ハイエク『隷属への道』(43) 自由主義と社会主義の二者択一

Is it just or reasonable, that most voices against the main end of government should enslave the less number that would be free? more just it is, doubtless, if it come to force, that a less number compel a greater to retain, which can be no wrong to them, their liberty, than that a greater number, for the pleasure of their baseness, compel a less most injuriously to be their fellow-slaves. They who seek nothing but their own just liberty, have always right to win it and to keep it, whenever they have power, be the voices never so numerous that oppose it. -- JOHN MILTON, The Ready and Easy Way to Establish a Free Commonwealth

(政府の主要な目的に反対する大部分の声が、自由であるはずの少数派を隷属させることは、正当なのだろうか。強制することになるとしたら、少数派が、多数派に彼らの自由を、何の間違いでもないかもしれないが、保持することを強制することの方が、多数派が、自分たちの卑しさの喜びのために、少数派に最も不当なやり方で自分たちの仲間の奴隷になることを強制することよりも、疑いなく公正である。自分自身の正当な自由しか求めない人々には、それに反対する声が決して多くはなくとも、権力を持つときはいつでも、それを獲得し維持する権利がある)―― ジョン・ミルトン

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市場によるすべての個人を超えた非人格的規律によって支配される秩序を選ぶか、それとも少数の個人たちの意志によって支配される道を選ぶか、この二者択一以外のどのような可能性もわれわれにはない。(ハイエク『隷属への道』(春秋社)西山千明訳、p. 272

 詰まり、<自由主義>と<社会主義>のいずれを選ぶのかという二択である。何事も完璧なものはない。「現実」にも様々な欠点を指摘することが出来るであろう。が、この欠点を頭の中だけで操作し、さもバラ色の世界が開けているかのような「理想」を描いてみても只の「絵に描いた餅」にしかならない。実際、20世紀における<社会主義>国家樹立の壮大なる実験は失敗に終わったのである。

人々をとりまく世界がますます複雑になっていくにつれて、自分たちの希望や計画を妨げてくる諸力の正体も理由もわかりにくくなり、それに抵抗したいという欲望がいっそう強くなってしまうのは、むしろ自然なことである。だが、個人がそれらの力を理解できる度合いが少なくなっていくことこそ、現代文明の必然なのである。現代の複雑な文明は、個人の多様な活動の上にこそ成り立っているのだが、そこでの個人は、自分には理解できない原因や性質に基づく諸変化に対して、自分自身を調整させていかなければならない(同、p. 278

 マルクス主義は、複雑な社会を単純化すればこそ得られた、現代社会が生んだ問題に対する幼稚な処方箋に過ぎない。社会は、自分たちが夢見るように人為的に変革できるほど単純なものではない。自分と社会の間に齟齬(そご)があるのであれば、社会に合わせて自分を変える方がはるかに容易である。

被害を蒙っている人々は、何か明白で、直接的で、しかも避けようと思えば避けられる原因に、責任があると責めることに陥りやすい。ところが、変化を本当に決定しているのは、そのような諸原因よりもはるかに複雑な相互関係なのであって、しかもそれがどういった関係であるかは、どうやっても人々の目には隠され続けていくのである。(同、pp. 278-279

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