ハイエク『隷属への道』(4) 社会主義の暗黒

米国ジャーナリストのウォルター・リップマンは言う。

The generation to which we belong is now learning from experience what happens when men retreat into a coercive organization of their affairs. Though they promise themselves a more abundant life, they must in practice renounce it; as the organized direction increases, the variety of ends must give way to uniformity. This is the nemesis of a planned society and of the authoritative principle in human affairs. – Walter Lippmann, An Inquiry into the Principles of The Good Society: III THE GOVERNMENT OF POSTERITY: 5. THE NEMESIS OF AUTHORITATIVE CONTROL

(私達が属する世代は今、自分の問題を強制的な組織に退避させるとどうなるかを経験から学びつつある。より豊かな生活を約束しても、実際にはそれを放棄しなければならない。組織化された方向性が増すにつれ、多様な目的は画一に取って代わられるに違いない。これは、計画された社会の因果であり、人間の問題における権威的原理の応報なのである)

 オーストリア経営学者のピーター・ドラッカーも言う。

The complete collapse of the belief in the attainability of freedom and equality through Marxism has forced Russia to travel the same road toward a totalitarian, purely negative, non-economic society of unfreedom and inequality which Germany has been following. Not that communism and fascism are essentially the same. Fascism is the stage reached after communism has proved an illusion, and it has proved as much an illusion in Stalinist Russia as in pre-Hitler Germany. ― Peter Drucker, The End of Economic Man: A Study of the New Totalitarianism, pp. 245-246

(マルクス主義によって自由と平等が達成されるという信念が完全に崩壊したことで、ロシアは、全体主義的な、全く否定的な、非経済的な、不自由と不平等の社会に向けて、ドイツが辿ってきたのと同じ道を歩まざるを得なくなった。共産主義とファシズムが本質的に同じだというわけではない。ファシズムは、共産主義が幻想だと分かった後に至る段階であり、ヒトラー以前のドイツと同様に、スターリン麾下(きか)のロシアでも幻想だと証明されたということである)


 共産主義が上手く行かなくなり、登場するのがファシズムだというのがドラッカーの主張である。共産主義とファシズムに親和性があることは確かであろう。が、ファシズムは必ずしも共産主義の後継であるとは限らない。社会主義国家が福祉国家へと看板を掛け替え延命を図り、あわよくば共産主義を実現しようと夢みている人達もいる。

《今や人民大衆の目覚めとその有形無形の圧力によって、どんな民主主義国でも次第に福祉国家の方向にあるいは悠々とあるいは渋々と歩き出していることは顕著な事実だ。この点、革命なき革命の道を歩んでいるイギリスほど我々の関心をひくものはない。クロスマンは「民主主義国家をブルジョアジーの執行委員会」と呼ぶのは西欧ではもはや時代遅れなどと豪語しているが、民主主義国の福祉国家への志向が、一つには「革命」の影響であり、その予防注射であることも否まれないだろう。一方における革命の激化と成功は、他方における福祉国家への前進のテンポを早めるのだ》(林達夫「ちぬらざる革命」:《林達夫著作集 5》(平凡社)、p. 229


今日計画主義者が要求していることは、単一の計画に従ってあらゆる経済活動を中央集権化して統制していくということであり、社会の諸資源を、特定の目的に役立つためにある定まったやり方で「意識的に統制・管理」していく方法を決定しなければならないということなのである。(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 40

 が、バラ色の目標を掲げ一旦民衆の支持が得られさえすれば、社会が暗黒に染まろうともお構いなしというのが社会主義者の遣り口でもある。

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