ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(49)「遊び」 vs.「勝利至上主義」
闘技(アゴーン)は、それ自体の中に遊戯性を蔵している、というのがわれわれの確信だったが、そこから今度は、では戦争は、どの程度まで社会の闘技的機能と呼ぶべきものだろうか、という問いが起こってくる。
まず、いくつかの形式の闘争は、全体としてみて非闘技的なものだから、直ちに捨てさることができる。不意打ち、待ち伏せ、略奪、大規模の殲滅(せんめつ)戦などは、たとえ闘技的戦争に伴って行なわれたものでも、戦争の闘技的形式と見ることはできない。また他方、戦争の最終目的――異民族を征服し、服属させ、支配するということも、競争の領域の外におかれる。
闘技的契機は、まずあるものをめぐって、両陣営の各々が、こちらこそそれを所有する権利があると信じてたたかう場合、さらに両軍が互いに相手を、それをめぐって争い合う敵対者として認め合う場合に、はじめて働くのだ。確かにこの感情は、ただの口実として利用されるにすぎないことも屡々(しばしば)なのだが、しかし常にそれがあることは間違いない。(ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論社)高橋英夫訳、pp. 160f)
大東亜・太平洋戦争を例に取れば、日本の敗北は、大きくは国力の差にあったと言えるだろうが、もう1つ重要なのが、日米ソの戦争観の違いにあったように思われる。米国は、「勝てば官軍」とばかりに、国際法をものともせず非戦闘員に対し大量破壊兵器「原子爆弾」を投下した。しかも、戦争早期終結のためとされる広島への1発目に続けて、長崎に2発目を投下した。これは、戦後世界の主導権を握るための示威(じい)行為であったと言われている。また、ソ連も、終戦間近、日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本がポツダム宣言を受諾した後も、満洲や樺太・千島に攻め込み、多くの日本人を蹂躙(じゅうりん)した。その際、捕虜となった日本人は、長きにわたってシベリアに抑留され強制労働に供せられた。ソ連の国際法違反は明らかである。
一方、日本人は、勝つことへのこだわりが弱すぎた。その象徴的な出来事が、太平洋戦争の緒戦である真珠湾攻撃であった。真珠湾攻撃は大成功だったとされている。が、成功と言うのならどうしてハワイを占領するところまでやらなかったのか。「今日はこれぐらいにしておいてやろう」などという戦争はない。非情に徹することが出来なければ、勝てる戦争であっても勝つことは出来ない。まして、国力に雲泥の差がある米国との戦争である。相手を打ちのめさねば勝てない戦争だということが徹底されていないとはどういうことか。
要するに、日本の戦争は「遊び」であり、米ソの戦争は、「勝利至上主義」ではなかったかということである。
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