ハイエク『隷属への道』(37) 民主主義国に見られる全体主義への兆候

シュペングラーの引用の続きである。

《ただ単にドイツのためだけでなく、世界の全体にとっても決定的であり、しかも世界全体のためにドイツによってこそ解決されなけばならない問題は、「将来、商業が国家を支配するべきか、それとも国家が商業を支配するべきか」という問題である》(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 240

 詰まり、<商業が国家を支配する>自由主義は終わりにし、これからは<国家が商業を支配する>社会主義へと移行すべき時が来ているのではないかとシュペングラーは言いたいのだろう。

《しかもこのように問題が提起されると、プロイセン主義と「社会主義」とは同一のものとなる。……つまり、プロイセン主義と社会主義とが、ドイツの国土それ自体の内部において英国的な考え方と闘争している、ということを意味する》(同)

 詰まり、英国とドイツの争いは、自由主義と社会主義の闘いだという認識なのである。だからこそ、ヴァン・デン・ブルックは

「ドイツは西欧との戦いに敗れたが、その時『社会主義』は、『自由主義』との戦いに敗れたのだ」(同、p. 241

と言ったのである。

《今日ドイツには、自由主義者は一人もいない》(同)

 何と極端な言い回しであろうか。このような誇張が見られるのは理念が現実より先走ってしまっている証左であろう。

《この国には、若き革命家もいるし、若き保守主義者もいる。しかし、誰がこの国で、依然として自由主義者であり続けたいと欲するだろうか。……「自由主義」は、いまではドイツの若者たちが吐き気を催したり、怒りやきわめて特殊な軽蔑感をもって顔をそむけてしまう、生活哲学でしかない。というのも、今日のドイツの若者たちが信奉している哲学にとって、「自由主義」ほど異質で、反感を感じさせ、敵対的である教義は、まったくないからだ。いまやドイツの若者たちは、自由主義者を最大の怨敵(おんてき)とみなすようになっている》(同)

 が、シュペングラーがこのように言うのにもそれなりの土壌があるのだろう。ドイツ民族のエートス(慣習)には、英国流の<自由>と相容れない何かがあるのではないかということである。おそらくその1つが<連帯>意識の強さというものなのではないか。

今日の民主主義諸国の状況は、現状のドイツではなく、20年ないし30年前のドイツに、ますます大きな類似性を示すようになっているのである。あの当時「典型的にドイツ的」な現象だとみなされていたものが、現在では英国において、人々にとって親しいものとなっている。また、ドイツがその後に進んで来たのと同一の方向へ向けて、いっそう英国も発展してきていることを示す、数多くの徴候が見受けられる。(同、p. 246

 『隷属への道』が出版されたのが第2次大戦中の1944年であるが、今の日本にも似たような兆候が見られるのではないかと危惧されるところである。

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