オルテガ『大衆の反逆』(25) 重苦しい世の中
世界は今日、重大な道徳的頽廃(たいはい)に陥っている。そしてこの頚廃はもろもろの兆候の中でも特にどはずれた大衆の反逆によって明瞭に示されており、その起源はヨーロッパの遺徳的頑廃にある。ヨーロッパの頑廃には数多くの原因があるが、その主要なものの1つが、かつてヨーロッパ大陸が自己およびその他の世界のうえに行使していた権力が移動したことである。つまり、ヨーロッパは自分が支配しているかどうかに確信がもてず、その他の世界も自分が支配されているかどうかに確信がもてないでいる。すなわち、歴史的至上権が分散してしまっているのである。(オルテガ『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)神吉敬三訳、pp. 258-259)
かつて欧州は世界の最先端を走っていた。だから世界標準は欧州発であった。欧州が基準を作り、他の国々がその基準に従う。その意味で、欧州が支配者であり、その他の国々が被支配者であった。が、『大衆の反逆』が出版された1930年は2つの大戦の間にあたり、非常に不安定な時期であった。誰が支配者なのか、指導者なのかが見えない時であった。
もはや「頂点の時代」はない。なぜならばそのためには、19世紀がそうであったように、1つの明確で、あらかじめ設置された疑う余地のない未来が前提となっていなければならないからである。19世紀の人々は明日何が起こるかを知っていると信じていたのだ。ところが今日地平線はふたたび新しい未知の世界に向かって開かれているのである。なぜならば、誰が支配するのか、そして権力はいかなる形で地球上を覆うのかが分からないからである。誰が支配するかというのは、つまり、いかなる民族、あるいはいかなる諸民族の集団、したがって、いかなるイデオロギー、いかなる傾向、規範、生命衝動の体系が支配するかということである。(同、p. 259)
オランダの歴史家・ヨハン・ホイジンガは1935年の著作で、欧州の重苦しい雰囲気を次のように著(あらわ)した。
《わたしたちは憑(つ)かれた世界に生きている。そのことをよく承知している。予期せぬものとてなかろう、やがては狂気が爆発する、あわれなヨーロッパの人びとは、呆然(ぼうぜん)自失のうちにとりのこされる、モーターはなおまわりつづける、旗は風にひるがえる、だが精神はどこへいったのか。
わたしたちは、いま生きているこの社会の仕組が確かなものなのかどうか疑い、近づく未来に漠(ばく)たる不安をいだき、文化の沈滞と衰退を感じる。生命の焔(ほのお)のかすかに燃えるとき、夜の稀薄な時間にわたしたちをおそう感情は、これはもはやたんなる抑圧感といったものではない。観察と判断にもとづく熟慮のはての予感なのだ。事実がわたしたちを打ちひしぐ。眼前(がんぜん)にみるのは、かつては堅固(けんご)なもの、犯すべからざるものとみえたもろもろの事柄が、ほとんどすべて、あやふやなものになってしまった事態である。真実、人間性、理性、正義、どれもこれも。政体はもはや正常に機能せず、生産の機構は崩壊の危機に瀕(ひん)している。社会の諸力は狂気のように働いている》(ホイジンガ『朝(あした)の影のなかに―わたしたちの時代の精神の病の診断』(中公文庫)堀越孝一訳、p. 19)
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