ハイエク『隷属への道』(46) 対ケインズ
個人的自由と、単一の目的が至高のものとされ、社会全体が完全にそして恒久的にそれに従属させられねばならないということとは、両立できない…自由な社会はどんな単一の目的に対しても従属させられることがあってはならない。(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 281)
「個人的自由」か「社会的統制」かは二者択一のものであって、政治がこの2項の間にある平衡点を探るというようなものではない。
この規範の唯一の例外は戦争であり、またその他の一時的な災害だけである。こうした事態のもとでは、緊急で直接的な必要に対して、ほとんどすべてのことが従属させられなければならないが、これは、長期的な観点で自由を維持し続けるために、われわれが支払わなければならない代償である。(同)
戦時下や災害などで一時的に自由を放棄しなければならない状態に追い込まれることもある。戦前の日本が軍国主義体制となったのがこれに当たるし、東日本大震災後、自由が制限されたことも思い起こされるところである。
平和の時代には、単一の目的が、他のすべての目的に対して絶対的に優先される立場に立つようなことは、決して許されるべきではない。このことは、失業の克服という、いまや最も重要な地位を占める問題になったとすべての人々が意見の一致をみているテーマに関してさえ当てはまる。(同、p. 282)
この発言は、政府が積極的に市場に介入し失業対策を行うべきだとするケインズ理論を念頭に置いてのものだろう。
Unemployment develops, that is to say, because people want the moon; -- men cannot be employed when the object of desire (i.e. money) is something which cannot be produced and the demand for which cannot be readily choked off. There is no remedy but to persuade the public that green cheese is practically the same thing and to have a green cheese factory (i.e. a central bank) under public control. --John Maynard Keynes, The General Theory of Employment, Interest, and Money: Chapter 17 The Essential Properties of Interest and Money
(失業が発生するのは、つまり、人々が月を欲しがるからである。欲望の対象(すなわち、お金)が生産できないものであり、その需要を容易に遮断できないものである場合、人は雇用されないのである。生チーズが実質的に同じものであることを国民に説得し、生チーズ工場(すなわち、中央銀行)を公的管理下に置く以外に救済策はないのである)―ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』:第17章
利子とお金の本質的性質
が、ハイエクはこのようなケインズの考え方を否定する。
失業の解決がわれわれの最大の努力目標でなければならないということには、まったく疑問の余地がない。だが、たとえそうであるにしても、われわれがこの目的だけに完全に支配されて、他のすべての事柄を排除してしまい、口から出まかせのスローガンが主張しているように、「どんな犠牲を払っても」この目的が達成されなければならない、とすることが許されていいというわけではない。
事実、この失業問題の分野で、「完全雇用」などという漠然とした、だが人気のある標語にいったん人々が心を奪われてしまうと、極度に近視眼的な政策手段を採用するように導かれていく危険性が高まり、そうなれば、「これはあらゆる犠牲においても解決されなければならない」という、馬車馬的な理想家たちの絶対的で無責任な主張が、最大の弊害をもたらすのを避けることが、ほとんどできなくなってしまう。(ハイエク、同)
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