ヘミングウェイ『老人と海』について(4) 全6回

元々老人は若い漁師と違って海に対して宥和(ゆうわ)的であった。

  He always thought of the sea as la mar which is what people call her in Spanish when they love her. Sometimes those who love her say bad things of her but they are always said as though she were a woman. Some of the younger fishermen, those who used buoys as floats for their lines and had motorboats, bought when the shark livers had brought much money, spoke of her as el mar which is masculine. They spoke of her as a contestant or a place or even an enemy. But the old man always thought of her as feminine and as something that gave or withheld great favours, and if she did wild or wicked things it was because she could not help them. The moon affects her as it does a woman, he thought.

(老人は海を、海を愛している人がスペイン語で呼ぶところの「ラ・マル」だといつも思っていた。時には海を愛する人たちも海の悪口を言うことがあるが、いつも海を女性として悪口を言うのである。若い漁師の中には、ブイを釣り糸の浮きとして使い、サメの肝臓が大金をもたらしたときにモーターボートを買ってもらったものもいたが、海のことを男性的に「エル・マール」と呼んでいた。彼らは海のことを、競争相手や場、あるいは敵とさえ呼んだ。しかし、老人はいつも海を女性的で、大きな恵みを与えたり、与えなかったりするものと考えていたし、もし海が乱暴なことや邪悪なことをするとしたら、それは海がそうせざるを得なかったからだと思っていた。月が女性に影響を及ぼすように、海にも影響を及ぼすのだと老人は考えていた)

 が、一旦海へ釣りに出ると漁師魂に火が点(つ)いてしまう。

You did not kill the fish only to keep alive and to sell for food, he thought. You killed him for pride and because you are a fisherman. 

(お前が魚を殺したのは、ただ生きるため、食用に売るためだけではない、と老人は思った。お前が魚を殺したのは、誇りのため、そしてお前が漁師だったからだ)

 戦闘には2種類ある。大カジキとの死闘は、「同胞」との気高き闘いだった。一方、仕留めた大カジキを舟脇に括り付けて帰港する際、魚の血の臭いを嗅ぎつけ獲物を食い荒らそうとするサメと繰り広げた戦いは「敵」を打ちのめさんとする掃討戦であった。

 老人は、

I wish I had the boy(あの子がいてくれたらなあ)

と何度も口にする。が、いつも老人の身の回りの世話をしてくれる少年は今はそばにいない。老人は独り戦わねばならない。そのことが戦いの崇高さを醸(かも)し出す。

 独り戦いに赴(おもむ)いてこその戦士である。戦士たるもの戦わねばならない。が、そこには「愛」があるのか。威厳と誇りがぶつかり合う「気高さ」があるのか。老人のこだわりはそこにある。

"You think too much, old man," he said aloud.

  But you enjoyed killing the dentuso, he thought. He lives on the live fish as you do. He is not a scavenger nor just a moving appetite as some sharks are. He is beautiful and noble and knows no fear of anything.

  "I killed him in self-defense," the old man said aloud. "And I killed him well."

  Besides, he thought, everything kills everything else in some way. Fishing kills me exactly as it keeps me alive. The boy keeps me alive, he thought. I must not deceive myself too much.

(「考え過ぎだよ、爺さん」と老人は声に出して言った。

 でもデントゥーゾを殺すのは楽しかったな、と彼は思った。あいつはお前と同じように生きた魚を食べて生きている。スカベンジャー(=ごみやくずを拾い集めて生活する人)でもなければ一部のサメのようにただ動く食欲でもない。彼は美しく、気高く、何の恐れも知らない。

 「正当防衛であいつを殺したんだ」と老人は声に出して言った。「そしてうまく仕留められた」

 それに、と老人は思った。あらゆるものが何らかの方法であらゆるものを殺すんだ。釣りは、まさに儂(わし)を生かしつつ殺すんだ。少年は儂を生かしてくれている、と彼は思った。自分を欺き過ぎてはならない)

【続】

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