オルテガ『大衆の反逆』(8) 虚無の時代

われわれの生きている時代は、信じがたいような実現への能力が自分にあることを感じながらも、何を実現すべきかを知らない。われわれの時代はいっさいの事象を征服しながらも、自分を完全に掌握していない時代、自分自身のあまりの豊かさの中に自分の姿を見失ってしまったように感じている時代なのである。(オルテガ『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)神吉敬三訳、p. 60)

 佐伯啓思(さえき・けいし)京大名誉教授はこれを「近代主義が陥ったアポリア」だと言う。

《伝統的価値や規範から解放され、それを打破して「近代」が出現するという「進歩主義」の…図式を現実に当てはめてしまいますと、自由、平等、権利、法治、市場競争といった抽象的で一般的な形式だけが絶対化されてしまって、その内実を確定することができなくなってしまう…

 結果として内容空疎な自由、形式だけの平等、人格の陶冶(とうや)をもたない個人主義、無制限に拡張する市場競争といったものが出現してしまうでしょう。これは近代主義の弊害といわねばなりません。あるいは、近代主義が陥(おちい)ったアポリアといわねばなりません。「近代」の価値が別に間違っているわけではありません。その「近代」を普遍化し、それを伝統的社会と対立させて理解する「近代主義」が間違っているのです》(佐伯啓思『人間は進歩してきたのか』(PHP新書)、p. 236) ※アポリア:解決の糸口が見出せない難問・難題

われわれの生は、可能性のレパートリーとしては豪華であり、多すぎるくらい多く、歴史的に知られているいっさいの時代に優っている。しかし、その形状があまりにも大きいために、伝統によって残されてきたいっさいの河床(かしょう)、原則、規範、理想をはみ出してしまったのである。それは、他の時代のすべての生よりもいっそう生であり、それだからこそいっそう多くの問題を含んでいる。今日の生は、過去の中に自分の方向を見出すことができない。自己固有の使命を自分で発明せねばならないのである。(オルテガ、同、p. 64)

 過去を切り離せば柵(しがらみ)を断ち切ることは出来る。が、同時に自分がよって立つ「根拠」を失ってしまう。自分は一体何者であるのかを自ら証明せねばならない。自分は何をすべきなのかを自ら設定せねばならない。それに失敗すれば「空虚」が残るだけとなる。そして虚無主義(ニヒリズム)に堕ち込んでしまう。

われわれは過去から積極的な方向づけは受けられなくても、否定的な忠告を受けうることは知らねばならない。過去は、われわれが何をしなければならないかは教えないが、われわれが何を避けねばならないかは教えてくれるのである。(同、p. 72

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