ル・ボン『群衆心理』(10) ~法は創るのではなく発見するもの~
ル・ボンは、
制度が社会の欠陥を正し得るとか、民族の進歩が憲法や政体の改良に起因するとか、また、社会上の変化がたびたびの法令によって行われるという考え(ル・ボン『群集心理』(講談社学術文庫)櫻井成夫訳、p. 107)
は<妄想>だと言う。
制度が、思想や感情や習慣から生れた結果であって、法規を改めることによって、思想や感情や習慣を改められない(同、p. 108)
ことは言うまでもない。<思想や感情や習慣>が先にあり、後から<制度>は出来る。逆はない。憲法もまた同じである。
憲法をつくりあげることに時間を浪費するのは、児戯(じぎ)に類する業(ごう)で、修辞家の役にも立たぬ演習にひとしい。必要と時、この二つの要因を自由に働かせるときに、それらが、憲法をしあげる役目を引き受ける。(同、p. 109)
良い憲法を作れば明るい未来が開けるなどと考えるのは<児戯に類する業>であり只の<妄想>である。哲人ハイエクは言う。
there can be no doubt that law existed for ages before it occurred to man that he could make or alter it. The belief that he could do so appeared hardly earlier than in classical Greece and even then only to be submerged again and to reappear and gradually gain wider acceptance in the later Middle Ages. In the form in which it is now widely held, however, namely that all law is, can be, and ought to be, the product of the free invention of a legislator, it is factually false, an erroneous product of that constructivist rationalism ― F. A. Hayek, LAW, LEGISLATION and LIBERTY: Volume I RULES AND ORDER: 4 THE CHANGING CONCEPT OF LAW: Law is older than legislation
(人間が法を作ったり変えたりすることを思い付く前に、法が長年に亙って存在していたことは疑いの余地がない。人間がそうすることが出来るという考えは、古代ギリシャ以前にはほとんど現れなかったし、その後また見られなくなったが、中世後期に再登場し、徐々に広く受け入れられるようになった。しかしながら、現在広く受け入れられている形、すなわち、すべての法は立法者の自由な発明の産物であり、そうあり得るし、そうあるべきだということは、事実誤認であり、構成主義的合理主義の誤った産物なのであるーF・A・ハイエク『法と立法と自由』第1:第1章 法と秩序:4 法概念の変遷)
ここで言う「法」とは、立法機関で作る「制定法」(legislation)ではなく、自然界における秩序を司(つかさど)る「自然法」(natural law)のことである。そして<人間が法を作ったり変えたりすること>が出来るという勘違いの象徴が「憲法」である。但し、新興国家において、遵守(じゅんしゅ)すべき慣習や規範がない場合、当座の指針として「憲法」を制定することが必要となることは分かる。だから米国には成文憲法があるが、英国にはないのである。
the
whole conception of legal positivism which derives all law from the will of a
legislator is a product of the intentionalist fallacy characteristic of
constructivism, a relapse into those design theories of human institutions
which stand in irreconcilable conflict with all we know about the evolution of
law and most other human institutions. -- ibid
(すべての法を立法者の意志から導き出す法実証主義の概念全体は、構成主義に特徴的な意図主義者の誤謬(ごびゅう)の産物であり、法その他ほとんどの人間制度の進化について我々が知っているすべてと相容れぬ人間制度の設計理論への逆戻りである)
また、ハイエクは「古き良き法」を概念化したフリッツ・ケルンの言葉を引用している。
When
a case arises for which no valid law can be adduced, then the lawful men or
doomsmen will make new law in the belief that what they are making is good old
law, not indeed expressly handed-down, but tacitly existent. They do not,
therefore, create the law: they 'discover' it. -- ibid
(有効な法が存在しないような事案が発生した場合、法律家や裁判官は、自分たちが作っているのは古き良き法であり、実際明示的に伝えられているわけではないが、暗黙のうちに存在していると信じ、新たな法を作る。したがって、彼らは法を創るのではない。「発見」するのである)
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