ハイエク『隷属への道』(31) 私有財産を悪と考える誤想
すべてを制圧する1つの共通目的の前には、一般的な道徳や規範は存在の余地すらない。われわれも、戦時にはある程度までは似たことを経験する。幸いなことに、これまで英国では、戦争や最大級の危機においてすら、全体主義への接近はきわめて抑制されていたし、1つの目的のために他の価値が犠牲にされることもほとんどなかった。しかしそれは幸運な例であって、一般には、数少ない特定の目的だけが社会全体を支配するようになると、時には残酷なことが義務になることも避けられなくなる。(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 194)
まさに戦中の日本がその状態にあったわけである。戦争するのであるから個人の自由がどうのこうのと言っておられるわけがない。勝利という共通の目的に向けて統制が厳しくなるのは仕方のないことである。が、問題は戦時中の統制が未だに生き残っていることである。
《戦後の日本では…マルクス主義のしっぽをつけた社会主義が温存され、私有財産を悪と考える思想が生き残った》(渡部昇一『何が日本をおかしくしたのか』(講談社)、p. 133)
何故か。
《理由はいくつもあるが、第1には戦時中の官僚制度が完全に解体されず、社会主義的思想が霞が関から払拭されなかったこと、第2にはGHQの一連の占領政策が、私有財産を攻撃する左翼的なものであったこと、が大きい。さらに付け加えれば、戦後のマスコミや教育界が左翼勢力によって牛耳られていたために、私有財産を「悪」とするマインド・コントロールが行われていたせいでもある》(同、p. 134)
私も基本的に渡部氏の見立てに同意する。この手枷足枷(てかせあしかせ)を嵌(は)められた「戦後体制」から如何に脱却するのかが日本発展の鍵だと言えるだろう。
《GHQの行った一連の「改革」の中で、大きな目玉になったのが農地改革である。この改革の基本にあったのが、私有財産を軽視する思想にはかならなかった。先祖代々受け継いできた土地を一片の法令によって奪い取り、小作人に分配する、それが農地改革の眼目であった。これは紛うことなく、私有財産権の否定であり、社会主義的な発想に基づく政策であった。
農地改革を策定し、実行したのは言うまでもなくGHQである。GHQのスタッフはアメリカ人であり、社会主義とは無縁のように思われるが、そうではない。終戦直後のこの時期、アメリカにも社会主義思想に傾斜した知識層は多く、GHQのスタッフも例外ではなかったのである。そうした連中たちにとって、このころの日本は、あたかも社会主義政策の実験場のように思えた》(同、pp. 134-135)
太平洋戦争当時、米国政権の中枢には相当数のソ連のスパイが潜り込んでいたことが「ベノナ文書」でも明らかにされている。占領軍が社会主義的であったとしても何ら不思議ではない。
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