オークショット『政治における合理主義』(1) 合理主義者とは
本日より、英国の哲学者マイケル・オークショット『政治における合理主義』を読んでいきたい。
オークショットという名前を耳にしたことがない方も多いのではないかと思われるけれども、保守思想を考えるに当たって欠くべからざる人物であることは間違いない。前回のハイエク『隷属への道』に続き本書もまた浩瀚(こうかん)であるので、長丁場になると思われるが、お付き合いの程、宜しくお願い致します。
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オークショットは「合理主義者」を次のように定義する。
The general character and disposition of the
Rationalist are, I think, not difficult to identify. At bottom he stands (he
always stands) for independence of mind on all occasions, for thought free from
obligation to any authority save the authority of 'reason'. His circumstances
in the modern world have made him contentious: he is the enemy of authority, of
prejudice, of the merely traditional, customary or habitual. His mental
attitude is at once sceptical and optimistic: sceptical, because there is no opinion,
no habit, no belief, nothing so firmly rooted or so widely held that he
hesitates to question it and to judge it by what he calls his 'reason';
optimistic, because the Rationalist never doubts the power of his 'reason'
(when properly applied) to determine the worth of a thing, the truth of an
opinion or the propriety of an action. Moreover, he is fortified by a belief in
a 'reason' common to all mankind, a common power of rational consideration,
which is the ground and inspiration of argument: set up on his door is the
precept of Parmehides -- judge by rational argument. But besides this, which
gives the Rationalist a touch of intellectual equalitarianism, he is something
also of an individualist, finding it difficult to believe that anyone who can
think honestly and clearly will think differently from himself. – Michael
Oakeshott, Rationalism in politics
(合理主義者の一般的な性格と気質は、思うに、特定し辛(づら)くはない。根底で合理主義者が支持する(常に支持する)のは、あらゆる場面での精神の独立、「理性」の権威以外のいかなる権威にも拘束されない思考である。現代社会の環境が、合理主義者を論争好きにしたのであろう。合理主義者は、権威、偏見、単に伝統的、慣習的、習慣的にすぎないものの敵である。合理主義者の精神的態度は、懐疑的であると同時に楽観的である。合理主義者には、自らの「理性」と呼ぶものによって疑い、判断することを躊躇するほど強固に根付き、広く保持された意見、習慣、信念といったものは何もないから懐疑的なのであり、物の価値、意見の真実性、行動の妥当性を判定する「理性」の力を(適切に適用されれば)疑わないから楽観的なのである。さらに、合理主義者は、議論の根拠であり啓示である、全人類に共通する「理性」、共通の理性的考察力を信じることによって強化されている。合理主義者のドアに設置されているのは、パルメヒデスの教え――合理的議論による判断である。しかし、これに加え、知的平等主義的な感じがするのは、合理主義者はちょっとした個人主義者でもあり、誠実で明確に考えることができる人が自分と違って考えるとは信じ難いからである)―オークショット「政治における合理主義」
合理主義者は基本的に経験主義を否定する。
彼(=合理主義者)は経験を看過するわけではないが、それが彼自身の経験でなければならないと主張する(そしてすべてを新たに始めるよう求める)ために、また、入り組んだ多様な経験の一群を原理に還元し、その後でそれを合理的根拠のみによって攻撃したり擁護したりする場合の性急さのために、彼はしばしばそうしているように見えるのである。彼には経験の蓄積という感覚がなく、経験が1つの定式に転換されている場合にそれを受け入れる用意があるに過ぎない。過去は彼にとって邪魔者としての意味しかもたないのである。(オークショット『政治における合理主義』(勁草書房)嶋津格訳、pp. 2-3)
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