バーク『フランス革命の省察』(93)現実を知る空想家たち
リップマンは、bias(偏見)を prejudice(先入見)と使い分けている。
《実際の世の中では、証拠の出るずっと以前に、そうした判断が真の判断とされることが多い。そして証拠が必ずや確認するはずの結論を、その判断自体のなかに含んでいるのである。このような判断には、正義も、慈悲も、真実も入り込むことはない。なぜならこの判断は証拠に先行してしまっているからである。
しかし考えてためになるようなどんな文明のなかにも、さまざまな偏見をもたない国民、まったく中立的な見解に立つ国民が存在するということはとても考えられないので、そのような理想を土台として教育体系を打ち建てることは不可能である。偏見は看破することもできるし、無視してかかることもできるし、改善することもできる。しかし時間に限りある人間は、広大な文明と関わるための準備を短い学校教育の中に凝縮しなければならない。
そのような状態である以上、人びとは心に描いた文明像をずっと持ちまわらねばならず、偏見を持つということになる。彼らの思考と行動の質の如何は、そうした偏見が好意的なものであるか、つまり、ほかの人びとに好意的か、ほかの考え方に好意的かどうかにかかっている。あるいはそうした偏見が、自分たちが善と考えているものにおさまりきれないものに対する憎しみを呼びきますのでなく、積極的に善と感じられるものに対する愛を呼びきますかどうかにかかっている》(W.リップマン『世論(上)』(岩波文庫)掛川トミコ訳、pp. 163f)
☆ ☆ ☆
Such a body
kings generally have as a council. A monarchy may exist without it; but it
seems to be in the very essence of a republican government. It holds a sort of middle
place between the supreme power exercised by the people, or immediately
delegated from them, and the mere executive. Of this there are no traces in
your Constitution; and in providing nothing of this kind, your Solons and Numas
have, as much as in anything else, discovered a sovereign incapacity.
(そのような組織が、国王には一般に評議会としてあります。君主制は、それがなくても存続するかもしれませんが、それは、共和政治のまさにその本質に属しているように思われます。それは、国民によって行使されるか、国民から直接委任される最高権力と、ただの行政府との、ある種中間に位置するものです。このことについて、貴国の憲法には如何なる手掛かりもありません。そして、この種のものを何も用意しなかったことで、貴方方のソロンとヌマは、他の如何なることと同様に、最高の無能さを露呈してしまったのです)― cf. 半澤訳、p. 251
本来あるべきものがないという指摘である。
As little genius
and talent am I able to perceive in the plan of judicature formed by the
National Assembly. According to their invariable course, the framers of your
Constitution have begun with the utter abolition of the parliaments. These
venerable bodies, like the rest of the old government, stood in need of reform,
even though there should be no change made in the monarchy. They required
several more alterations to adapt them to the system of a free Constitution.
But they had particulars in their constitution, and those not a few, which
deserved approbation from the wise.
(私は、国民議会によって策定された司法制度計画に、殆ど才能を見出すことが出来ません。不変の方針に従って、貴国の憲法制定者たちは、議会を完全に廃止することから始めました。これらの古い組織は、旧政府の他の部分のように、たとえ君主制にはなされるべき変更がなかったにしても、改革の必要がありました。自由憲法の体系に適合させるためには、更に幾つかの変更が必要でした。しかし、彼らの憲法には、少なからず賢者の是認に値する特殊な部分がありました)― cf. 半澤訳、pp. 260f
人間の考えることなど高が知れている。空想の世界ではさも素晴らしい社会を築けるかのように思っても、いざ実際にやってみれば、それが短慮短絡に過ぎなかった現実を知ることとなるのである。
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