オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(10)理性的被造物

 「理性(reason)」、「合理的(rational)」、「推論(reasoning)」は、ホッブズの用語法では、相互に関係してはいるが同一ではない、人間の持っている様々の能力や資質や傾向を表している。一般にこれらのことばは、人々を相互にではなく全体として動物から区別する能力を指している。少なくとも理性を持っていることをうかがわせるような2つの能力を持っている点で、人間は獣と異なる。

第1に、人間は次のような仕方で「思考の連続」を規則することができる。つまり、想像したことの原因を知るだけでなく、「何かを想像するとき、それが生み出しうるあらゆる結果を探し求めること、すなわち、それを持つとそれによって何ができるかを想像すること」ができる。換言すれば、人間においては感覚を推論が補っているので、人間の思考過程は動物が持てないような広がりと規則性を持っている。これは生来の資質のように思われる。

第2に、人間は言語(Speech)の能力を持っている。そして言語は「われわれの思考の連続をことばの連続に移すこと」である。この能力は、神がアダムの目の前に示した被造物を何と名づけるべきかを教えた時に、神(「言語の最初の作者」)からアダムに特別に与えられたものである。そしてそれは、ことばを意味ある仕方でつなげて議論を構成するという、人間だけが持っている「推論」の能力の条件である。しかしながら、言語能力は世代ごとに新たに学ばれねばならず、子供は「言語の使用に到達した」ときに、初めて「理性的被造物」になる。

 ことばの第1の用法は、「回想の符号(Markes)あるいは記号(Notes)として、我々の思考の連続を記録することである。」しかしそれは他の人々とコミュニケートするためにも使うことができる。コミュニケーションの内容は情報と欲求である。確かに獣もその欲求を相互にコミュニケートするいくらかの手段は持っている。しかしことばを使えない獣は、その想像力の狭さのゆえに獲得していないもの、すなわち、人間においては「意志と目的」と呼ばれるにふさわしい、長期にわたる熟考された企てをコミュニケートすることができない。彼らのコミュニケーション能力は、そして従って互いに結ぶ合意は、「自然」な、あるいは本能的なものである。

他方人間にあっては、コミュニケーションは文字という人工物によっている。この手段によって、人間は(数ある中で)「意志や目的を他の人々に知らせて、互いに助け合うことができる。」すると言語は人間が自分たちの間で持てるような相互理解の基盤であり、この相互理解は、人間がその欲求を追い求める際に互いに結ぶあらゆる合意の基盤である。実際ホッブズの理解するところでは、(コミュニケーションの手段としての)言語それ自体が、合意――ことばの意味に関する合意――に基づいているのである。(オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(勁草書房)、pp. 309-310

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