オークショット「歴史家の営為」(1)2つの歴史解釈法
早速だが、原題 The activity of being an historianが「歴史家の営為」と訳されているのが引っ掛かる。ここは being を無視せずに、例えば、「歴史家という営為」や「歴史家としての営為」のように訳すべきだろう。
※ historianは子音/h/で始まる語なので、a historian が本来であるが、半母音/h/と見てan historian とすることもある。
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最近200年程の間、この営為については多くの反省がなされてきた。
反省は2つの方向を取った。まず追求されたことは、現に確定するに至った歴史家の営為についての一般的で満足のいく記述である。当の営為それ自体が歴史的発現であり、またそれの現在達成した特定化(specification)の程度が、それを世界についての一貫した(コヒーレント)思考方法としてみなすのに十分である、そういう考えがここで前提されている。かような探求がもし成し遂げられたなら、現状における歴史的思考が世界に付与する理解可能性の種類、またこの営為が(発現の過程で)自らを分離することに成功した他の営為との区別の方法が明らかにされるであろう。(オークショット「歴史家の営為」:『政治における合理主義』(勁草書房)杉田秀一訳、p. 162)
第1の歴史家の営為とは、素朴なものである。過去の出来事を歴史家が掘り起こし、歴史という物語の中に位置付けられ、従来の歴史が更新される。問題は、第2のものである。
第2の探求の方向は、第1のそれから(必然的にではないにしろ)生じると言えよう。歴史家の営為の現状について、十分な記述が達成されていると仮定しよう。すると、問われる問題は次のようになる。その営為の現在の特定化を細かい点で修正するだけでなく、定義的特徴を生み出すような、より以上の特定化の可能性をこの現状から、窺(うかが)えるか(あるいは、一般的な諸理由からそのような可能性を仮定すべきではないのか)。そしてもしそうならば、この特徴とは何か。(同)
歴史とは、単なる過去の出来事の一覧表ではない。「史実」と「史実」の間の関係を意味付ける物語、詰まり、「解釈」が必要なのである。
歴史家の営為は過去を理解するという営為である。しかるに現状の方法では、過去を完全に理解するなど望むべくもない。ならば、欠陥を免れており、現状の「歴史」の目指す極点とみなせるような、過去理解の方法が別に(原理上)存在するに違いない(同、pp. 162-163)
それが「イデオロギー」である。「史実」を解釈し物語が紡がれるのではなく、「イデオロギー」に基づいて「史実」を解釈するということである。
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