ハイエク『隷属への道』(36) ナチスドイツが生まれた必然
ハイエクは、ドイツ哲学者オスヴァルト・シュペングラーの言を引く。
《西欧の3国〔英・仏・独〕は、有名な「自由」「平等」「共同体」という標語の3つの形態をそれぞれ達成しようとしてきた。その結果、これらの標語は、自由な「議会主義」、社会主義的「民主主義」、独裁主義的社会主義、という3つの異なった政治的形態となって、実現してくることになった》(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 239)
Die drei spätesten
Völker des Abendlandes haben hier drei ideale Formen des Daseins angestrebt.
Berühmte Schlagworte kennzeichnen sie: Freiheit, Gleichheit, Gemeinsamkeit. Sie
erscheinen in den politischen Fassungen des liberalen Parlamentarismus, der
gesellschaftlichen Demokratie, des autoritativen Sozialismus -- Oswald Spengler, Preußentum und Sozialismus
英国の自由(Freiheit)、仏国の平等(Gleichheit)はいいとして、独国のGemeinsamkeitをどう訳すのかが難しい。訳者西山氏は「共同体」としているが、「共同」や「連帯」といったところだろうか。後も、「自由主義的議会主義」(des liberalen Parlamentarismus)、「社会主義的民主主義」(der gesellschaftlichen Demokratie)、「権威主義的社会主義」(des autoritativen Sozialismus)ぐらいであろうか。いずれにせよ、シュペングラーは、ドイツを「連帯」の国と見、「権威主義的社会主義」という政治形態を生み育てたと考えたということである。
《ドイツ人、もっと正確にはプロイセン人の、本能といってもいい考え方は、「権力は全体に所属する」というものである。……〔このような体制下では、〕あらゆる人が例外なしに「ところを得しめられていて」、ある人は命令し、ある人はこれに従う。この考え方は、18世紀以来、「英国の自由主義」や「フランスの民主主義」が意味していることと比較するかぎり、権威主義的社会主義であって、本質的に反自由主義的かつ反民主主義的だと言われてきた。……ドイツには、「自分たちのあり方とは異なっている」という理由で、外国人から憎まれ評判の悪い事柄が多くあるが、ドイツの国内では、自由主義だけが軽蔑されている。
英国の国家としての構成は、富裕な階級と貧困な階級との区別に基礎を置いており、これに対してプロイセンの国家構成は、命令する者とこれに服従する者との区別に基礎を置いている。したがって、階級に関する区別が意味することは、英国とドイツとでは基本的にまったく異なっている》(同)
ナチスドイツが生まれたのはただの「偶然」なのではなく、そこには「必然」があったということである。
《プロイセンでは、国家という言葉が持つことができる最も希望に満ちた意味において、本当の国家が存在していたのだ。そこでは、厳密に言って、どんな民間の個人も存在することができなかった。時計のような正確さで機能する体制の内部に生活していた人々の全員が、なんらかの仕方で、この体制内に1つの歯車を構成していた。したがって、公的事業の執行を、「議会、王義」が想定しているように、民間の個人の手に委ねることはありえなかった。このような執行は「公務」であった。そして、責任ある政治家は公務員であり全体に対する下僕であった》(同、p. 240)
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