ハイエク『隷属への道』(19) 「富の再分配」政策

森戸辰男は言う。

《今日私どもの當面(とうめん)している事態のもとでは、個人の力で銘々が自分の生活を保障していくことが困難である、ということが明らかになつておりますし、同時にまた、彼等が個人の責任によつてかような狀態におかれたのではない、ということも疑う餘地(よち)が存しないのであります。すなわち國家的、社會(しゃかい)的の運命がこれらの人をかような事態に陷れたのであります。そこで、今日の時代に新しい憲法をつくるということであれば、憲法は單に形式上・政治上・法律上の自由を國民に保障するだけではなく、これらの國民の生活の基礎を確立していくことが、新しい憲法の重要な觀鮎(かんてん)でなければなりません。いいかえますれば、國民に生活權を保障する意味の宣言をなすことが、この場合、憲法の重要な任務である、と私どもは考えております。そうしてかような主張を私どもは强調し、これに應する憲法の修正を望んだのでありますが、幸いに、この點(てん)については、ついに私どもの要求が容れられまして、第25條に

 「すべて國民は、健康で文化的な最低生活を營(いとな)む權利を有する。」

という一條が加えられたのであります。

 ここに生活權と述べられておるのは、單に人閒が動物的な意味での命を繋ぐということでなく、健康で文化的な最低限度の生活を營む權利を有する、となつておりまして、人間に値する生活が國民に保障されなければならぬ、ということを明らかにしたのであります。私は、日本の國の政治の上で、國の根本の掟である憲法が、國民に生活の最小限を認めるに至つたということは、一大變革(へんかく)であると思うのであります。主權の問題について、日本のこの度の憲法が大きな革命を含んでおるということは、既(すで)に皆さんのお聽(き)きの通りであります。けれども、同時に經濟生活の上において、國の政治が國民の生活の最小限を國民に保障しなければならぬ、ということを明らかにしたということは、私は政治上の民主革命と並ぶ、また働く國民大衆にとっては、場合によつてはそれよりも意義の大きい、憲法の一條であると存じております。しかしながら、これが規定されただけでは、日本の政治の方向が示されたに止まりまして、これが現實に行われるということが、さらに重要なのであります。これについては、績いて

 「國は、すべての生活部面について、社會福祉、社會保障及び公衆衞正の向上及び增進に努めなければならない。」

ということが規定されておりまして、社會施策の方向が示されているのであります。そこで、私どもの望むところは、この條項が急速に具體的な形で、現實に國民に生活の最小限を保障するものとならなければならぬ、ということであります。すなわち、働く者にとっては、これは最低賃金制度が確立されなければなりません。また、國民一般にとつては、英國に行われつつあるような綜合的な社會保險の制度が、一日も早く確立されて、國民があらゆる人生の不幸に對(たい)して最小限度の保障をお互いの力と國家の力とで保障される、というところまでもつていかなければならぬ、と存ずるのであります。これが生存權の規定についてであります》(『新憲法講話』(憲法普及會編)第8講 新憲法と社會主義――私有財産及び労働權)

 詳細を検討することは省くが、<健康で文化的な最低生活を營む權利>とは社会主義的な色合いの濃い「富の再分配」政策である。

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