ハイエク『隷属への道』(35) 知的進歩の原動力
The really frightening thing about totalitarianism is not that it commits ‘atrocities’ but that it attacks the concept of objective truth; it claims to control the past as well as the future. — George Orwell, As I Please
(全体主義について本当に恐ろしいことは、全体主義が「残虐行為」を行うということではなく、それが客観的真実の概念を攻撃するということである。全体主義は、未来は言うに及ばず過去をも支配することを要求するのである ― ジョージ・オーウェル)
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知的自由が、人類が知的に進歩するための始源的な原動力となるのは、人類の誰でもが例外なしに思考することができたり著述することができたりすることが必要だという点にあるのでは決してなく、どのような考えや理想であっても、人類の誰かがこれを主張できるという点にあるのである。反対意見が抑圧されないかぎり、同じ時代の人々を支配している考え方に対して疑いを表明する誰かが必ず出てくるだろうし、また、新しい考え方を議論や宣伝による検証の対象として提出する人が、常に生まれてくるだろう、ということこそ重要なのだ。(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 218)
前提条件が変われば見方も変わる。反対意見は、物事の別の見方を示してくれるから有難い。我々は神ではないから、しばしば間違える。だからいかなることであっても懐疑的視座は欠かせないのである。つまり、物事は色々な角度から見てみることが大切だということである。
異なる知識や見解を持っている個人たちの間における相互作用こそが、思想の生命というものを成り立たせている。人類の理性の成長とは、個人間にこのような相違が存在していることに基礎を置いている社会的な過程なのである。この人類の理性の成長にとって本質的なことは、その成長の結果がどういうものになるかは前もって予測することができず、どのような見解がこの成長を促進したり逆に阻害したりするかということも、われわれは決して知ることができない、という点である。簡単に言うならば、人類がそれぞれの時点で持っている見解がどのようなものであれ、それによって理性の成長を支配しようとすれば、同時に必ずその成長を制約することになる、ということだ。(同、pp. 218-219)
様々な意見が出されまとまりのつかないことを甲論乙駁(こうろんおつばく)と言う。が、甲論乙駁あればこそ考えは深化する。自分とは違った視点が存在することを知るだけでも有意義だし、自分が足りないところを相手に指摘されることもあろうし、どのように言えば相手に受け入れられるのかを考えることも自分の意見を深める好機となるだろう。翻(ひるがえ)って、「正解は初めから1つしかない」社会ではこのような切磋琢磨は生まれない。
集産主義者たちの教義が「意識的な」管理や「意図的な」計画を要求することによって、実は誰か特定の個人の精神が最高権威者として支配すべきであるという要求へと、必然的に転化してしまうということこそ、あらゆる種類の集産主義者の教義がはらんでいる矛盾である。その一方、社会的諸現象に対する個人主義者たちの分析だけが、人間の理性の成長を誘導している個人を超えた諸力をわれわれに認識させてくれる(同、pp. 219-220)
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