ハイエク『隷属への道』(23) 無用の用

そうなると報酬は、人が何をすべきであったか、何を予測すべきであったか、意図がどれほどよかったか悪かったか、ということを判断した当局者の見解によって、決定されるものとなるだろう。このような決定は、必然的にきわめて恣意(しい)的にならざるをえない。その原則を実施すれば、たとえばまったく同じ仕事をしている人でも違う報酬を与えられる、というようなことが当然起こってしまう。また、報酬の違いは、社会が求めている変化に向かって人々が動いていくようにさせる、サインとしての役割をもはや失ってしまう。そしてある変化を前にした人が、それに対応しようとして起こす行動がはたして見返りのあるものかどうかを判断することも、もはやできなくなってしまう。(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 160)

 未来の可能性は万人にとって平等である。誰もが成功することもあれば失敗することもある。が、このことは市場が<自由>である場合に限られる。市場に当局が恣意的に介入するようなことになれば、成功するも失敗するも当局次第ということになってしまい、<機会の平等>は失われてしまうだろう。

 話は変わる。ハイエクは米国の工学専門家D・C・コイルの一節を引く。

《工学的な仕事を達成するためには、その仕事のまわりに、計画の対象とされない経済活動分野が比較的大きな規模において、存在していなければならない。必要とあれば働く人々を引き出すことができ、逆に働いている人が解雇され、その名前が給料簿からも消えてなくなる時はそこに戻って行けるという場所がなくてはならないのだ。このような貯水池的なものがない場合、規律を維持していくことは、奴隷労働と同様、肉体的処罰によってしか不可能となる》(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 162

 <職業選択の自由>を考える場合、自分に合った仕事を自由に選べるということだけではなく、自分が合わなくなった職場を自由に撤退できる環境も必要だ。その際、自分の経歴が生かせる職場、詰まり、コイル言うところの<貯水池>のような受け皿がなければならないということである。

 が、かつての民主党政権の「事業仕分け」のように、こういった周辺部分は無駄なものとされ、切り捨てられ勝ちである。「無用の用」というものが分かっていないのである。

一目之羅、不可以得鳥【淮南子(えなんじ):巻17 説林訓】

(一目(いちもく)の網は、以て鳥を得べからず)

《かすみ網で小鳥をとらえてみると、小鳥がかかっているのは網の一目だけにすぎない。だからといって、最初から一目だけの網をつくったのでは、小鳥はかからないであろう。役にたたないようにみえる多くの網の目が、無用の用をはたしているのである》(『世界の名著 4』(中央公論社)、p. 236 

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