オークショット「保守的であるということ」(4)保守的性向

Thirdly, he thinks that an innovation which is a response to some specific defect, one designed to redress some specific disequilibrium, is more desirable than one which springs from a notion of a generally improved condition of human circumstances, and is far more desirable than one generated by a vision of perfection. Consequently, he prefers small and limited innovations to large and indefinite. -- Michael Oakeshott, On being conservative: ONE

(第3に、何か具体的欠陥への対応としての革新、何か具体的不均衡を是正するため考案された革新の方が、人間環境の一般的改善条件の概念から生まれる革新より望ましく、ある完成像から生まれる革新より遥かに望ましいと彼は思う。結果、彼は、大きくて無限の革新よりも、小さくて限定的な革新の方を好むのである)

 革新が<小さくて限定的>であれば、実行するのが楽だし、変化も小さくて限定的であるから、たとえ何か問題が生じたとしても大惨事にはならない。安楽、安心だということである。

第4に、彼は、変化の速度は急速なものよりも緩やかなものの方が良い、とする。そして彼は、目下のところ何が帰結として生じているのかを、立ち止まって観察し、適切に順応していく。(オークショット「保守的であるということ」(勁草書房)、p. 204

 変化が漸進(ぜんしん)的であれば、足下を確かめながら歩を進めることが出来るので、安全だということである。

最後に彼は、変革の行われる時機が重要だと考える。彼が変革にとって最も都合が良いと考える時機は、計画されている変化が意図された範囲に限って実現される可能性が最も高く、望んでいない制御不可能な帰結によってそれが汚染される可能性が最も低い、という時である。(同)

 変革がうまくいくためには、状況が安定的でなければならない。状況が不安定だと、想定された変化が得られにくくなるだろうということである。

保守的性向は、通常所謂(いわゆる)「人間の本性」なるものに非常に深く根差したものであると考えられている。変化とは疲れるものだし、変革には努力が必要であるが、人間は、活力があるというよりもむしろ怠惰になりがちなのである(と言われる)。この世界の中で生きていくために自分の見出した方法が満足のいかないものでないならば、彼らはわざわざ災難を招くようなことをする気にはならない。彼らはその本性上、未知のものに不安を抱き、危険よりも安全を好む。彼らは自ら望んで変革を行うことはないし、また、変化を受け容れはしても、その理由は彼らが変化を欲しているからではなく、(彼らが死を受け容れる理由としてロシュフーコーが述べたことと同じく)それが避けられないからなのである。(同、p. 205

 分を弁(わきま)える人は革命を夢みたりしない。足るを知る者は、現状に大きな不満はない。が、保守的な人間であっても、必要な変化は受け入れる。それは飽く迄も微調整である。大事になる前に、小事のうちに修正するのである。

《23 死を解する人はほんの僅かである。人はふつう覚悟をきめてではなく、愚鈍と慣れで死に耐える。そして大部分の人間は死なざるを得ないから死ぬのである》(『ラ・ロシュフコー箴言集』(岩波文庫)二宮フサ訳)



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