オルテガ『大衆の反逆』(24) 欧州という共通の背景

国民国家の深奥にひそむ本質…それは次の2つの要素からなっている。第1は共通の事業による総体的な生の計画であり、第2はかかる督励的な計画に対する人々の支持である。この全員による支持こそ、国民国家をそれ以前のすべての国家から区別するあの内的強固さを生み出すものなのである。(オルテガ『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)神吉敬三訳、p. 251)

 <生の計画>を人々が支持すればこその<国民国家>なのだ。人々の支持がなければ<国民国家>は成り立たない。物理的紐帯(ちゅうたい)を乗り越えた連帯には人々の支持が欠かせない。

フランス人の魂、イギリス人の魂、スペイン人の魂は確かに大いに違っていたし、今日も違っているし、今後も違ったままであろう。しかし彼らは、まったく同一の心理的な結構というか構造をもっており、なかんずく共通の内容をもちつつあるということである。宗教、科学、法律、芸術、社会的価値、愛の価値などは共通のものとなりつつある。ところで、実はこれらこそ、人間が因(よ)って生きるところのものである。したがってこの場合の等質性の方が同一の型にはめられた魂の場合よりも大きいという結果になるのである。(同、p. 257

 が、オルテガに楯突くようだが、<宗教>ばかりは共通のものとはならないように思われる。そんな簡単に<宗教>が共通のものとなるのであれば、どうして欧州で苛烈な宗教戦争が繰り返されてきたのか。カトリックとプロテスタントがどうして折り合いを付けられるのか分からない。一体キリスト教、イスラム教、仏教の共通性はどこに見出せるというのだろうか。共通性が見出されるのだとすれば、それは脱宗教ということだろう。つまり、唯物論が社会を席巻するということである。こんな恐ろしい話はない。

 今日もしわれわれが、われわれの精神内容―意見、規範、願望、仮定―のバランスシートを作成したとすれば、その大部分がフランス人の場合には彼のフランスからもたらされたものでもなく、スペイン人の場合にも彼のスペインからもたらされたものでもなく、ともに共通の背景であるヨーロッパに負うものであることに気づくであろう。今日確かに、われわれ一人一人のうちには、フランス人、スペイン人等々というように他国人と相達する部分よりもヨーロッパ人としての部分の方が大きな場所を占めているのである。(同)

 <宗教>といった「深層構造」(deep structure)は変えられないが、その他多くの「表層構造」(surface structure)は変えられる。つまり、問題とすべきは、表層的共通性であって、深層構造まで同一化を図れば、全体主義というイデオロギーの陥穽(かんせい)に嵌(はま)りこんでしまうであろう。

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