オークショット『政治における合理主義』(10) ベーコンが推す研究法
The art of research which Bacon recommends has three main characteristics. First, it is a set of rules; it is a true technique in that it can be formulated as a precise set of directions which can be learned by heart. Secondly, it is a set of rules whose application is purely mechanical; it is a true technique because it does not require for its use any knowledge or intelligence not given in the technique itself. Bacon is explicit on this point. The business of interpreting nature is 'to be done as if by machinery', 'the strength and excellence of the wit (of the inquirer) has little to do with the matter', the new method 'places all wits and understandings nearly on a level'. Thirdly, it is a set of rules of universal application; it is a true technique in that it is an instrument of inquiry indifferent to the subject-matter of the inquiry. -- Michael Oakeshott, Rationalism in politics
(ベーコンが推奨する研究法には、大きく分けて3つの特徴がある。第1が、規則集である。暗記できるぴったりの指示集として定式化できるという点で、まさに技術である。第2が、全く機械的に適用される規則集である。技術そのものにはない如何なる知識や知性もその使用に際して要求されないことから、まさに技術である。ベーコンはこの点について明確に述べている。自然を解釈する作業は「あたかも機械のように行われるもの」であり、「(探求者の)理性が強いか優秀かは、この問題にはほとんど関係がない」。新しい方法は「すべての理性と理解をほぼ同じ水準に置く」。第3に、普遍的に適用できる規則集である。探究の対象には無関心な探究の道具であるという点で、まさに技術である)
ベーコンが推(お)す<研究法>は、まさに<技術知>を問題にしたものである。
この目論みにおいて重要なのは…この種の技術が仮にも可能なのだという考え方、なのである。なぜなら、提案されているもの――誤り得ない探究のルール――は、驚くべきもの、一種の賢者の石、全てのドアを開く鍵、「基本科学」、なのであるから。ベーコンは、この方法の細部についてはかなり謙虚であり、自分がそれに最終的定式化を与えたとは考えていない。しかし、そのような「方法」一般の可能性に対する彼の信念は、無制限のものである。(オークショット『政治における合理主義』(勁草書房)嶋津格訳、p. 16)
ベーコンがただ<研究法>の指針を示そうとしたのか、それとも、無謬(むびゅう)の<研究法>を確立しようとしたのかは分からない。が、このような手法は、必然的に排他的姿勢を生じる。詰まり、定式化できないものは排除されるということである。
No one has yet been found so firm of mind and purpose as resolutely to compel himself to sweep away all theories and common notions, and to apply the understanding, thus made fair and even, to a fresh examination of particulars. Thus it happens that human knowledge, as we have it, is a mere medley and ill-digested mass, made up of much credulity and much accident, and also of the childish notions which we at first imbibed. -- Francis Bacon, The New Organon: XCVII
(すべての理論や通念を一掃し、こうして公正で公平になった理解を、具体的な事柄の新たな検証に適用するよう、断固として自らに課すほど強固な精神と目的を持った者は未だ見られない。このように、人間の知は、周知の通り、多くの軽信と多くの偶然、そして我々が最初に受け入れた幼稚な発想からもなる、単なる寄せ集めで消化不良の塊に過ぎないものなのである)
我々の観点からは、彼のルールのうち最初のものが最も重要である。それは、我々は一般に容認されている意見を横に置き、「まさに基礎から新たに始めなければならない」という規則である。真正な知は、精神の粛清から始まらねばならない。なぜなら、それは初めも終わりも確実でなければならないし、それ自体で完結していなければならないのだから。(オークショット、同、p. 16)
『ノーヴム・オルガーヌム』のドクトリン(教義)は、我々の観点からして、技術の至上性と要約しうるだろう。それは、技術知が決して知の全体ではないのだという認識と結合した技術への専心であるにすぎないのではなく、技術とそれの対象となる素材が全てなのだ、という言明なのである。(同、p. 17)
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