ハイエク『隷属への道』(22) 政府の恣意的市場介入

 予測も操作も不可能な諸般の条件の変化によって、自らの有用性が減少させられてしまった人々が、その「不当な」損失をこうむらないように保護されたり、逆に、同じような事情で有用性の増大した人々が、「ふさわしくない」所得増加の恩恵に与れないようにされたりするなら、報酬はその途端に、現実の有用性となんらの関係も持たなくなってしまう。(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 160)

 これは「所得の再分配」であり、社会主義政策である。このような<結果の平等>は、悪平等となり個人のやる気を殺ぐ。

 かつて麻生太郎政権時代に「エコカー減税」「家電ポイント」という政策があった。これは、自動車および家電産業への特別優遇措置である。日本の労働者の多くが従事しているこれらの産業が万一傾くようなことがあれば大量の失業者が出る可能性がある。だからこれらの産業を支援すべきだという理屈である。

 が、支援しなければならないということはこれらの産業は既に斜陽化が始まっていたということを意味する。簡単に言えば、円高という時代の流れから外れてしまっていたのである。斜陽産業は時代によって淘汰(とうた)される。それが自由経済の鉄則である。にもかかわらず、こういった産業を支援し温存してしまっては、円高時代に相応(ふさわ)しい新たな産業の出る幕が無くなってしまう。

 「アベノミクス」はもっと問題であった。円高不況に喘(あえ)ぐ日本経済を回復させるということで安倍政権は「異次元の金融緩和」を実施した。為替レートは、1ドル80円から120円へと円安に大きく振れた。このことによって円高不況はふっとんだ。株価も上昇し、斜陽産業は息を吹き返した。

 急激な為替変動に対して金融政策を講じることは場合によって必要となることもあろう。が、不況対策として金融政策を行うことは計画経済的であって、自由主義に反する。否、そもそも日本は自由主義国なのか、むしろ世界に冠たる社会主義国と言うべきではないのかという議論はある。詳しくは稿を改めねばならないが、この「金融緩和」によって円高基調の構造改革は水の泡となった。為替レートという経済活動の基礎を政府が恣意的に変えてしまうなどということは自由主義経済にあってはならないことである。こんなことが許されては、経営戦略を立てようがない。

 政府の恣意(しい)的な市場介入は、経済の新陳代謝を掻き乱す。競争力なき古い体質が生き残り、将来性のある新たな産業の芽を摘むことになりかねない。

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