ル・ボン『群衆心理』(8) ~伝統~

 民族を真に導くものは、伝統である。そして、私が幾度もくりかえし述べたとおり、民族が容易に変化させるのは、伝統の外形のみである。伝統がなければ、つまり、国民精神がなければ、どんな文明もあり得ない(ル・ボン『群集心理』(講談社学術文庫)櫻井成夫訳、p. 102)

 少し訳文が気になったので、原文をフランス語→英語→日本語の順で翻訳ソフトにかけてみた(フランス語→日本語では対応関係がよく分からないので、英語で橋渡しした)。

【フランス語】Ce qui conduit les hommes, surtout lorsqu'ils sont en foule, ce sont les traditions ; et, comme je l'ai répété bien des fois, ils n'en changent facilement que les noms, les formes extérieures.

Il n'est pas à regretter qu'il en soit ainsi. Sans traditions, il n'y a ni âme nationale, ni civilisation possibles. Aussi les deux grandes occupations de l'homme depuis qu'il existe ont-elles été de se créer un réseau de traditions, puis de tâcher de les détruire lorsque leurs effets bienfaisants se sont usés. Sans les traditions, pas de civilisation; sans la lente élimination de ces traditions, pas de progrès. La difficulté est de trouver un juste équilibre entre la stabilité et la variabilité ; et cette difficulté est immense.

【英語】What drives men, especially when they are in crowds, are traditions; and, as I have repeated many times, they easily change only the names, the external forms.

It is not to be regretted that this is so. Without traditions, there is neither national soul nor civilization possible. So the two great occupations of man since he came into existence have been to create a network of traditions, and then to try to destroy them when their beneficial effects have worn out. Without traditions, there is no civilization; without the slow elimination of these traditions, there is no progress. The difficulty is to find the right balance between stability and variability; and this difficulty is immense.

【日本語】人間を駆り立てるものは、特に群衆の中にいるときは、伝統である。そして何度も繰り返しているように、名前や外見だけを簡単に変えてしまう。

これは残念なことではない。伝統がなければ、民族の魂も文明も成り立たない。だから、人間が誕生してからのつの大きな仕事は、伝統のネットワークを作ることと、その有益な効果がなくなると、それを破壊しようとすることである。伝統がなければ文明は成立せず、伝統を徐々に排除していかなければ進歩はない。難しいのは、安定性と変動性のバランスをとることであり、その難しさは計り知れない。

 櫻井氏は随分意訳されているようなので、この翻訳文を使うことにする。

<人間を駆り立てるものは、特に群衆の中にいるときは、伝統である…伝統がなければ、民族の魂も文明も成り立たない>

 人々に力を与えるのが<伝統>というものであろう。が、評論家小林秀雄は次のように言う。

《過去の遺產を、現在によみがへらせようと努力しない人にとつては、傳統(でんとう)といふ樣なものは、決して見付け出す事は出來ない、と言つてよいのである。誰でも傳銃の流れのうちにゐる、知ると知らざるを問はず、傳銃の流れのうちに暮してゐる、從つて傳統を知るといふ樣な事に何んの努力が要るわけではない、さういふ安易な考へ方を、僕は好みませぬ。恐らくさういふ考へには、非常に間違つた虞(ところ)がある。僕等が意識しないでも、過去からの連績(れんぞく)した流れのうちに身を浸してゐる、さういふ流れは、傳統の流れといふより寧(むし)ろ習慣の流れであると僕は考へたい。傳續と習慣とはよく似てをります。倂(しか)し、この二つは異るのである。僕等が自覺(じかく)せず、無意識なところで、習慣の力は最大なのでありますが、傳銃は、努力と自覺とに待たねば決して復活するものではないのであります。僕等は習慣を見失ふといふ樣な事はないが、傳統は怠惰な眼を掠(かす)めて逃げるものだ》(「傳統」:『新訂小林秀雄全集』(新潮社)第7巻 歴史と文學、p. 227)


 <群衆>は、好むと好まざるとに関わらず、過去から現在へと受け継がれてきた「流れ」の中にある。この「流れ」をル・ボンのように<伝統>と呼ぼうが、小林秀雄のように<習慣>と呼ぼうが、(私は「慣習」(エートス)と呼びたいが)大差はない。いずれにせよ、民族が紡(つむ)いできた「歴史の流れ」こそが人々の活力源なのである。

人間が存在して以来、2つの大事業とは、複雑な伝統を創造することと、ついで伝統の有用な効力が消耗したときに、その伝統を打破することであった。確乎とした伝統がなければ、文明はないし、またこれらの伝統を徐々にとり除いて行かなければ、進歩はない。むつかしいのは、不動と変動のあいだに、適正な均衡を見出すことである。(ル・ボン、同、pp. 102-103

 文明創造の主(あるじ)たる<伝統>を革命と称して破壊することは愚かである。が、だからと言って<伝統>を旧套墨守(きゅうとうぼくしゅ)していては<進歩>はない。つまり、時代に合うように日々更新されなければならないということである。そして革命のような急進的改革ではなく、日々の漸進的改革を怠らぬことが大切なのである。

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