ヘミングウェイ『老人と海』について(3) 全6回

『老人と海』の訳者・福田恆存氏は、後書きでフランスの歴史家ベルナール・ファイ氏の一節を引いている。

《アメリカには、たんに空間があるだけだ。

 ヨーロッパの諸国は時間のうえに築かれている。時間の累積が、イギリスやフランスやスペインやドイツやイタリーに、その政治的な枠を構え、その領土を定め、さらにその性格をつくることを可能ならしめた。またその市民におたがいに許しあい、愛しあい、助けあって、真にそれぞれの国民を形成することを教えたのである。

 が、あらゆる人種、あらゆる宗教、あらゆる文明に属する人間が、あのきびしいアメリカの処女地に再会したとき、かれらはその結合の紐帯(ちゅうたい)として、かつてヨーロッパ諸国を相互に結びあわせていたあの根ぶかい思いでや頑固な習慣を、どこにも見いだせなかった。かれらを調練して、今日ひとつの国民たらしめた力は、かれらの過去ではなく、それはかれらの未来である。

 そこでは、空間が時間のかわりをし、未来が過去のかわりをした。

 ヨーロッパはその熱情とその安定した文明の成功そのもののために窒息しそうに感じていた。ヨーロッパは空間を必要としていた。そしてアメリカを発見したのである》(『アメリカ文明論』:『老人と海』(新潮文庫)福田恆存訳、pp. 150-151

 ヨーロッパには<罪>とは何かを考えた時間の累積がある。が、アメリカにはそれがない。

<アメリカの文明は、過去と現在とをつなぐ時間から解放されて、はてしなく横にひろがる現在という空間のうえにうちたてられたもの>(同、p. 151

なのである。

he kept on thinking about sin. … You loved him when he was alive and you loved him after. If you love him, it is not a sin to kill him. Or is it more?

(老人は罪について考え続けた。… お前は魚が生きているときその魚を愛していたし、その後もその魚を愛していた。愛しているなら、魚を殺(あや)めても罪ではない。それともそれ以上なのか)

 相手を愛しているかどうかが問題なのだ。愛している相手は殺しても<罪>ではない。無論、こんな勝手な理屈はない。が、そう考えるしか術(すべ)はない。これはヨーロッパを切り離したアメリカの宿命である。

 アメリカ人は<罪>と向き合おうにも向き合えない。そして良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれ続けるのである。勿論、それに耐えられはしない。だから<愛>で欺(あざむ)くのである。

he was sorry for the great fish that had nothing to eat and his determination to kill him never relaxed in his sorrow for him. How many people will he feed, he thought. But are they worthy to eat him? No, of course not. There is no one worthy of eating him from the manner of his behaviour and his great dignity.

(何も食べ物がないこの偉大な魚を気の毒には思ったが、この魚を仕留(しと)めようとする思いはこの魚が気の毒だからといっても決して揺るぎはしなかった。この魚はどれだけの人を食べさせるのだろうか、と彼は思った。しかし彼等はこの魚を食べるに値するのだろうか?いや、勿論そんな価値はない。この魚の行動様式とその偉大なる品格からして、彼を食べるに値する人など誰もいない)

 老人は、食うに値しない人々の腹を満たすためにこの偉大な魚を殺そうとしている。これでは魚は浮かばれない。【続】

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