バーク『フランス革命の省察』(92)先入見と偏見
《そこで問題となるのは、ステレオタイプの性格と、それを使いこなすわれわれの融通のきかない馬鹿正直さである。結局、こうした問題はわれわれの人生哲学をつくっているさまざまの包括的パターンによって左右される。もしその人生哲学の中で、世界はわれわれの持っている規範に従って体系化されていると想定しているならば、たぶんわれわれは何が起こっているかを報告するときに、そのような規範によって動かされている1つの世界を語ることになるであろう。しかし、われわれの哲学が、それぞれの人間は世界の小さな一部分にすぎないこと、その知性はせいぜいさまざまな観念の粗い網の中に世界の一面と要素の一部しか捉えられないのだと語るとしたらどうだろう。
そうすれば自分のステレオタイプを用いるとき、われわれはそれがたんなるステレオタイプにすぎないことを知り、それらを重く考えずに喜んで修正しようとするだろう。また、いつわれわれの思考が始まったのか、どこで始まったのか、どのような具合にしてわれわれの頭に生じ、それをなぜわれわれは受け入れたのかを、さらにもっと明確に悟るようになる。この意味で、ためになる歴史というものは一切腐るものではない。そうした歴史によって、どんなおとぎ話が、どんな教科書が、どんな伝統が、どんな小説が、劇が、絵が、言葉が、この頭にはこの先入観を、あの頭には別の先入観を、植えつけたかを、われわれは知ることができる》(W.リップマン『世論(上)』(岩波文庫)掛川トミコ訳、pp. 124f)
☆ ☆ ☆
Your
all-sufficient legislators, in their hurry to do everything at once, have
forgot one thing that seems essential, and which, I believe, never has been
before, in the theory or the practice, omitted by any projector of a republic. They
have forgot to constitute a senate, or something of that nature and character.
Never, before this time, was heard of a body politic composed of one
legislative and active assembly, and its executive officers, without such a council:
without something to which foreign states might connect themselves, —something
to which, in the ordinary detail of government, the people could look up, —something
which might give a bias and steadiness, and preserve something like consistency
in the proceedings of state.
(十分な能力のある貴方方立法者たちは、すべてを一度にやろうと急ぐあまり、不可欠だと思われる、理論上も実践上も、共和国の如何なる計画者によっても省略されたことのないと私が思うことを1つ忘れてしまっています。元老院、あるいは何かそのような性質や性格のものを設置することを忘れているのです。このような評議会なしに、何か外国が関係するようなもの、何か通常の政治の詳細において人々が尊敬するようなもの、何か国家の出来事に偏見と安定を与え、首尾一貫した何かを維持するものなしに、1つの立法府と動作中の議会、そしてその行政官で構成される政治組織というものをこの時代まで聞いたことなどありもしませんでした)― cf. 半澤訳、pp. 250f
「偏見」(bias)と「先入見」(prejudice)の違いは一概に言えない。実際、バークの鍵概念たるprejudiceを「偏見」と訳しているものが多数を占めてもいる。英語表現では、同じ語を繰り返し用いることが憚(はばか)られ、類語に置き換えられることがしばしばであるが、ここでバークが、prejudiceのただの代用語としてbiasを用いているのかどうかは正直よく分からない。
コメント
コメントを投稿