オークショット「合理的行動」(3)厳密に定式化された目的
「合理的」な行動は、通常、特殊な目的だけでなく単純な目的をも持つであろう。というのは、目的が実際に複雑な場合、活動がその目的を達成できるよう有効に方向づけられうるのは、その複雑さが単純な目的の連続(ある目的の達成が次の目的の達成へ、さらに最終目的へと繋がっていくこと)として与えられているときか、あるいは複雑な目的の中にある単純な構成要素がその活動の特殊な構成要素と関連していると考えられるときだけだからである。したがって、「合理的な行為」においては、追求されるべき目的の厳密な定式化が必要とされる。つまり、力学と解剖学にその注意を限定し他の考慮をすべて無視するというブルーマーを考案したデザイナーの決定が必要なのである。「合理的」な活動は、ある問いに対する明確で最終的な回答を探求する活動である。したがって、その問いにはこのような回答ができる、と言えるような仕方で問いを定式化しなければならない。(オークショット「合理的行動」(勁草書房)、pp. 95-96)
<追求されるべき目的>が厳密に定式化されていなければ、合理的に行動できない。詰まり、目的の厳密な定式化こそが<合理的行動>の肝(きも)なのである。目的は特別なもの、単純なものでなければならない。一般的なもの、複雑なものには合理的手法を用いることが出来ない。特別なもの、単純なものに照準を前もって絞り込むことが目的達成には不可欠なのである。
特殊な目的を達成するために活動を意図的に方向づけることは、必要な手段が利用可能ないし入手可能であり、かつ利用可能な手段から必要な手段を見つけこれを専有する権力が存在する場合にのみ成功しうる。したがって、「合理的」な行動には、予め計画された達成目標だけでなく、予め別々に計画された採用手段の選択も含まれることになろう。そして、これはすべて反省とかなりの公平さを必要とする。目的と手段の計画的な選択は、乱雑な状況の流れに対する抵抗を合意しかつこれを準備する。一度に一歩ずつ、というのがここでの原則である。それぞれの一歩は次の一歩がどんなものであるかを知らずして踏み出される。そういうわけで、行動の「合理性」は、この見解によれば、行動する前に我々が行う何かから生じるということになる。つまり、活動はそれが一定の仕方で引き起こされるがゆえに「合理的」なのである。(同、p. 96)
目的と手段が適切に準備されれば、後は一歩ずつ歩を進めていけば目的は合理的に達成される。一歩一歩の歩み自体に選択の余地はない。優れて機械的なのである。
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