ヘミングウェイ『老人と海』について(1) 全6回

10月放送のNHKEテレ『100分de名著』でアーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』(The Old Man and the Sea)が取り上げられた。が、番組内での都甲幸治(とこう・こうじ)早稲田大学教授の解説を聞いて、どれくらいの人がこの小説をなるほど<名著>だと確認できたであろうか。疑問に思ったのは、『老人と海』の「主題」(theme)が何か説明されなかったことである。これでは『老人と海』がなぜ<名著>と称されるのかについて分かるべくもない。ともすれば、ノーベル賞作家ヘミングウェイの作品であるから<名著>なのだろうなどという話にもなりかねない。そこで今回『老人と海』の<名著>たる所以(ゆえん)を私なりに探りたいと思った次第である。

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『老人と海』は3段構成になっている。「中段」が老人とカジキマグロとの闘いであり、その前後が「前段」と「後段」ということになる。そして「中段」に次の「最高潮」(climax)の場面がある。

It is silly not to hope, he thought. Besides I believe it is a sin. Do not think about sin, he thought. There are enough problems now without sin. Also I have no understanding of it.
  I have no understanding of it and I am not sure that I believe in it. Perhaps it was a sin to kill the fish. I suppose it was even though I did it to keep me alive and feed many people. But then everything is a sin. Do not think about sin. It is much too late for that and there are people who are paid to do it. Let them think about it.

(希望を持たないなんて馬鹿だ、と老人は思った。それにそれは罪だと思う。罪について考えるな、と彼は思った。罪が無くても今嫌程問題がある。それに儂(わし)には罪のことなど皆目分らんのだから。

 罪なんか何も分かっちゃないし、それを信じているかも分からん。おそらく魚を殺すことは罪だったんだろう。自分が生き、多くの人を食わせるためにやったことなのに罪だった。でもそれでは何もかもが罪になってしまう。罪について考えるな。考えたってもう手遅れだし、お金をもらって考える人達がいるじゃないか。彼らに考えさせようじゃないか)

 老人は自らの「良心」と対峙(たいじ)する。魚を殺すことは<罪>だった。が、自ら生き、多くの人々を食わせるためであっても、魚を殺すことは許されないのか。それが<罪>だと言うなら、あらゆることが<罪>ということになる。そもそも<罪>(sin)とは何か。

 老人は<罪>がまったく理解できないと告白する。拠(よ)って立つことが出来るのは自分しかない。老人は孤独なのである。

He looked across the sea and knew how alone he was now. But he could see the prisms in the deep dark water and the line stretching ahead and the strange undulation of the calm. The clouds were building up now for the trade wind and he looked ahead and saw a flight of wild ducks etching themselves against the sky over the water, then blurring, then etching again and he knew no man was ever alone on the sea.

(老人は海を見渡して、自分が今いかに孤独であるかを知った。しかし深く暗い水の中にプリズムが見え、前方に伸びる線と、穏やかな海の奇妙なうねりが見えた。雲が貿易風のために今発達していた。前方を見ると、野鴨の群れが海の上空に自分の姿を刻んでは霞(かす)み、また刻むのが見え、誰も海の上では孤独ではないと知った)

 にもかかわらず、<罪>と向き合うに足る宗教心が自分にはない。あるのは妻の形見の絵だけである。

On the brown walls of the flattened, overlapping leaves of the sturdy fibered guano there was a picture in color of the Sacred Heart of Jesus and another of the Virgin of Cobre. These were relics of his wife.

(丈夫な繊維質のグアノの葉が平らに重なり合った茶色の壁には、イエスの聖心とコブレの聖母の彩色画があった。これらは彼の妻の形見であった)

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