ハイエク『隷属への道』(21) ミルトン・フリードマンのケインズ理論批判

《ニューディール政策がとられて以来、連邦政府は公共事業を拡大するたびに、失業を減らすためには政府が金を出すしかないのだと言い続けている。ただし、理由付けは長い間にだいぶ変わってきた。最初は「呼び水」として公共投資が必要だとされた。とりあえず政府が予算を投じれば経済を活性化できるから、そうなったら手を引けばよいというのである。

 しかしこれで失業を減らすことはできず、1937~38年には景気が急速に冷え込む》(M・フリードマン『資本主義と自由』(日経BPクラシックス)村井章子訳、p. 153

 詰まり、公共投資は景気回復の「呼び水」とはならなかったのである。

《すると今度は「長期停滞論」なるものが浮上し、政府が恒常的に多額の公共投資をすることが正当化された。長期停滞論によると、経済は成熟期に入ったのだという。めぼしい投資案件はあらかた開発され、今後新しい機会はなかなか出てきそうにない。しかも個人は相変わらず投資より貯蓄を好む。となれば政府が投資して赤字を垂れ流すしかない。赤字を埋め合わせるために国債を発行すれば、個人にとっては蓄財の手段となるだろうし、政府支出のおかげで雇用は創出されるだろう、云々。

この主張が信用できないことは理論分析によっても明らかだし、事実からも確かめられている。たとえば、長期停滞論者が想像もしなかったようなまったく新しい民間投資が行われるようになった。にもかかわらず、長期停滞論の遣物はいまだに残っている。もはやこの説を信じている人はほとんどいないというのに、このときに開始された公共事業も、また呼び水として始められた事業の一部も、依然として続けられているのだ。そして政府支出が膨張し続ける原因となっている》(同、pp. 153-154

 一度やり始めた政策は既得権益化するだろうし、万一公共投資を打ち切って景気が悪化すれば失政だと非難されかねないから止めるに止められないのである。

《最近では…総支出を安定させるためだという理由付けがされるようになった。何かのきっかけで民間支出が落ち込んだら、政府が支出を増やす。逆に民間支出が増えたら政府は手控えるという具合にして、総支出ひいては経済の安定化を図るべきだという》(同、p. 154

 今の財政政策はこの考え方に基づいている。が、フリードマンは反論する。

《景気後退が起きるたびに、それがどんなに小幅の後退でも、小心な政治家や役人は震え上がる。大恐慌再来の前兆ではないかという恐怖が頭をよぎるからだ。そこで大急ぎで何かしら公共事業を計画し法案を成立させる。ところが実施される頃には、後退期は終わっていることが多い。となれば、政府の支出は景気後退を和らげるのではなく、その後の景気拡大を一層刺激する役割を果たすことになる(もっとも、政府支出によって国内総支出が実際に増えるとしての話だが…)》(同、pp. 154-155

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