉階級である…ここで重要であるのは、封臣たちが必ずしも騎兵ではなかった事実である。封臣の中には、主として騎兵となるための初期費用の負担を避けるため、一生を近習(きんじゅ)〈damoiseaux〉として過ごした者もいたのである。確かに大多数の封臣は、こうした選択をしなかったかもしれない。しかし、こうした選択の自由は存在し、そして事実非常に多くの封臣がそれを選択した。

 その一方で、封土を持ったこともなく、誰にも忠誠を誓ったことも、誰にも恩義を持たぬような地位の低い人間が、騎士の栄誉を賜った事例を我々は多く見ている。我々が覚えておかねばならないのは、出兵による封建的奉公の義務〈ost〉と、宮廷〈curte〉における奉公の義務を主君に負ったのは、騎士(シュヴァリエ)ではなく封臣であったということである。「軍事的奉仕」と「宮廷勤務」を課されたのは、騎士でなく封臣なのである。主君に対して派兵と、奉仕と、臣従を求められたのは、騎士でなく封臣なのである!

 さらに一言付け加えるのならば、この封建制度はこの後すぐにより階層性を増すことになる。翻(ひるがえ)って騎士制度は、決して階層的であった事はなく、そして特別な儀礼なく騎士になることは不可能であり続けた。他の議論がない場合でも、この点のみで封建制度と騎士制度の違いを示すに十分であろう》(同、p. 52) ※近習:主君の側近く仕える人。

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