ハイエク『隷属への道』(34) 過去を捨てた社会

統制経済によって平等を達成しようとする努力は、実は政府によって強制された不平等――新しい階層化秩序のもとで個人の地位が専制政治的に決定されること――という結果しかもたらさない。そして、人間の生命、弱者、あるいは個人一般への尊重の念といった、自由主義社会の道徳が保有している人道主義的な要素の大半が、全体主義社会の道徳規範のもとでは消滅してしまうだろう、ということである(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 202)

 自由主義経済によって生じた格差を人工的に均(なら)すことは、誰かを優遇し、誰かを冷遇することに他ならない。自由主義社会の道徳は価値を失い、人道主義思想は意味を無くす。

全体主義宣伝活動は、あらゆる道徳の基礎の一端をになっている、あの「真実」というものに対する感覚や尊敬の念を、その根底から侵食していくことによって、ついにはあらゆる道徳を破壊してしまう(同)

 物事を見、判断する枠組み(paradigm)が転換されるため、これまでの価値観は一掃される。何が真実なのかという判断も個人が行うものではなくなってしまう。経験は何の役にも立たない。上がどう判断するのかだけが<真実>の基準である。

 人々が奉仕させられる特定の価値観に妥当性があるということを人々に認めさせる最も有効な方法は、それらの価値観が、人々ないし少なくとも最良の人たちが、これまで信奉してきたものと実のところは同一で、ただこれまでは適切に理解されていなかったり、はっきりと認識されていなかっただけのことだと、人々を説得することである。つまり「新しい神々」は、実際には人々の健全な直観が常にその心に語りかけていたあの「神々」と同一のもので、ただこれまではぼんやりとしか認識されていなかった「神々」なのだ、と口実をつけて、人々の忠誠心を「古い神々」から「新しい神々」へと移し変えさせればよいわけだ。そして、この目的を最も有効に達成できる技術といえば、昔からの言葉はそのまま使用しておいて、意味内容だけを変えてしまうことである。その結果として、新しい体制の理念を表現するために、言語は完全にねじまげられ、言葉の意味も変えられてしまう。(同、p. 207

 <言葉>は過去からやって来る。が、過去が否定されれば、<言葉>の中身は空(から)になる。そこに新たな中身を注ぎ込む。そうやって<言葉>の伝統も破壊されていくのである。

全体主義の宣伝活動のための道具として役立つようにその意味を逆転させられてしまったのは、決して「自由」という言葉だけではなかった…「正義」や「法」や「権利」や「平等」といった言葉にも同様なことが発生してしまった(同、pp. 208-209

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