アダム・スミス「公平な観察者」について(43)「自制」と「中立」

《むろん、自己規制(セルフ・コマンド)といっても、自然に発揮されるものでもなければ、また神を信じれば直ちに手に入るというものでもあるまい。むしろ、スミスは、「通常の人」が、いかにしてこの自己規制をもちうるのか、またそれはどのような場合に高度に発揮されるのかを論じてみようとしているのである。人はそれを社会生活の中で学ぶのである》(佐伯啓思『アダム・スミスの誤算』(PHP新書)、p. 105)

If we examine the different shades and gradations of weakness and self-command, as we meet with them in common life, we shall very easily satisfy ourselves that this control of our passive feelings must be acquired, not from the abstruse syllogisms of a quibbling dialectic, but from that great discipline which Nature has established for the acquisition of this and of every other virtue; a regard to the sentiments of the real or supposed spectator of our conduct. – Adam Smith, The Theory of moral sentiments: 3.1.2. Chap. II

(様々な色調色彩の欠点と自制を、日常生活で目にするままに調べてみれば、この受動的な感情の制御は、こじつけ弁証法の難解な3段論法からではなく、造物主があれこれの美徳を身に付けるために定めた偉大な規律、すなわち、自分の行為を現実に見る人、あるいは見ると思われる人の感情を尊重することによって身に付けなければならないということを納得するのは造作ないことであろう)アダム・スミス『道徳感情論』第3部:第3章

 また、スミスは『道徳感情論』第6版に以下のような内容を付け加えている。

The man of real constancy and firmness, the wise and just man who has been thoroughly bred in the great school of self-command, in the bustle and business of the world, exposed, perhaps, to the violence and injustice of faction, and to the hardships and hazards of war, maintains this control of his passive feelings upon all occasions; and whether in solitude or in society, wears nearly the same countenance, and is affected very nearly in the same manner. - Adam Smith, The Theory of moral sentiments, 6th edition.: Book 3: Chapter 3

《真に志操堅固の人、自制心の偉大な学校で徹底的に躾(しつ)けられた賢明で正義感の強い人が、世の中の喧騒(けんそう)と多忙の中で、恐らくは派閥の暴力と不正義、戦争の苦難と危険に晒(さら)されながらも、あらゆる場面で、この受動的な感情を御(ぎょ)し続け、独りでいる時も社会の中にいる時も、ほとんど同じ表情をし、ほとんど同じように感動するのである》― アダム・スミス『道徳感情論』第6版:第3部:第3章

In success and in disappointment, in prosperity and in adversity, before friends and before enemies, he has often been under the necessity of supporting this manhood. He has never dared to forget for one moment the judgment which the impartial spectator would pass upon his sentiments and conduct. He has never dared to suffer the man within the breast to be absent one moment from his attention. – Ibid.

《成功のときも、失意のときも、繁栄のときも、逆境のときも、友の前でも、敵の前でも、彼はしばしばこの男らしさを維持する必要に迫られてきたのである。公平な観察者が自分の感情や行為に下すであろう判断を、決して一瞬たりとも忘れようとはしない。胸中の人間が彼の注意から離れることを決して一瞬たりとも許さないのである》― 同

《自己規制こそが、自らを中立的な観察者とするのであり、それこそが「恒常不動の人」なのだ。浮遊する世間の評判には左右されないのである。この「恒常不動のもの」、いいかえれば「確かなもの」こそ、自己規制によって自らの内部に獲得する以外にないのである》(佐伯、同、p. 106

 が、「自制」は人様々であり、これを「中立」と呼ぶことには違和感がある。

コメント

このブログの人気の投稿

ハイエク『隷属への道』(20) 金融政策 vs. 財政政策

バーク『フランス革命の省察』(33)騎士道精神

オークショット「歴史家の営為」(10)歴史的語法への翻訳